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リリーフ登場

  2月3日から29日連続で「デジタル言語学が生まれるまで」の話を書いてみたが、自分でも改めてダイナミックな人生だなあと思う。これまでの道のりは、全て言語の起源を明らかにするための準備だったのだということに気づき、正直驚いたが、卒業文集に「国連で働く」と書いた小学生の僕に「そういうことだったんだね。OK!」と今なら言うことができる。

  神のお導きのように、人生の行く先が都度決まっていったが、最初の結婚もそうだった。僕が当時結婚するだろうと思っていた女性とスイッチするかのように、初めの妻になる女性が現れた。適齢期ということもあり、すんなり結婚した。子供も生まれ、一般的な良い家族だったが、僕の探究欲求でいろいろなことに関わり、ダイナミックに移動するものだから、なかなか理解してもらえなかった。それでも、見捨てられることはなかった。
 2015年3月末に会社を辞めて無職になり、4月頭にハローワーク渋谷で離職手続きをして、郷里の大分に墓参りで帰省した。大分のご飯は美味かった。食材が良いのだ。僕はそのまま、実家に居ついてしまった。3.11以降、東京では放射能汚染が怖くて、食材をかなり厳選していたし、外食はできるだけ控えていたから、大分の安全な食材にほっとしてしまったのだ。そして大分の図書館の利用者カードを作るために住民票を大分に移したら、前妻から離婚を切り出され、2016年8月に協議離婚が成立した。

 一方、会社勤めがなくなった僕は、世界各地で開かれる国際言語・人類学会に予稿を送って、採択されたら自腹で参加していた。2015年8月に南アフリカのポチェフストローム(ボーア系白人の牙城)で開かれた南部アフリカ人類学会に参加して帰国すると、道元の語録である「道元和尚廣録」(1995年、筑摩書房)をインターネットでみつけた。この本は、初版で上800部、下700部だけ印刷して絶版になった本で、新本でも古本でも出会えない超稀少本だった。それが定価の7割引の上下で1万5000円だったので、迷わず買った。ついでに、東京を引き払うときに古本屋に引き取ってもらった中村宗一訳注「正法眼蔵」を買い戻した。

 それから、僕は道元の「正法眼蔵」と「廣録」をくり返し通読し、2017年10月27日、僕の57回目の誕生日に『道元を読み解く』を上梓した。2年足らずの間に、道元の全ての著作を読み、真筆(正法眼蔵75巻本、祖山本廣録)と偽書(正法眼蔵12巻本、卍山本廣録、正法眼蔵随聞記は偽書)を見分け、これまで誰も明らかにしてこなかった本当の道元の思想を紹介した。大分という低雑音環境にいたおかげで、集中できたからだ。

 2017年12月に、京都へ行き、道元にゆかりのある延暦寺、建仁寺、興聖寺に著作を献本した。そして大分に帰ると、知人から、年末に開かれる「アナスタシア」という現代ロシアの幻想小説の読書会に誘われた。そこで出会った風変わりな女と、三か月後には一緒に住んでいた。全く接点のないジャンルも違う彼女と、偶然と言うよりは、むしろ神の計らいではないかと思える出会いだった。あるいは道元からのご褒美だったかも。ただ、今はとにかく楽しくて幸せな毎日を送っている。妻との出会いから結婚に至るドラマチックな展開を、小説家志望の友人にネタとして提供したら、あまりにハッピーすぎて誰も読みたがらないと、まったく興味を示さなかった。(笑)

 いよいよ次回から、人類の言語進化の謎を解いていく。



トップ画像は、大分県日出町の糸ケ浜でのフォトウェディング写真。(2021年11月。撮影 軸丸真由美

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