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ママ、個人事業主になるよー価値を明確にー

ちょうど1年前の今頃。私は当たり前のように前職の職場で心理士として仕事をしていた。

まだまだ、たくさん病気をする息子と、
大きくなったように見えるけど、寂しがりやの娘。
そんな2人を抱えながらの仕事。

それでも、当時の私にとっての仕事だった臨床活動、講演活動、執筆活動。
これらはどれも充実していたし、まさか自分がその半年後に退職するなんてことは考えてもいなかった。

でも、2018年が終わる頃、家族全員、胃腸炎騒動(なぜか私だけはかからなかったけど・・母強し?)。

ようやく落ち着いた…と思いきや、
年が明けて、2月には息子も娘も高熱。
高熱を出せば2人とも熱性痙攣を起こすので全く眠れない。夜中じゅう、ずっと自分の体に子どもを引き寄せ、抱えて、顔を覗き込んではうとうとするの繰り返し。


そんでもって、4月には息子が聞いたこともないウイルスの風邪にかかり、ひどい咳・酸素レベル低下で入院するかしないかの瀬戸際。
ごはんもまったく食べてくれなくて、2週間以上保育園を休む事態に。

それなのに、ばぁばに子どもたちを託して仕事に行くことの罪悪感。寂しさ。苦しさ。

本当にこれでいいんだろうか。

そう思いながらもクライエントさんの大切な面接が入っていた私は、母に息子を託して午前だけでも出勤しようとしていた。

でも、そんな中で高熱のちっちゃな息子が、私の手を引っ張って言ったんです。

「ママお願い、ママがいいよぉ。」と。

そうだよね。そりゃあそうだ。

職場の人に迷惑をかけることは本当に申し訳ないし、予約の入っていた面談をキャンセルすることは私の中でも結構重い出来事。クライエントさんのことがもちろん気になる。
それでも、「休もう。」とそう決めて、息子のそばにいられることが決まった後は、すごくすごくほっとした。

そこでふと思ったこと。

「今の仕事やめよう。」

その時点で何か見通しがあったわけでも何もなかった。

ただ、そこで本当の自分の深く奥底にしまってきたような気持ちにすっとアクセスしたかんじがして、すごく気持ちが良かった。

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ああ、私はもっと家族や子どもと一緒にいたかった。

子どもがかわいそうだからとかじゃない。私がもっと一緒にいたかったんだ、と。

今までやってきた仕事を手放すことが不安でなかったわけではなかった。
これまで積み重ねてきたものはどうなってしまうのだろう。そんなことも少しは頭をよぎった。

だけど、本当にやっていきたいことをマインドフルな感覚で選択し、不安を持ちながらもマインドフルに進むことこそが、まさに、私が好んでクライエントさんのセラピーによく使っていたAcceptance and Commitment Therapy(=ACT)の考え方に沿った生き方じゃないかとそのとき思った。



退職を決めてから、上司やスタッフのみなさん、お世話になった先生方にそれを伝えたとき、みんなが口を揃えて言ってくれたのは、

「とてもいい選択だ」
「あなたらしいよ」
「ACTを学んできたからこそだ」

そんな、わたしをcheer upするようなことばかりだった。

改めて、たくさんの優しさと愛情に囲まれていたことを感じたし、感謝の気持ちでいっぱいになった。

そして、それと同時に思ったこと。

この職場はやめるとしても、

人に役立つ何かは必ず続けていきたい。

ACTの中でいう「価値」がさらに明確になった瞬間。

価値とは, 失敗や障害などの困難があっても自らの意思により継続してきた,行動すること自体に喜びややりがいが感じられる行動や状態の性質*

この「価値」が明確になっていたことで、仕事を辞めることは、もはやわたしの中では、後ろ向きな選択ではなく、あくまで前向きな選択となっていた。

積み重ねてきたものがどうなってしまうのだろうという心配も、この「価値」に向かうと決めた瞬間からか、変化していた。

積み重ねてきたものは、積み重なったまま。
続いていくのだ、と。

そして、

「今の仕事やめよう。」

そう思ってやめてから、約半年たった後、わたしはこんなことをつぶやいている。

本当にこれでいいんだろうか。

そうやって悩んだあの日から、
立ち止まって、見直して、手放して…

そして、ママは、個人事業主として開業をする決意を固め、歩き始めたよ。


そう思うと、

悩み、苦しみ、歩く道を見失ったときこそ、「価値」を再度明確にし、再度そこに向かって歩き始める、新たな始まりのサインでもあるかもしれない。


受験、恋愛、結婚、仕事、子育て、病気、介護、大切な人の死。

歩く道を見失うかもしれないポイントは人生に山ほどある。見失うのはとても苦しい。辛い。

でもそんなときこそ、思い切って今までと角度の違う方向に走ってみることで、見たことのない世界に触れて、何かがはじまることがあるのだと今は思う。

まさに私の場合は、それがはじまりとなったから。

<引用>

*坂野朝子・武藤崇 (2012)「価値」の機能とは何か:実証に基づく価値研究についての展望 Doshisha Clinical Psychology: Therapy and Research Vol. 2, No. 1, Pp. 69-80


2020年2月1日。
1日という日は新たにまた何かが始まるかんじがしてなんか好き。
今日、noteを開始。
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