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【アンサンブルから考える音楽による対話と共感の可能性】五十嵐沙織×寺内詩織×篠村友輝哉「音楽人のことば」第11回 前編

 節目の10回を迎えて、11回目から何か新しい企画を…と思い、2回に1回くらいのペースで3人で対話する鼎談を組み込むことにしました。鼎談では、既にこのシリーズで対談した方に再登場いただくことが中心になる予定です。
 その1回目として真っ先に思い浮かんだのが、まさに盟友関係と言える五十嵐沙織さんと寺内詩織さんのお二人でした。何度も共演を重ね、また一友人同士としても仲を深めてこられたお二人とのお話でしたので、テーマはやはり、アンサンブルについてです。お二人のアンサンブル観に始まったお話は大変充実したものでしたが、私にとっても、音楽による対話や共感がどういうものなのかを改めて実感できた時間になりました。

五十嵐沙織(いがらし さおり、ピアノ)
1989年、東京都出身。小学校3年生で初めて経験した室内楽で、人と演奏することの楽しさに目覚め、在学中より、室内楽を中心に演奏活動を行う。桐朋学園大学研究科を修了。2017年より2020年まで、上野学園大学•同短期大学部 伴奏要員として勤める。
寺内詩織(てらうち しおり、ヴァイオリン)
桐朋学園大学大学院修士課程、スペイン(マドリード)のソフィア王妃高等音楽院を修了。日本音楽コンクール、ヴィエニアフスキ&リピンスキ、レオポルト・モーツァルト等、数々の国内外のコンクールにて入賞。東京交響楽団、ブルガリア国立ソフィアフィルハーモニー、ニューヨークIMFオーケストラ、桐朋学園オーケストラ等と共演している。オリジナル楽器オーケストラ「バッハ・コレギウム・ジャパン」のメンバー。2019年4月より桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室講師。

ーー「合わせよう」という意識がない

篠村 昨年の6月の配信演奏会で、お二人のデュオを初めて拝聴したのですが、それがとても素晴らしかったので、今回はアンサンブルをテーマにお話を伺いたいと思います。
 僕は、古い録音なんですが、ヴァイオリニストのジョコンダ・デ・ヴィートとピアニストのエトヴィン・フィッシャーの弾くブラームスのソナタ第1番と第3番の演奏が大好きで、それが自分のアンサンブル観の基礎になっている部分があるんです。古い録音ですし、現代の耳からすると技術的な部分など、問題があるといえばあるのですが、本当に現代の演奏にはなかなかない、人間の息遣いを感じる演奏です。その素晴らしさの根底にある意識というのが、「合わせようとしていない」ということだと思うんです。もちろん、五十嵐さんと寺内さんのデュオと、デ・ヴィートとフィッシャーのデュオの特質はまったく違うものだとは思いますが、その「合わせようとしていない」というところ、お互いの呼吸の自然な溶け合いという点では同じ精神が流れていると思いました。
 この間、五十嵐さんと個人的にお話していたときに、お二人のリハーサルの様子を少し伺ったんですが、やはりあまり打ち合わせをしないということでした。そして、1回目は本当にガタガタなんだけれど、2回目からは不思議なくらいスッと溶け合うということでしたね。純粋に音楽だけで対話されている、理想的なアンサンブルだと感じます。

寺内 言葉で言うより、弾いた方が伝わるから、本番中でも「こう来るだろうな」とか予想しちゃうよね。

五十嵐 うんうん。

寺内 長くやっているうちに自然と、合わせようと思わないで自分が思うように弾いても合うようになった。阿吽の呼吸になったよね。

五十嵐 最初からそうであったわけではなかったのだけど。むしろ、最初は私が金魚のフンみたいに(笑)、くっついて弾いていたような。

寺内 そんなことはないけど、大学1年生とかだと、どこか「合わせなきゃ」という意識がまずあったよね。

五十嵐 今は、本当に一ミリも合わせようと思ってないと言っていいくらい、お互い勝手に弾いてるよね(笑)。もちろん曲として合わせるべき部分、集合する部分というポイントは抑えているんだけど、それは相手に合わせるというより楽譜上でそういうことが求められているからという感じ。詩織ちゃんとやるときは、自由度の高さをいつも実感しているから、篠村くんの感想を聴いて、「やっぱりそうなんだ」って思った(笑)。

寺内 やっぱりそう聴こえてるんだなって(笑)。自分たちが感じていることは人にも伝わるんだね。

篠村 共演を重ねていくことで、お互いの呼吸が自然に感じられるようになったということもあると思いますが、友人として仲を深めていることも、アンサンブルにいい影響を与えているのではと思います。

寺内 うん、思うね(笑)。

五十嵐 思う(笑)。例えば、一人では弾けるけど合わせた時に弾きにくくなるような難しい部分で、そこの練習に付き合ってと言えるかどうかとか、それがなじむまでしつこく付き合ってもらえるかとか、そういうのって大きい(笑)。

寺内 ヴァイオリンって、昔から常にレッスンにピアノの先生がついていて、(家で練習しているときには弾けていた部分が)その方と合わせると弾けなくなってしまったりということは子どもの頃から経験しているけど、それはピアニストにもあるんだろうなと思う。そういう細かいすり合わせが気持ちよくいくといい。

五十嵐 共演する相手にそれが言えなくて、頑張っちゃうような相手だとすごく辛い。そういう差には、心が許せているかが関わってくる。

寺内 技術的なことも音楽的なことも自由でいられないよね。

五十嵐 私たちの演奏って似ていると思う?

篠村 五十嵐さんのソロはお聴きしたことがまだありませんが、デュオを聴いた印象で言うと、寺内さんの方が前進していく感じ、強い推進力がある感じがして、五十嵐さんの方が静的というか、落ち着いた穏やかな感じ、という違いはあるかなと感じました。

五十嵐 それはそうだと思う(笑)。

寺内 そうだね(笑)。私は一人だと猪突猛進しちゃうところがあるんだけど、沙織ちゃんがそれを「どうどう」じゃないけど(笑)。欠点を補い合えているという良さもある気がする。

ーーピアノは「伴奏」じゃない!

 自分以外の誰かと弾いている、というのではなくて、音楽という大きな世界の中に共に溶け込んでいくという感覚、共演者が他者であるということを突き抜けていくような感覚を得られたことが、僕自身も少ないアンサンブル経験の中に何度かあります。お二人はいかがですか?

寺内 言葉にするのはすごく難しいんだけど…、お互い同じくらい聴けている、自然に、同時にお互いの音楽の中に入っている。言葉にできない、感覚の世界だよね。

五十嵐 感覚的には、自分の音楽としおりん(寺内さんのニックネーム)の音楽は、「それぞれに」世界を持っているんだよね。相手に合わせる気とかはなく。例えばピアノから始まる曲があって、最初に私が自分の世界の中で音を奏で始める。それに対する反応を持ち合わせて、ピアノの上に詩織ちゃんのヴァイオリンが乗る。その一番最初が結構大事だと思う。アンサンブルってその連続だから。弾いて、反応があって、またそれに対する反応がある。反応はするけれど、作品の内容とは別のところでの反射神経というか、反応の仕方にはそれぞれ違いがあるわけで…。

寺内 お互いがその場で感覚で反応し合っているから、結果として一つの音楽になっているという感じ。それってお互いが、リズムとか速さだけじゃなくて、何がしたいかということろまで同じくらい聴ける人とじゃないとできない。聴き方が同じじゃないとたぶんできないと思う。弾いているときは(そこまで)考えているわけじゃないけれど。

篠村 五十嵐さんと弾くから生まれる寺内さんの表現、寺内さんと弾くから生まれる五十嵐さんの表現、というものがあるのではと思います。

寺内 そうだね。思うようには弾いているんだけど、相手の音楽が自分の音楽に反映している。

五十嵐 しおりんは、「アンサンブルの幹はピアノ。ヴァイオリンはピアノ・ソナタの上に乗っかることしかできない」とよく言っているけれど、そういう感覚を持ってくれているからこそ、私の自由度が高い。そこで「伴奏」にならなくて済むし、だからこそ生み出すことが出来る私の音楽があるわけで、それがすごく嬉しい。奇跡に近いんだろうなとすら思う(笑)。

寺内 「ヴァイオリン・ソナタ」って呼ぶし、立ち位置もピアノの前にヴァイオリンがくるから、そういう錯覚、ヴァイオリンがメインなんだみたいな錯覚を覚えてしまう。でも、どのソナタの楽譜を見ても、ヴァイオリンがメインということはなくて、ピアノの役割が大きい。ヴァイオリニストがそれを意識しているかどうかでピアニストの弾き方も相当変わってくる。

五十嵐 本当にそう思う。

寺内 ピアニストの弾き方が変わってくるということは、音楽の作り方自体が変わってくる。

五十嵐 本当は大前提だよね。あまり共通の認識にはなっていない気がするけど。

寺内 ヴァイオリン・ソナタって、もちろん技術的な点とかは一人で練習できるけど、音楽的なこととかは全然練習にならない。ピアニストがどうくるかで違ってくるから。そういう経験をしているはずなのに、どうしてヴァイオリニストは自分がメインだと思ってしまいがちなのか、いつも不思議に思うんだけど。そう思わない(笑)?

五十嵐 そう思うし、そう思ってほしいよ(笑)。

 「伴奏」っていう呼び方を撤廃すべきだと思いますね(笑)。まあ、実際は伴奏っていう概念がないといけませんから(笑)、撤廃とまでは行かなくても、共演者に対して使う言葉としては失礼というか。協奏曲なんかでも、オケと指揮者の役割って本当に重大だと思うんですね。やっぱりオケがよくないと、どんなにソリストが素晴らしくても打ち震えるような演奏は生まれません。協奏曲のオケや指揮が酷いと腹が立ちます(笑)。歌曲におけるピアノもそうですが、やっぱり大きな背景の世界観みたいなものを担っていると思うんですよ。映画で、どんなに主役の演技が素晴らしくても、背景となる世界が陳腐だと、その演技が生きてこないという感想をもってしまうのと同じで、ヴァイオリンや歌の旋律線が美しく描かれていても、ピアノやオケが魅力的でないと、作品世界が立ち昇ってこないんですね。それだけ重要な存在であるピアノを「伴奏」としてしまうのは、やっぱり違うと思います。

寺内 「伴奏」っていう言い方は、教育の現場で便利だから使われてしまうという面はあるよね。ヴァイオリンの場合、小学生くらいまでは(ピアノとヴァイオリンが対等である)ソナタを弾くようなことってあまりないから、仕方ないと思う部分もあるけど、高校生くらいになったらもうやめた方がいいと思うよね。もしくは、幼少期の教育の時点で指導者がそういうことを教えていくべきなのかもしれないね。

五十嵐 伴奏の仕事なんかでも、生徒さんのレッスンに付いていくと、ピアニストを「伴奏」と思ってただ合わせることを要求してくる先生と、「ピアニスト」と思って私たちが一緒に音楽を作り上げることを前提としている先生に分かれる。
(逆に)ピアニスト自身も、主体性を持たないで、(トリオの場合なら)全体の3分の1なんだとか、「伴奏」であるべきなんだとか思っていてしまうと、譜読みの時点で何か違ってしまう。その最初の譜読みの時間が一番大事な時間だと思うんだけど、そこから在り方自体が変わってしまう。自分への戒めとしてもそう思っていないと…(笑)。

(構成・文:篠村友輝哉)
後編に続く(こちら
鼎談中で言及されているお二人の配信演奏会は、こちらからアーカイヴを視聴できます。
https://youtu.be/dq0wXa8mocQ

《併せて読みたい》
・【古典を見つめ直す】寺内詩織×篠村友輝哉 「音楽人のことば」第1回 前編 https://note.com/shinomuray/n/n74a7d368dde7
・【古典を見つめ直す】寺内詩織×篠村友輝哉 「音楽人のことば」第1回 後編 https://note.com/shinomuray/n/nd59ca39072e3
・【「音楽家である前に人間である」とはどういうことか】五十嵐沙織×篠村友輝哉 「音楽人のことば」第7回 前編 https://note.com/shinomuray/n/n64e2eaa923d2
・【「音楽家である前に人間である」とはどういうことか】五十嵐沙織×篠村友輝哉 「音楽人のことば」第7回 後編 https://note.com/shinomuray/n/nc5a132bcef38

五十嵐沙織(いがらし さおり)
1989年、東京都出身。桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学を経て、同大学研究科を修了。
平成19年度高校卒業演奏会に出演。第28回日本ピアノ教育連盟ピアノ・オーディションにて最優秀賞および萩原和子賞受賞。これまでに江藤亜理子、岡本美智子、上野久子、ケマル・ゲキチの各氏に師事。
また、フィンランドにてM•ラウティオ、静岡音楽館AOI主催「第9期ピアニストのためのアンサンブル講座」において野平一郎、ヴァイオリニストの古澤巌の各氏にアンサンブルを学ぶ。
2013年、ソリストとして、「ラフマニノフ作曲ピアノ協奏曲第2番」をオーケストラと共演。
弦楽器奏者との室内楽を中心に多くの演奏会を自主開催し、国際コンクールやプロオーケストラオーディションの公式伴奏者なども務める。
また、合唱団の伴奏、『Murder for two』等のミュージカルの稽古ピアノや劇伴ピアノにて演奏。
2017年からは、上野学園大学•同短期大学部 伴奏要員として、管楽器奏者の伴奏機会が増えるなど、活動のジャンルを問わず、幅広く経験。
自身の演奏における身体の悩みから、ヨガや占星術などを用いて自分を識っていくこと、また”潜在的なトラウマを癒し続けること”など、様々な観点から探究している。
演奏においても人生においても、『より自由であること』そして『より自分らしくあること』を大切にし、実践しつづけている。
2021年11月には、ピアノソロ、シューベルトの即興曲(全曲)演奏会を開催予定。
ブログ https://ameblo.jp/saoriigarashi-pf/
インスタグラム https://www.instagram.com/saorin50/
寺内詩織(てらうち しおり)
桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学、同大学ソリスト・ディプロマコース、スペイン(マドリード)のソフィア王妃高等音楽院、桐朋学園大学大学院修士課程を修了。これまでに、ヴァイオリンを故工藤千博、辰巳明子、ザハール・ブロンの各氏に、バロックヴァイオリンを戸田薫、寺神戸亮の各氏に師事。
全日本学生音楽コンクール、日本音楽コンクール、東京音楽コンクール、ヴィエニアフスキ&リピンスキ、レオポルト・モーツァルト、フリッツ・クライスラー、シュポア、ボリス・ゴールドシュタイン等、数々の国内外のコンクールにて入賞。東京交響楽団、ブルガリア国立ソフィアフィルハーモニー、ニューヨークIMFオーケストラ、桐朋学園オーケストラ等と共演している。
シャネル主催「ピグマリオン・デイズ」のアーティスト。
オリジナル楽器オーケストラ「バッハ・コレギウム・ジャパン」のメンバー。
徳島県より「とくしま芸術文化奨励賞」を最年少で受賞。現在、徳島商工会議所に委嘱され「とくしまクチコミ大使」を務めている。
2019年4月より桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室講師。
篠村友輝哉(しのむら ゆきや)
1994年千葉県生まれ。桐朋学園大学卒業、同大学大学院修士課程修了。
在学中、桐朋学園表参道サロンコンサートシリーズ、大学ピアノ専攻卒業演奏会、大学院Fresh Concertなどの演奏会に出演。また、桐朋ピアノコンペティション第3位、ショパン国際ピアノコンクールinASIA(大学生部門)銅賞、熊谷ひばりピアノコンクール金賞及び埼玉県知事賞、東京ピアノコンクール優秀伴奏者賞など受賞。かさま国際音楽アカデミー2014、2015に参加、連続してかさま音楽賞受賞。
専門のピアノ音楽からオーケストラ、室内楽、弦楽器、歌曲、コンテンポラリーに至るまで幅広いジャンルで音楽・演奏批評を執筆。東京国際芸術協会会報「Tiaa Style」では2019年の1年間エッセイと演奏批評の連載を担当した(1月号~6月号「ピアニストの音の向こう」、7月号~12月号「音楽と人生が出会うとき」。うち6篇はnoteでも公開)。曲目解説の執筆、演奏会のプロデュースも手掛ける。エッセイや講座、メディアでは文学、映画、美術、社会問題など音楽以外の分野にも積極的に言及している。修士論文はシューベルト。
後進の指導にも意欲的に取り組んでいる。
ピアノを寿明義和、岡本美智子、田部京子の各氏に、室内楽を川村文雄氏に師事。
https://yukiya-shinomura.amebaownd.com

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