もうテレビから見放されているのに
幼い頃からテレビは大好きだが、一定数見方の分からないテレビがある。
この前チャンネルを回していると、激辛料理を食べるバラエティ番組が流れた。様々な人が汗をかき、顔をしかめて赤々としたスープを飲んでいる。
しかし、なぜ頑張ってるのかが分からない。彼らは競い合うためでも、賞金のためでもなく、ただ辛い料理を食べていた。
辛い辛いと言いながら、(嫌ならやめれば良いのに)汗をかいて弱音を吐きながら辛い料理を食べている。意味がわからなかった。
悶絶の顔でギブアップして悔しそうな表情を見せ、ナレーションも同じように残念がる。だが、ギブアップしたからといって罰ゲームがある訳でもない。
例えば、激辛料理を食べ切れば1000万円の借金がチャラになるのなら、泣きながら激辛にチャレンジする挑戦者を思いきり応援できる。しかし、彼らは食べきろうが食べきれなかろうが何も変わらない。
激辛を食べ進める女優は泣きそうだし、それをスタジオで眺めてるタレントは「辛そう、がんばれがんばれ」などと言っている。地獄だ。
フリのないドッキリもよく分からない。
突然パイをぶつけられる、突然水をかけられる、なんてのはドッキリというよりイタズラに近い。それを見ても可哀想だな、という感想しか湧かない。ドッキリはフリがあって初めて成立するものだと思う。
女性の共演者に手を出そうとした芸人を懲らしめるために落とし穴に落とす。怪しい人物からお金を受け取った芸人への罰として怖い目に合わせる。
そのフリがあるから、芸人が痛い目にあっても安心して笑っていられる。何もしていない人を穴に落としても、怖い目に合わせても、ただただ痛ましいだけだ。これも地獄。
こうしてテレビに文句を言うこと自体、自分の感性がもう古いということの証明なのかもしれない。昔はかじり付くように見ていた19時台、20時台のテレビも、今見るのはプレバト!!だけ。
ひょっとして、おじさんはテレビを見ないものなのかと思ってゾッとする。テレビ側は既にこちらを見限っているのに、いつまでも子供の頃の気持ちでテレビが面白いものを自分に提供してくれると信じている。そしてテレビについてあれこれ語り、偉そうに批評までしている。
多少なりともお金を持ったおじさんになったのだから、外に出て様々なエンタメにお金を落とせばいい。お金を払ったエンタメをあれこれ批評する方が、お金を落とした分、テレビの批評よりいくらかマシである。
歳を取ったら、もうテレビは卒業なのだ。
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と思ってたらなんだこれは!面白そうすぎる!見るぞ!俺はまだ、テレビを見るぞ!!
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