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21歳での母の若年性アルツハイマー発見から、介護と別れまでの記録と介護を終えて思う事。…

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21歳での母の若年性アルツハイマー発見から、介護と別れまでの記録と介護を終えて思う事。 これから介護する人へ。今介護してる人へ。 介護者が幸せであって欲しい。 そのために知っておいて欲しい事。忘れないで欲しい事。 みんなで話して、苦しみが少しでも軽くなる世の中になって欲しい。

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介護する家族側のリアル。親の介護をした娘の本音とこれから介護に立ち向かう人へのエール。

試行錯誤して介護に家族で向き合い、 母の若年性アルツハイマー発症からアルツハイマー型認知症に進行し、他界するまで付き合って生きてきました。 もしどこかに経験者の声を必要としてる誰かがいるのなら、 私達の経験や考え方を届けて少しでもその誰かの心を軽くしたい。 私達が母の病気を発見した時は情報も少なく、介護してる側の声がとにかく無くて苦しかったので。 これから誰かの介護をしなくてはいけなくなってしまった人、 今介護中で苦しい人、 どうしたらいいのかアイデアが出ない人、 自分を

    • 福祉理美容師の資格取りましたー!

      コロナでずれ込み2年越しのリベンジ。 福祉理美容士の資格取りました! 福祉や介護は本当に奥が深い。目から鱗の知識と情報と実技。 知らない事を知る喜びを感じました。(介護士さん看護師さん心から尊敬。) コロナ前の2019年、休みの日に母の施設でボランティアでカットしていたのがきっかけ。 3回してあげられたかな。 最初は施設でカットしてる方も仕事でされているので遠慮してたんですが、どうしても母の髪が気になって施設の方に「母の髪切らせてもらえませんか」とお願いして。 母のカッ

      • 認知症の母をニューヨークに連れて行った時に準備した事。実際役に立った事。

        アルツハイマー型認知症だった母をニューヨークに連れて行った時、実際にした準備と利用したサービス、実際役に立ったと思った事を書いていきます。 進行している認知症でも準備しておけば、楽しく旅行にだってきっと行けます。 主治医への相談と判断、絶対あったほうがいい診断書。 きちんと身体の状態を考慮してOKもらいました。 もしなんかあった時の診断書も書いてもらいました。 もし具合が悪くなったり、パニックを起こして病院に行かないと行けなくなった場合に、現地のドクターに渡す用の物です。

        • 思い出作りは「忘れても大丈夫だよ」という心構えで。アルツハイマー型認知症の母とNYへ!

          覚えておいてもらおうなんて夢のまた夢。 こちらが覚えておくから忘れていいよという心構えで。 良い思い出を作ってあげたいと思って色々すると、忘れられた時に辛くなる。 思い出作りは全て自分達のため。 最後の別れを迎えた後も自分達が覚えておくため。 母の認知症が進行した後も、私達は本当に色んな事を母としました。 沢山おでかけもしたし、旅行もしました。 びっくりされるのは、進行が進んでから年数を離して2回、私の住んでいたニューヨークに連れて行った事。 大体お出かけ等をした後は調

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          「恥ずかしい」を捨てる利点。母の介護でやって良かった事。

          あれはまだ母もかなり動けていた初期の頃だったと思います。 私が23〜24歳くらいの時。 私は海外に住んで既に仕事をしていたので、日本には一年に2度くらいのペースで一時帰国しつつ、帰国した時に物事を一気に進める役割を担っていました。 病気を発見したのも私、一番病気について知識があったのが私だった事から、司令塔のようなポジションにいました。 あるあるだと思うんですが、うちの父は到底母の病気を受け入れる事が出来ず、病気を事実として認識はしていたけど、全く向き合えていませんでした

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          母の超初期の若年性アルツハイマーを発見した私が声を大にして伝えたい事。

          17年間。 =6205日。 =148,920時間。 母の病気が発覚してから永眠するまでのおおよその時間。 長い、方だと思う。時に若年性アルツハイマー患者としては。 この長い時間を母と過ごせたのは何を隠そう、発見が早かった、からとしか言いようがない。 医者も驚いたほどなのだ。 経過を学会にレポートしたいと治験をお願いされたほどなのだ。 全ての始まりは一本の電話だった。 ある日、日本に国際電話をかけた日の事。 日本時間は午前11:30くらいだったと思う。お昼ちょっと前く

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          最悪だと思った今日が、1年後にはあの時は良かったと嘆く。 今出来る事に感謝。

          介護をする上で何よりも今先にお伝えしておきたいことを優先的に書いておこうと思います。 なぜならこうしてる間にも時間は過ぎていくからです。 今日も一日、介護お疲れ様でした。 疲れましたよね。わかります。 心休まる時間、少なくてやんなっちゃいますよね。 一度でも笑いましたか?顔こわばってませんか? 鏡に向かってでもいいので、自分に笑いかけてあげましょう。 嘘でもいいので、今日も楽しかったと言いましょう。 なぜなら今日という日が絶対に恋しくなるからです。 今日、何言ってるかわ

          最悪だと思った今日が、1年後にはあの時は良かったと嘆く。 今出来る事に感謝。

          俯瞰で感じた『他人』と自分の関係

          前回、時間の経過について書いた。 時間の流れを、俯瞰でその時の流れがまるで見えるのかのような感覚を覚えたあの時期に、“人と自分”の関係についても思った事があったので書き留めておきたい。 母を亡くした直後に外を歩いていた時、 「この、今目に入ってきてる人々は、今私が抱えてる壮絶な悲しみを知る由もなければ、知ったところで彼らの生活は何も変わらないんだよなぁ」 と、 “他人と自分”というとてつもない大きな境界線を、 まるでその境界線が壁となって見えてしまうんじゃないかと思える

          俯瞰で感じた『他人』と自分の関係

          時間の経過の大切さ。そして残酷さ。

          母の永眠から4ヶ月ちょい。 無意識で溢れてくる涙も止まり、今では母の幸せを笑って願える様になった。 「時間が解決してくれる」とはよく言ったもので、本当にその通りなんだと思う。 心に穴が空いたような感覚はもちろんあるけど、 時間の経過と共に自分らしい生活を取り戻せている感覚の方が強くなってきている。 とゆうよりも、むしろ、 「新しい価値観を持った自分による」自分らしい生活を送り始めた と言った方がいいのかもしれない。 時間について思った事があるのでここで書き留めておきたい。

          時間の経過の大切さ。そして残酷さ。