俯瞰で感じた『他人』と自分の関係
前回、時間の経過について書いた。
時間の流れを、俯瞰でその時の流れがまるで見えるのかのような感覚を覚えたあの時期に、“人と自分”の関係についても思った事があったので書き留めておきたい。
母を亡くした直後に外を歩いていた時、
「この、今目に入ってきてる人々は、今私が抱えてる壮絶な悲しみを知る由もなければ、知ったところで彼らの生活は何も変わらないんだよなぁ」
と、
“他人と自分”というとてつもない大きな境界線を、
まるでその境界線が壁となって見えてしまうんじゃないかと思えるほどしっかり感じた。
元々物事を俯瞰で見たり感じたりする癖のある私でさえ、そんな感覚を感じられたのは母を亡くした直後だったからだと思う。
だからこそなのか、その時改めて強く思った事がある。
『自分の大切な人達を笑顔に出来るように
生きよう。
自分の事を大切にしてくれる人達を
ちゃんと大切にしよう。
今まで多くの人々が自分のために立ち止まって
手を差し伸べてくれたじゃないか』
と。
私は母の病気発覚から他界まで、
本当に多くの方々に手を差し伸べてもらい、
アドバイスや体験談をいただいたり、
私の弱音や悩みを聞いてもらったり、
時には私が喜ぶようなことをしてくれたりと、
本当に沢山の人々に支えてもらった17年間だった。
この場を借りて、そんな沢山の方々に心から感謝したい。
自身の大切な人を亡くした経験を涙ながらにお話ししてくれた方々も多くいて、その度に今を大切にしようと思ったものだった。
家族ではない、「他人」にとにかく救われて、
人と人との繋がりや優しさをビリビリと感じられるのは自分が辛い時ならでは。
大変な局面に立たされると学ばさせられる事や、有難いと再認識させられる事が本当に増える。
私は今現在が未だ例え他人であろうとも、
「介護」というとんでもない大きなミッションにこれから立ち向かっていく人、
今その真っ只中にいて苦しい人、
私のように介護を終え別れを経験して悲しみから抜け出せない人など、
もし『介護』という共通点で大きく括ったとして。
私が、というよりも(もちろん私もだけど)、
共通点を持った人々が心の手を差し伸べ合う(というのはこれまたもしかしたら大袈裟かもしれないけど)、
話して、
聞いて(読んで、か)、
それぞれの中で吸収・消化出来て肩にのしかかってるものが例えほんの少しでも軽くなったら嬉しいと思っており。
自分の経験や思考を言葉にし、本当に必要としてる人に届く日が来たらいいなと思っている。
プロの方からの言葉などもシェアし合っていけたらいいな。
これから介護や介護始めたばかりの人はこれから起こりうる現実を知ったりするのは特に最初は辛いかな。
でも受け止めて参考にして欲しい。
その受け止め方や、私が受け入れた方法もこれからちゃんと書いていこうと思っている。
介護する側の私達が忘れがちでわかっておくべき事は
『罪悪感を捨てる』
『介護する側の健康と幸せは介護される側に影響する』
『自分は1人じゃない』
『わかってくれる人達は沢山いる』
『今という時間を大切にする』
という事。
今後は読んでて辛くなる表現も少し出てくるかな。実体験からの現実描写と考え方は時として表現が厳しいものとなる事もある。
でもそれをしっかり書かないとただのキラキラさせたいニオイぷんぷんの胡散臭い物語になってしまう。
介護はそんな甘いものじゃないから、
実際どうだったのか、
辛かった事をどう乗り越えたか、
トライアンドエラーをどう繰り返したかを書いてこそ、本当の体験者のリアルってもんだ。
次回は最後の『今という時間を大切にする』事について書いていきたいと思う。今回も読んでくださりありがとうございました。
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