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窓辺でスピッツを聴きながら

最近、家の中にお気に入りの場所ができた。窓辺だ。
リビングに大きな掃き出し窓があり、ベランダに出入りするために空けてあるのだが、そこに小さな折りたたみ椅子とサイドテーブル(どちらも独身時代の夫の持ち物だ)を持ってきた。軽いので、邪魔なときはどかせばいい。

サイドテーブルにマグカップを置く。たいていコーヒーか紅茶だ。
先週は本を読んだ。何度も読んでいる江國香織の「東京タワー」を、読み終わったのにもう一度読んだ。
今日は思い立ってここで朝ごはんを食べ、そのまま膝にノートパソコンを置いてこれを書いている。

4月の風は柔らかい。寒い、ではなく、涼しい、と感じるようになった。
鳥の声が聞こえる。洗濯物が揺れている。遠くで車の音がする。駐車場に出入りする人々の話し声。部屋の中では小さな音でスピッツを流している。

お気に入り曲を集めたスピッツのプレイリストを聴いていると、いろんなことを思い出す。スピッツは息の長いバンドだし、好きな人に出会うことも多いので、思い出が絡まりやすいのだ。

最初は「空も飛べるはず」だった。小学2年生のときの「6年生を送る会」で、全校生徒で歌うことになったのがその曲だったのだ。
私の姉がスピッツを好きだったので、CDを貸してもらって聴いた。姉が持っていたのは、まだウォークマンですらなくて、ポータブルCDプレーヤーだった。信じられるだろうか。外で音楽を聴くために、CDをいちいち持ち歩いていたのだ。
そんなことを不意に思い出した。

先日、一週間の京都旅行をしてきた。一人旅なのをいいことに、ろくに観光もせず喫茶店にばかり入り浸った。京都は喫茶店が多い。
「帰ったら『京都喫茶店巡り』とでも題してnoteを書こう」と、いちいち写真を撮ってきたのだが、なかなか書く気が起こらずだらだらとしている。こうして思うがままにつらつらと文章を書くのは簡単だが、たくさんの情報を手際よくまとめるのは骨が折れるのである。

こうして一人で過ごす時間を心から愛している一方で、寂しい、一人でいたくない、誰かそばにいてほしいと思うのはなぜだろう。
結婚してから、私は寂しがりになったような気がする。一人暮らしのときは、もっと落ち着いていた。一人でいることが当たり前だったから。いまは、毎日ご主人の帰りを待っている犬のような気持ちになる。夫のいない時間を、なんとかやりすごさなければいけないと感じている。

仕事を探そうと思う、と言うと、周りの誰もが賛成した。夫も、主治医も、友人も。
いまは、飲食の仕事がしたいと考えている。人と話すのが好きだからだ。
京都で見つけたバーの雰囲気がとても良くて、あんな店で働けたらいいなぁと思った。毎日いろんなお客さんと話せたら楽しいだろう。ただ、バーで働くと夫との時間が減ってしまうから、喫茶店がいいと思う。
最初に応募した店の面接では落とされてしまったけれど、私はちっとも落ち込んでいない。

心身を追い込んで、限界になって、まる一年休んだ。また働きたいと自分から思えたことを、少しだけ誇らしく思う。
窓辺でスピッツを聴きながら、ほんの少し前進した私の頬を、春の風が撫でていく。

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