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【古典を見つめ直す】寺内詩織×篠村友輝哉 「音楽人のことば」第1回 前編

 対談シリーズ「音楽人のことば」、第1回はヴァイオリニストの寺内詩織さんです。寺内さんとは、桐朋学園の大学院の修士課程の同期です。しかし、実際には学年は5つ上で、学部の在籍期間は重なっていませんでしたし、経験も実績も積まれている方で、修士課程に入った当時はとても遠い存在だと思っていました。
 ところが、修士論文のクラスが同じになったことで、お会いする機会が少しずつ増えたのですが、実際にお話ししてみると寺内さんは大変気さくな方で、修了するころには(論文の打ち上げの席や修了式などで)、論文にまったく関係ない話もできるようになっていました。修了してから、音楽教育について意見を交わす機会があり、そこでとても意気投合しまして、盛り上がりました。

 昨年末、寺内さんが開かれたバッハの無伴奏ソナタとパルティータ全曲演奏会を聴き、多少距離は縮まったかもしれないけど、やっぱり遠い存在だなあと、音楽家としての尊敬を新たにしたところで、改めて音楽について語り合いたいと思いました。そのバッハの演奏会の話に始まって、バロックや古典の音楽について、いろいろなお話を伺うことができました。ごゆっくりお楽しみください。

寺内詩織(てらうち しおり)
桐朋学園大学大学院修士課程、スペイン(マドリード)のソフィア王妃高等音楽院を修了。日本音楽コンクール、ヴィエニアフスキ&リピンスキ、レオポルト・モーツァルト等、数々の国内外のコンクールにて入賞。東京交響楽団、ブルガリア国立ソフィアフィルハーモニー、ニューヨークIMFオーケストラ、桐朋学園オーケストラ等と共演している。オリジナル楽器オーケストラ「バッハ・コレギウム・ジャパン」のメンバー。2019年4月より桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室講師。

ーーバッハの寛容さ

篠村 昨年末のバッハの無伴奏ソナタとパルティータの全曲演奏会、エッセイにも書きましたが、大変すばらしく、印象に残っています。

寺内 ありがとう。

篠村 終えてみて、ご本人としてはいかがでしたか?

寺内 そもそも3時間も弾くというのが大変だった。自分一人で3時間、という演奏会はほぼないし、ヴァイオリンは無伴奏でなければ自分一人がずっと弾き続けるということはないから、(その無伴奏で3時間やるというのは)思ったより大変だなあと。ピアニストは大変だなと思いました(笑)。

篠村 いやいや(笑)。僕がこんなことを言うのも何ですが、全曲演奏に取り組む年齢としては若いですよね? それとも、最近はそうでもないんですか?

寺内 最近全曲演奏が増えてきていて、いないことはないけれど、あまりいないよね。

篠村 バッハが本当にお好きなんだなということが、演奏からも企画からも伝わってきたのですが、バッハのどんなところが好きですか?

寺内 単純に私の性分に合っていると感じるのもあるんだけど…もちろん、ロシアものやロマン派以降の作品も好きなんだけれど、モーツァルトやベートーヴェンくらいまでの音楽は、ある意味楽譜から離れられるというか、幅を持たせてくれていて、演奏者に自由が与えられている。たぶん、多くの人は、どちらかというとバッハやベートーヴェンの方が自由さが少なくて、ロマン派以降の方が自由度が高いと思っていると思うけど、私は逆で。例えば、ロマン派以降の音楽では装飾音とか、楽譜に書かれていない音を弾くということはない。(自由だということは)バロックや古典の音楽はある意味演奏者の腕が試される作品だけど、試されるということは自分の個性を見つけやすいということでもある。そういう自由さを、バッハの音楽に一番感じる。
 日本音楽コンクールを受けた時に、バッハのソナタを全楽章弾くという課題があって、それまで全楽章を弾いた経験がなかったこともあって、どう向き合っていいかわからなかった。そのときに、寺神戸先生(*寺神戸亮:ヴァイオリニスト、指揮者)にバロックヴァイオリンを習って、装飾音を自由に入れることだったり、音型や和声に込められた意味とかを教えてもらって、そういう考え方(演奏者が自発的になっていい)を初めて知ったんだよね。それまでは「(装飾音を入れたりせず)楽譜通りに弾いていればいい」、「先生の言ったことをすればいい」と思っていた。苦労したけれど、バッハと向き合ったことで、他の曲に対する見方も変わったというか、彼に向き合ったことが、音楽家としての原点になっていて。

篠村 なるほど。僕にとってそういう存在はシューベルトですね。シューベルトの音楽って、作りこんだり、演奏家が自我を出そうとするとすぐに音楽が崩壊してしまうところがあって、だから、シンプルに音楽そのものに寄り添っていなければ、シューベルトの声は聴き取れない。そんなシューベルトにのめり込むうちに、シューベルトに限らずそうあるべきだなと思ったんです。どんな作品にも、自分がどう弾きたいかよりも、まず作品が何を語り、歌っているのかに耳を澄ます。そういう接し方をする方が、作曲家の心と対話できるような気がするんです。
 僕はペヌティエ(*ジャン=クロード・ペヌティエ:フランスのピアニスト)というピアニストを尊敬しているのですが、バッハの音楽が自由だという話を聴いていて、彼の言葉を思い出しました。彼は、表現というのは、演奏者としては自分の信念や解釈を確固として表現しないといけないけれど、どこかに自分と感じ方が違う人にもその表現が届くようなスペースがなければならない、というようなことを言っているんです。表現の余裕というか…そういう寛容さがまさにバッハの音楽にあるんですね。だから、一義的ではなく多義的で、演奏家や聴き手によってさまざまな捉え方ができる。

寺内 確かに、自分としてはこう弾きたいという思いはあるけど、どんなスタイルで弾かれても受け入れられる自分もいる。バッハはポップスに編曲されてもそれほど違和感なく聴けるし、バッハがいなかったら地球上にこれほどいい音楽は生まれてなかったと思う。だからやっぱりバッハはありとあらゆる作曲家の中でも偉大だなあと。

ーー「再現芸術」という言葉は正しくない

篠村 全曲演奏会では、繰り返しもすべて行って、文字通り「全曲」聴かせていただきました。その繰り返しの際に(先の話に出たように)いろいろなヴァリアントや装飾音を積極的に加えていたのが印象的だったのですが、その場の気持ちで思いつくままに入れていたのか、周到に用意していたのか、どちらだったのですか?

寺内 本当はその場の思い付つきで入れたいのだけど、さすがに難しいから、何通りか用意をしておいて、どれにするかはその場で決めた、という感じかな。

篠村 そういう装飾音などの遊びによって、いろいろな表情が生まれますが、それは演奏する人のクリエイティブな精神から生まれるものですよね。

寺内 クラシックは「楽譜通りに弾け」と言われているけれど、バッハやモーツァルトの時代はむしろ即興を取り入れる方が当たり前だった。私たちは「再現芸術」と言っているけれど、演奏とはもともとクリエイティブなものだったはず。ジャズとかと一緒だよね。
 最近思うのは、クラシックの演奏では、ある時期からそういうクリエイティブな面が抜け落ちてしまったということ。本来の姿を戻したいけどね。でも現代は、ヴァイオリンやピアノの演奏に求められる技術のレベルが上がっていて、楽器の弾き方を習得させることに時間がかかってしまって、そういう教育がなかなかできなくて、クリエイティブなことができる人が育ちにくい。

篠村 音楽というのは、純然たる即興演奏を別にすれば、まず作品があることが前提です。でも僕は、音楽は作曲家と演奏家の共同創作という面があると思います。五線譜に作曲家が音を書いただけでは空気は振動しません(笑)。演奏家が音を出すことで、はじめて作品として成立、完成するわけです。

寺内 今は作曲家と演奏家が分かれているけど、昔は作曲した人も演奏していたでしょう? 現代は演奏と作曲が、別のもののように感じてしまう。本当はそれが一緒のものであることを教育していくべきなんだよね。

篠村 寺内さんはどういう方法を教育の場に取り入れたらいいと思いますか?

寺内 アルマ・ドイチャーっていう女の子知ってる? 現代のモーツァルトと言われていて、その子は作曲もピアノもヴァイオリンも習っているんだけど、昔の作曲家が即興を習っていたように、先生が出したお題を変奏していくというレッスンを受けているというのを聞いたことがあって。演奏と作曲が分かれていなくて、今のクラシック界に必要な教育のいい例だと思う。そういうマルチな教育が必要なんじゃないかな。私もそういう教育を幼少期に受けていたかったなあと。受けていたら、もっと今楽しめただろうなあと思うし。

篠村 「再現芸術」という言葉が出ましたけれど、「楽譜通り弾く」ということを、本当に文字通り実行することは、実は厳密な意味では「再現」にはなっていないことになると思うんです。つまり、当時は作曲者が自作を弾く場合、アインガングを弾いたり、装飾の入れ方を毎回変えたりしていたわけですから、そういうものがないということは、作曲家の意図を「再現」したことにならない。

寺内 ロマン派以降の音楽でそういうこと(アドリブや装飾を入れる)をすることはあまりないけれど、バロックや古典の音楽ではそういうことになるよね。

篠村 でも、それはそのときどきで変わるものですし、単純に、そういうものがなくても演奏が素晴らしければそれがすべてです。「再現」という言葉はやはり適切ではないような気がします。

寺内 それに、古楽器で演奏する場合でさえ、ピッチが必ずしも当時と同じじゃない。そもそも、音楽という消えてしまうものに「再現」とつけること自体おかしい。厳密には再現できないんだから。

篠村 同じ演奏は2回できませんからね。

寺内 自分でだって同じように弾けないんだから、そもそも再現にはなっていないはずだよね。

篠村 バッハやモーツァルトといった作曲家の作品は、250年、300年くらい前の音楽ですから、時代がもう、現代とは別世界と言っていいくらい違うわけです。だから、彼らが生きていた時代に演奏されていたように演奏しても、現代に生きる人の心には届かないと思うんです。なのになぜか、そのとき弾かれていたように弾くことを目指しているような節がある。だけどやっぱり、今の時代に生きている自分にとって、その作品の何が魅力なのか、という視点から見つめなおすということの方が大切なはずです。

後編につづく)
(構成・文:篠村友輝哉)

寺内詩織(てらうち しおり)
桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学、同大学ソリスト・ディプロマコース、スペイン(マドリード)のソフィア王妃高等音楽院、桐朋学園大学大学院修士課程を修了。これまでに、ヴァイオリンを故工藤千博、辰巳明子、ザハール・ブロンの各氏に、バロックヴァイオリンを戸田薫、寺神戸亮の各氏に師事。
全日本学生音楽コンクール、日本音楽コンクール、東京音楽コンクール、ヴィエニアフスキ&リピンスキ、レオポルト・モーツァルト、フリッツ・クライスラー、シュポア、ボリス・ゴールドシュタイン等、数々の国内外のコンクールにて入賞。東京交響楽団、ブルガリア国立ソフィアフィルハーモニー、ニューヨークIMFオーケストラ、桐朋学園オーケストラ等と共演している。
シャネル主催「ピグマリオン・デイズ」のアーティスト。
オリジナル楽器オーケストラ「バッハ・コレギウム・ジャパン」のメンバー。
徳島県より「とくしま芸術文化奨励賞」を最年少で受賞。現在、徳島商工会議所に委嘱され「とくしまクチコミ大使」を務めている。
2019年4月より桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室講師。
篠村友輝哉(しのむら ゆきや)
1994年千葉県生まれ。6歳よりピアノを始める。桐朋学園大学卒業、同大学大学院修士課程修了。
在学中、桐朋学園表参道サロンコンサートシリーズ、大学ピアノ専攻卒業演奏会、大学院Fresh Concertなどの演奏会に出演。また、桐朋ピアノコンペティション第3位、ショパン国際ピアノコンクールinASIA(大学生部門)銅賞、熊谷ひばりピアノコンクール金賞及び埼玉県知事賞、東京ピアノコンクール優秀伴奏者賞など受賞。かさま国際音楽アカデミー2014、2015に参加、連続してかさま音楽賞受賞。
ライターとしては、演奏会のプログラムノートや音楽エッセイを中心に執筆している。東京国際芸術協会会報「Tiaa Style」では2019年の1年間連載を担当した(1月号~6月号『ピアニストの音の向こう』、7月号~12月号『音楽と人生が出会うとき』。うち6篇はnoteでも公開)。エッセイや、Twitter、noteなどのメディア等で文学、美術、社会問題など音楽以外の分野にも積極的に言及している。
演奏、執筆と並んで、後進の指導にも意欲的に取り組んでいる。
ピアノを寿明義和、岡本美智子、田部京子の各氏に、室内楽を川村文雄氏に師事。

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