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【アンサンブルから考える音楽による対話と共感の可能性】五十嵐沙織×寺内詩織×篠村友輝哉「音楽人のことば」第11回 後編

(前編はこちら

ーーよいアンサンブルのために必要なこと

篠村 演奏するって、楽譜から音楽を聴き取って、それを体現、実現するということですよね。つまり、厳密に見ていくと、音を出す前にまず聴くという作業があるということです。その音楽の聴き取り方というのが、お二人はお互いに近いと感じているのか、そのあたりはいかがですか?

寺内 同じように感じているなと思うこともあるし、違うように感じているなと思うこともあるけど、でも違う感じ方をしていたとしても、(それによって)こちらから面白い反応が出ることもある。同じ方向で弾かなくても、音楽は成り立つ。そこも面白い。

五十嵐 私も大体一緒で、この間篠村くんにも言ったように、合わせの一回目はいろんな意味でガタガタで(笑)、だから、その時点では必ずしも似ているわけでもないんだけど、私も弾きながら相手の音に素直に寄っていくこともあるし、知らぬ間にしおりんが寄ってきたなと思うこともある。

寺内 回数を重ねることの方が大事だよね、私たちの場合は。

五十嵐 そうだね、同じ時を過ごす、というか。さっき(前編で)「一人でソナタは練習できない」って言っていたけど、こう弾きたいっていうことを、合わせてみる前に言ってくるような人もいるのね(笑)。しおりんはそういうことが全くないんだけど、(寺内さんの中の)「こう弾きたい」っていうものは、合わせのときには置いてきているの?

寺内 そうね。でもこう弾きたいというのはあっても、相手と音楽にしてみたら理想と違ったということはあることで、弾いてみたらその理想自体、本当の理想じゃなかったり、(想定していたのとは)違うやり方で理想だったものになったり。

五十嵐 ああ、そういうことって多いよね!

篠村 やっぱり、さっき(前編で)も言った自分一人では出て来なかった面が出てくるということですね。
 お二人のアンサンブルの関係性とは逆に、あまり波長が合わないこともありますよね(笑)。もちろん、同じ楽譜を弾いているわけですから、ある程度のスキルがあれば何となく形にすることは可能ですが、どこか居心地の悪さを感じてしまう。そういう経験が僕にもあります。

寺内 沙織ちゃんとやるときにはもちろん感じたことはないけれど、そういう居心地の悪い経験をしたことはたくさんあるね。

五十嵐 それは何が原因だと思う?

寺内 単純に、音楽の感じ方の違いだと思う。

篠村 やっぱりそうですよね。

寺内 別に弾けてないわけではないし、経験もある人同士でも、どうしても合わないということがある。これって、(室内楽に限らず)指揮者とソリストにもあることで、協奏曲を弾くときっていうのは、デュオの時のピアニストの役割を指揮者とオーケストラがやっていて、すごく弾きやすい方は、何も言わなくても、毎回違うことしても反応してくれる。私もその反応に対して返せる。逆に、本当に相性の合わない方とやると、本当に居心地が悪い。それこそさっき沙織ちゃんが言ったように、合わせてみる前にここはこうしたいと理屈で説明してくる方とかに限って、やっぱり合わないし、聴くのがうまくないという印象がすごくある。合わないときほど口で説明しちゃうんだよね。そういうときはアンサンブルがうまくいってない。

五十嵐 その人のコミュニケーション能力とか、その人の日ごろからのコミュニケーションの取り方とかも影響するよね。(よくない例では)人数が増えると、メンバーの中で上下関係が出来てしまったり。私なんかは平和主義だから(笑)、議論みたいになるとあまり言えなくなっちゃう。

篠村 ここをどうしたい、どういう計画があるかとかを、逐一説明するのもされるのもちょっと疲れますよね(笑)。音を出してみる前に打ち合わせから入るというのは、音楽の前提を否定することになってしまいますね。一緒に演奏するときっていうのは、こちらから相手に働きかけるというよりは、聴き合うという感覚の方が大事なんですね。相手の発している音、音楽を聴く、その聴き合う波長のようなものを感じ取るというところ。例えば、「話が合う」って感じるときって、合わせようとしなくても話が通じるから「話が合う」と言いますよね。アンサンブルもそれと全く同じで、アンサンブルが対話に喩えて語られるのは、だからだと思うんですね。お二人の演奏は、その聴き合っている関係性が素敵だなと感じます。

五十嵐 いいアンサンブルができる人って反応してくれる。それはちゃんと(相手の音を)聴いているということ。で、聴いてないってどういう状態なのかなというと、私が思うのは、その人が「その場」にいない、その日その瞬間の音を聴いていないということ。家で練習したこととか、自分(だけ)の理想しか見えていない。そのときの音ではなく頭の中になっている音しか聴いていない。だからまず打ち合わせから入るっていうのはまさにそういうことで、その場所にいてくれないと、よりよくしていくことすらできない。そうするとそれこそ(前編で話したような)「伴奏」をするしかなくなる。このことを伝えてガラッと変わってくれる人もいるけど、全く理解してくれない人もいる(笑)。

篠村 自分の中のその曲へのイメージが固定観念のようになってしまっていて、例えば僕の弾き方がその人にとってはある意味新鮮なものだった(のであろう)ときに、それにフレキシブルに反応するのではなくて、「そうやって弾くの?」と言われてしまったこともあります(笑)。

寺内 聴ける余裕があるかということろが大事だね。

ーー音楽による対話、共感の可能性

篠村 最近、音楽っていうのは感覚的な遊びだから、それによって生まれる共感なんて錯覚にすぎない、という考え方に接することもあるんですが、僕自身はやっぱり、音楽による共感は可能だと信じています。以前エッセイにも書いたことなんですが、音楽によって対話すること、共感することは可能なんだと確信した出来事があります。2017年の桐朋の作曲作品展で、向井響さんの作品を聴いたときのことなんですが、その作品から僕は非常に自虐的な、鬱屈したものを感じたんですね。それで、感想を共通の友人の濱島祐貴さんに話したら、彼がそれを向井さんに伝えてくださって、向井さんからメールが来たんです。そうしたら、僕の感じたことがまさに自分の表現したいことだった、作曲当時感じていたことだったということが書かれていたんです。音楽によるコミュニケーションってこういうことなんだなと思ったんですね。つまり、彼の抱えているものを、音楽によって直接言葉で打ち明けられる以上に深く受け取ることができる。そういう言葉のない対話、そこに音楽の共感があると思ったんです。

五十嵐・寺内 (強く頷く)

篠村 だから僕は、音楽っていうのは、何かこうフワフワした言葉で語られることが多いですけど、仮に作品から宇宙的なものとかそういうものを感じたとしても、根本的な部分はそういう人間を超越したところにあるようなものではなくて、やっぱりあくまでも作曲家とか演奏家が今ここに存在しているということと切り離せないものだと強く思うんです。

寺内 クラシックって、何百年も前に書かれたような曲をいろんな演奏家が弾く、という世界だから、人間と音楽を切り離すような考え方も出てくるんだと思うんだけど、作曲家の意図したことだけをやるんだったら、(演奏家は)世界に一人でもいい。でもそこと違ったところに価値があるから、演奏家がたくさんいて、そこに存在意義がある。

篠村 結局、音楽から受けたものが音楽内で完結しているのか、音楽の外に出たときにもなにがしかの影響があると考えるのか、という音楽観の違いなのかもしれないですね。音楽そのものを目的とするのか、音楽を受け取ることで生きることそのものが変わると考えるのか。

五十嵐 あー…。

篠村 僕は音楽界の内部にいつつ、外側にもいるようなことをやっているのでよくわかるんですが、音楽をやる、作曲するとか演奏するって、やっぱり本当に大変なことですよ(笑)。当然にできることじゃなくて、心身を削って何事かを表現している。もちろん、まずは音楽そのものに感動する、音楽そのものを理解する、楽しむということが大事です。でも、そういう尊い行為が人間や社会に対して影響力を持ち得ないと考えてしまうのは、何かすごく音楽を閉じられたものにしてしまうことのように思うんですね。

五十嵐 人生に対しての真剣度がないといけないというか…。でもそういうことって、伝わらない人には伝わらないというか、たくさんの人に伝わるものでもないのかなとも思うね。

寺内 人それぞれ違う人生だから、その歩み方で価値観も変わってくるし。聴衆が100人いたとして、その100人が同じように感じるということはあり得ないだろうし。だからこそ、解釈の自由とかがあっていいものだとも思うし。

 いい演奏やいい演奏に共通していることっていうのは懐の深さですよね。たとえ聞こえているもの、見えているものが違ったとしても、その世界に入っていけるような、そういう幅がある表現というのが素晴らしい表現だと思います。2019年の寺内さんのバッハのリサイタルや、お二人の昨年のデュオも、本当に幅の広い、生きていることに対して何か影響を与えてくれるような演奏で、改めて、素晴らしかったです(笑)。

五十嵐・寺内 ありがとう(笑)。

寺内 それってやっぱり私たちが感じているようなことを篠村くんも感じているから、そう感じられるんだと思う。

五十嵐 そういう方が一人でも聴いてくれているというのがすごく嬉しい。「伝わっている」っていう実感が得られる。

篠村 僕は批評もやっているので、いい聴き手でありたいとも常に強く思っています。だからそれは僕にとっても嬉しいお言葉です。
 今回のお話との関係で結論的なことを言うと、お二人のようなアンサンブルの関係性を、演奏者と聴衆の関係にまで拡大していくことができれば、音楽による共感の可能性が広がるんじゃないかと思うんです。今、「いいね!」とか、共感が消費されるものになってしまっている。確かにそれはそれで楽しい部分もあるんですが、他方でそういう共感は、共感されればされるほど満たされなくなってしまうものでもある。でも、音楽や芸術の対話で生まれた共感というのは、反芻可能な共感というか。もちろん、音楽というのは消えてしまって再現不可能なものですし、記憶の中で変質してもいるかもしれない。でも、そのときに感じたことというのは、その人の中に残り続けると思っています。
 今回改めてお二人で音楽についてお話されてみて、いかがでしたか?

寺内 とにかくまた一緒に弾きたいね(笑)。

五十嵐 本当に。昨年はほとんどできなかったからね。今、ソロを中心に練習していて、これまではアンサンブルの機会が多かったからなかなかそういう時間が取れなかったのだけど、ソロに集中した後でアンサンブルをやるのが楽しみ。アンサンブルをよりよくするためには自分が成長し続けなきゃというか、相手に何かを求めるんじゃなくて、常に自分の責任として引き受けていくというか。そこが詩織ちゃんとの共通点の一つかなとも思いました。

寺内 確かに自分が停滞しているとだめだよね。ずっと進み続けてないといいものは弾けないよね。

篠村 深化し続けるお二人の世界をまた楽しみにしています。ありがとうございました。

(構成・文:篠村友輝哉)

鼎談中で言及されているお二人の配信演奏会は、こちらからアーカイヴを視聴できます。
https://youtu.be/dq0wXa8mocQ

《併せて読みたい》
・未来を拓く音――寺内詩織のバッハ https://note.com/shinomuray/n/n2467f6d2e693
・【古典を見つめ直す】寺内詩織×篠村友輝哉 「音楽人のことば」第1回 前編 https://note.com/shinomuray/n/n74a7d368dde7
・【古典を見つめ直す】寺内詩織×篠村友輝哉 「音楽人のことば」第1回 後編 https://note.com/shinomuray/n/nd59ca39072e3
・【「音楽家である前に人間である」とはどういうことか】五十嵐沙織×篠村友輝哉 「音楽人のことば」第7回 前編 https://note.com/shinomuray/n/n64e2eaa923d2
・【「音楽家である前に人間である」とはどういうことか】五十嵐沙織×篠村友輝哉 「音楽人のことば」第7回 後編 https://note.com/shinomuray/n/nc5a132bcef38

五十嵐沙織(いがらし さおり)
1989年、東京都出身。桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学を経て、同大学研究科を修了。
平成19年度高校卒業演奏会に出演。第28回日本ピアノ教育連盟ピアノ・オーディションにて最優秀賞および萩原和子賞受賞。これまでに江藤亜理子、岡本美智子、上野久子、ケマル・ゲキチの各氏に師事。
また、フィンランドにてM•ラウティオ、静岡音楽館AOI主催「第9期ピアニストのためのアンサンブル講座」において野平一郎、ヴァイオリニストの古澤巌の各氏にアンサンブルを学ぶ。
2013年、ソリストとして、「ラフマニノフ作曲ピアノ協奏曲第2番」をオーケストラと共演。
弦楽器奏者との室内楽を中心に多くの演奏会を自主開催し、国際コンクールやプロオーケストラオーディションの公式伴奏者なども務める。
また、合唱団の伴奏、『Murder for two』等のミュージカルの稽古ピアノや劇伴ピアノにて演奏。
2017年からは、上野学園大学•同短期大学部 伴奏要員として、管楽器奏者の伴奏機会が増えるなど、活動のジャンルを問わず、幅広く経験。
自身の演奏における身体の悩みから、ヨガや占星術などを用いて自分を識っていくこと、また”潜在的なトラウマを癒し続けること”など、様々な観点から探究している。
演奏においても人生においても、『より自由であること』そして『より自分らしくあること』を大切にし、実践しつづけている。
2021年11月には、ピアノソロ、シューベルトの即興曲(全曲)演奏会を開催予定。
ブログ https://ameblo.jp/saoriigarashi-pf/
インスタグラム https://www.instagram.com/saorin50/

寺内詩織(てらうち しおり)
桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学、同大学ソリスト・ディプロマコース、スペイン(マドリード)のソフィア王妃高等音楽院、桐朋学園大学大学院修士課程を修了。これまでに、ヴァイオリンを故工藤千博、辰巳明子、ザハール・ブロンの各氏に、バロックヴァイオリンを戸田薫、寺神戸亮の各氏に師事。
全日本学生音楽コンクール、日本音楽コンクール、東京音楽コンクール、ヴィエニアフスキ&リピンスキ、レオポルト・モーツァルト、フリッツ・クライスラー、シュポア、ボリス・ゴールドシュタイン等、数々の国内外のコンクールにて入賞。東京交響楽団、ブルガリア国立ソフィアフィルハーモニー、ニューヨークIMFオーケストラ、桐朋学園オーケストラ等と共演している。
シャネル主催「ピグマリオン・デイズ」のアーティスト。
オリジナル楽器オーケストラ「バッハ・コレギウム・ジャパン」のメンバー。
徳島県より「とくしま芸術文化奨励賞」を最年少で受賞。現在、徳島商工会議所に委嘱され「とくしまクチコミ大使」を務めている。
2019年4月より桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室講師。

篠村友輝哉(しのむら ゆきや)
1994年千葉県生まれ。桐朋学園大学卒業、同大学大学院修士課程修了。
在学中、桐朋学園表参道サロンコンサートシリーズ、大学ピアノ専攻卒業演奏会、大学院Fresh Concertなどの演奏会に出演。また、桐朋ピアノコンペティション第3位、ショパン国際ピアノコンクールinASIA(大学生部門)銅賞、熊谷ひばりピアノコンクール金賞及び埼玉県知事賞、東京ピアノコンクール優秀伴奏者賞など受賞。かさま国際音楽アカデミー2014、2015に参加、連続してかさま音楽賞受賞。
専門のピアノ音楽からオーケストラ、室内楽、弦楽器、歌曲、コンテンポラリーに至るまで幅広いジャンルで音楽・演奏批評を執筆。東京国際芸術協会会報「Tiaa Style」では2019年の1年間エッセイと演奏批評の連載を担当した(1月号~6月号「ピアニストの音の向こう」、7月号~12月号「音楽と人生が出会うとき」。うち6篇はnoteでも公開)。曲目解説の執筆、演奏会のプロデュースも手掛ける。エッセイや講座、メディアでは文学、映画、美術、社会問題など音楽以外の分野にも積極的に言及している。修士論文はシューベルト。
後進の指導にも意欲的に取り組んでいる。
ピアノを寿明義和、岡本美智子、田部京子の各氏に、室内楽を川村文雄氏に師事。
https://yukiya-shinomura.amebaownd.com

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