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年末年始の旅のできごと

今年の年末年始は、数年ぶりとなる故郷の東北へ。最後に帰省したのはコロナ前だから本当に久しぶりだ。2泊3日というミニマムな旅程。

2023年12月31日

大みそかの出発。新幹線チケットは1ヶ月前に購入済み。東京駅は帰省客でごった返していて、スーツケースの家族連れが多かった。弁当を買って新幹線内で食べる作戦だったのだが、弁当コーナーは過去イチくらいの混雑で「最後尾」の看板が出ていた。「過門香」で中華弁当を買う。時間があったらコーヒーでもと思ったがどのカフェも混んでおり、時間も思ったほどなく、空いているベンチに座って少し休んでから新幹線のホームへ。ここでお茶を買って、乗車。席に座ると扉が閉まり、音もなく出発する。いつも新幹線は何も言わずに動き出す。

出発前の部屋で本を2冊選んだ

昼時だったのでお腹も空いている。買った弁当をさっそく席で食べる。温かくはないが、美味しい。チャーハン、回鍋肉、麻婆豆腐、エビチリなど、人気の定番中華が一堂に会した弁当である。食べ終えて一息つくと持ってきた本を読む。今回は坂本龍一の個人史とも言える『音楽は自由にする』と、村上春樹&川上未映子の『みみずくは黄昏に飛びたつ』の2冊。どちらも開いてみて読んだが、フィーリング的には『音楽は自由にする』の方が行きの読書としては楽しめた。時系列に沿ったリニアな構成が移動中の読書に向いていたのかとも思うが、そこのところはよくわからない。
この歳になると昔に比べてそれっぽい答えを出すことが得意になる。経験を重ねて引き出しが増えるからだろうと思われるが、それが良いことなのかどうかは微妙だ。むしろカッコ悪い気もする。人が理屈で考えて出したそれっぽい結論なんてどれだけの価値があるだろう?と思う。わからないことはわからない、それでいいのではなかろうか。行きの新幹線では坂本龍一の本を3分の2くらい読んだ。

新幹線の車窓から。水はとっても冷たそう

以前までならこの辺から車窓の景色は雪で埋め尽くされるのだが、今年は様子が違う。本当に雪が少ない。明日のスキーは大丈夫だろうか?という懸念がよぎる。盛岡から新幹線は急カーブして奥羽山脈を越える形になる。携帯の電波が入りにくくなると同時に水墨画もかくやという色調のない世界に突入する。このポイントがいつも密かな楽しみなのだが、今年の雪の少なさは尋常ではなく地面がけっこう見えている。

東京駅から3時間半ほどかけて新幹線は目的の駅に着いた。荷物を持って降りるが、以前なら雪で白くなっている駅ホームに雪がない。「滑るから気をつけて」なんていつも話していたのに今年は本当に暖冬なのだ。在来線に乗り換えるまでに少し時間があるので改札を一度出て売店で必要なものを買う。近くに大きな店がないので売店にお土産が売っている。しかし駅前は私が住んでいた頃に比べて本当に寂しくなった。きっとみんな駅から遠い街道沿いのイオンに行くのだろう。人の数自体が減っているのももちろんあるだろうが。

生家の近くの墓場より。青い世界。真ん中に見えるのは子どもの頃よく遊んだ小さい神社


車で移動して恒例の墓参りへ。ここも雪が多いと墓地の入り口から墓まで辿り着けないが、今年は余裕で歩いていける。お供えをしてローソクと線香に火をつける。ここにも久しぶりに来たが、何も無かった場所に新しい墓ができており配置も変わっている。更新されているのだ。

墓参りから移動中の一枚。家の灯りが遠くに見える。

墓場のすぐ近くに昔通っていた小学校の跡地がある。真っ暗な場所だが車でひと巡りしてもらう。校舎は跡形もない。体育館しか残っていない。きっと体育館は何か別の用途に使われているのだろう。私が通っていた学校は小学校も中学校も統廃合によってどちらも廃校になってしまった。ストリートビューで見たのだが中学の校舎も体育館だけが残されていた。確かにあのサイズの空間は別の用途に使えそうだが、実際にどう使われているのかはわからない。

母の家に寄せてもらって豪勢な食事をいただく。家には私の娘、つまり母にとっては孫の写真がたくさん飾られていた。ここでみんな限界まで食べた。歓待の料理なので量がとても多い。絶対に食べきれないほどの量だが、気持ちがありがたいのでいけるところまで食べる。ここで食べすぎたことで宿に戻ってからの私はトイレに篭ることになるのだが…ともかく美味しかった。

手の込んだ料理
きりたんぽ入りの雑煮。いくらは個人的にトッピングしたもの
炊きたてのサキホコレにいくらと刺身をふんだんに乗せた海鮮丼

母の家は狭いのでいつも街に宿をとって泊まる。こちらの土地の傾向だろうか、温泉宿でもないのにホテルに温泉がついている。サウナに露天風呂。十分である。部屋に入りテレビをつけると紅白歌合戦がやっていた。食事の時間と被ったので前半は見られず、椎名林檎あたりからの試聴となった。と言ってもそれほどかぶりついて見ていたわけではない。ベッドに横になりながら本の続きを読みつつ(『音楽は自由にする』)、流れてくる賑やかな歌の祭典に耳を傾け、気になったらテレビ画面を見るくらいのバランスだ。今回の白眉はYOASOBIの『アイドル』だろう。出演者たち、つまり本物のアイドルをふんだんに使った演出で素晴らしかった。『アイドル』は複雑な楽曲だが、今や複雑でないJ-POPは昔でいう演歌に聞こえる。コンテンツリッチというか、詰め込まれた密度感、激しい転調、歌詞を音にのせる時の難易度の高さ…といった羅列をしたくなるのだが、そういった分析が我ながらすでに古臭い行いという感じがする。論ずるな、聴け。

今年のトピックはジャニーズがいないことだろう。原因を思えばジャニーズ事務所は解散を免れ得なかったとは思うが、ジャニーズのタレントたちが提供してきた価値や夢のようなものがあったのは確かで、それを光とすれば、影の部分つまり「業」のようなものがファンを裏切った。悲しいことだが現代のコンプライアンスとはそういうものなのだろう。そういうものとはつまり「犠牲者の存在を前提にした世界はその成立を許されない」という思想のことだ。年末にあった松本人志の件もどこまで波及するのか気になっている。ジャニーズ、吉本。宝塚もそうかもしれない。陰で行われていた加害性を帯びた行為という点では表には出せないことがまだまだありそうだ。

紅白の司会の有吉はあまり良さが出てなかった気がする。彼はもともとそうだが華があるタイプではないのだ。それからトリは今年も福山雅治とMISIAである。NHKはこの2人を「大御所」として固定化しようとしている気がするが、印象としては微妙である。福山は歌一本の人ではないし、MISIAは歌唱力は抜群だが世界観としてはどこか海外風で、認知度的にも微妙なのではないかと思う。などと書いているが、このトリの二人の歌は今年はトイレにいて聞けずじまいだったのだが。

2024年1月1日

元日にこんなに雪がないというのはあまり記憶にない

晴れた。9時過ぎに宿を出る。今日はスキーの予定。車で1時間はかからないという距離だが、今年は道に雪もないのでもっと早く着くだろうという見立て。実際、30分ほどで着いてしまう。ゲレンデの雪の状態が心配だったのだが、今はSNS時代、こんな田舎のスキー場でも積雪状況を発信してくれていた。なんとか滑走可能であることは事前にわかっていたので安心して向かうことができた。

人も少なくのびのび滑れる。そして雪は少なめでところどころ地面が見える

スキー場に着いた。用具をレンタルし、着替えてゲレンデへ。確かに雪は少なめで、少し前には雨も降っていたということで、雪質はジャリジャリと硬い。シャーベットのようである。パウダリーな雪質と違って滑りにくさはあるが、それでもスキーができるだけありがたく、文句は言えない。それに天気も良い。スキー場で青空が見えているのは嬉しい。吹雪の中でのスキーとなると行軍のような悲壮感が出てしまうからだ。後半は雲が厚くなって日差しがなくなってしまったが、雨が降るでもなく吹雪になるでもなく天候には恵まれたと言わなければならない。

スキー客は全体的には少ない。前回来た時はもっと多かったと思うが、今年は雪が少ないからとスキーを諦めた人も多かったのだろう。それにしても娘は滑るごとに上手くなっていて感心する。私も子どもの頃は冬といえばスキーだったが、周りに上手い子が多く、スキーに対する自己肯定感は低い。自分で上手いなどとは思ったことがない。私は10代の終わりから20年近いブランクを置いてまた滑り始めたわけだが、年に1回のペースとはいえ今が一番上手いかもしれないな、そんなことを思いながら気持ちよく滑っていたら後ろから超絶上手いスキーヤーが鮮やかに我々を抜いていき、私のささやかな自己満足は長続きしない。

青空に白い雪がよく映える
人は少なく、本当にのびのびと滑ることができた

昼はレストハウスでラーメンを食べ、午後からもしっかりと滑り、帰路へ。太ももが少し筋肉痛のようだ。帰りも道路に雪はなし。車はスムーズに街に向かう。

『徒然草』のなかに「かくてもあられけるよ」という一文が出てくる。こんなところでも住んでやっていくことができるのだなあ、といった意味なのだが、店も何もない田舎の民家がぽつんぽつんと建っているのを見ると私はいつもこの一文を思い出す。車がないとどこにも行けない。雪が降ったら雪かきも必要だ。買い物に便利なわけでもない。土地の資産価値のようなものもほぼないだろう。でも「住む」というのはそういうことではないのだ。かくてもあられけるよ。

イオンに寄ってお土産を買う。郷土の土産物が揃ったショッピングセンターのようなものが別の場所にあるのだが、そこの閉館時間が以前より早まってしまったので間に合わないのだ。だがさすがはイオン、ベストではないにせよそこそこ十分な品揃えがありお土産はしっかり選んで買うことができた。

ババヘラというネーミングは今日的ではない

また、ちょっと看過できないものを見つけた。ババヘラアイスのカップである。ババヘラアイスは一時期全国的にも有名になった瞬間があったと思うがどうだろうか?秋田の名物的な業態で、街道沿いに(主に)おばあさんが日除けのパラソルを立ててアイスを売るというものだ。私は地元なので、例えば家族で海に行くときなどによく見かけ実際に買って食べたこともあった。だが妻と娘は食べたことがない。これはぜひ、と思って買って食べる。シャーベットのようなシャリシャリした食感で、うまい。

イオンにいるとき地震のニュースをスマホで見て、驚く。

そこから母親と再合流して食事をし、宿に向かう。昨日より早く戻れたので温泉にもゆっくりと入ることができた。久しぶりのサウナと水風呂の繰り返しで、整うというやつだ。サウナで気持ちがいいのは水風呂の後の休憩タイムと思う。サウナで「熱」→水風呂で「冷」と続けたあとに浴室内のリクライニングベッドに横になって何とも言えない忘我の時間を過ごすと、心に移りゆくよしなし事が溶けて飛んでいく感じがある。自分がリキッド状になっていく。これはなかなか中毒的で良い。きっと身体に悪い、だがそれがいい。普段あまりサウナに行くこともない私の、久しぶりの愉悦の時間であった。

2024年1月2日

これは「1巡目」に過ぎない

ここから先はあまり書くこともない。風呂の後は早めに休んだ。宿の朝はバイキングで例によってしっかり食べる。和食を中心に、魚の煮物、山菜の味噌汁、玉子焼き…そしてカレーがあるとどうしても食べてしまう。朝カレーである。また、小さいパンをオーブンしてバターをつけて食べるのもたいへんおいしかった。昔に比べれば量は減ったといいながらなんだかんだとしっかり食べている。東京に帰ったらまた走ろう、と思いながら。

新幹線に乗るために車で駅へ向かう。母親とも道すがらにいろいろなことを話しながら。途中、通っていた高校の前を通ってもらった。校舎の形や配置は少し変わっていたが、面影はそのままの懐かしい場所だった。高校の近くの目抜き通りに以前の賑わいはなく親しんだ映画館も書店も今はない。
ふと、学生の頃に歩いたエリアをいつかゆっくり巡ってみたいと思ったが、その機会があるかどうかはわからない。数年ぶりの地元に少し後ろ髪を引かれながら、我々はホームまで見送りに来てくれた母と挨拶を交わした。寂しい風景に似つかわしくない流線型の赤い新幹線に乗り込むと、車内からまた母に向けて手を振った。新幹線は来た時と同じように、静かに音もなく走り出した。

帰り道、羽田空港の事故のニュース。地震といい連日のことにとても驚く。帰り道は乗客の安否を気にしながらネットをチェックしながら移動していた。旅客機の乗客は全員助かったが、5名が亡くなったという海保の機体は、地震があった能登への救援物資輸送のためにあそこにいたという報せに胸が詰まる。

そうした事故の連鎖に自分でも思わぬストレスを感じているのか、帰京してから強い苛立ちを感じている。自分自身のことではなくとも、人は共同性のある生き物なので社会的ストレス事案に共鳴してしまうことがある。
生きていると本当にいろいろなことがあるし、ままならぬ不幸は度し難い。
自分自身を含めた「人」を大事にして、日々生きていけたらと思う。

やぶさかではありません!