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褊狭の窒息の向こうへ|『象は静かに座っている』

デビュー作にして遺作。
フー・ボー監督に捧ぐ。

人は受容して大人になる。
これは諦めると同義。
人は成長とともに現実を受容し、それまで抱いていた理想を諦める。
ありのままの自分を受け入れる。
何も出来ない醜い己を許し、愛す。
それが大人になるということ。
そこに救いはない。

諦めることなどできない、モラトリアムを生きる人。
どうにもならないこの世界に絶望しつつも、希望を見ている、望んでいる。
救いがあると心のどこかで信じている。
今よりもいい場所がこの世界のどこかに必ずあると信じている。
それは無意識のうちに。
表面的には絶望して全てを諦めているようで。
でもそれは嘘。
心の奥底では諦められてなどいない。
未だ無垢なそれが残る幼い反逆者。

私たちは何も見えてなどいない。
見ているつもりでいるだけ。
見たいものしか見ていない。
見たいものしか見えない。
己しか見えない。
みんなみんな、自己嫌悪にまみれた自己愛の塊。

悪者がいなければヒーローの存在などありえない。
ヒーローを信じる者は、同時に誰かを悪者と見なす者だ。
己の正義を信じている者。
そしてその信条は簡単に裏切られる。

人は悪が存在する世界の方が生きやすい。
この世界がずっと最悪なのはお前たちのせいだ。
みんな誰かのせいにして自分を守って生きている。
誰のせいでも無いのなら、その怒りをどこにぶつけたらいい。
誰のせいでもないことを受け入れてしまったら、誰も悪くないことを受け入れてしまったら、この心の内に潜む怒りや憎しみはどうしたらいい。
でも結局はみんな、本当は悪など存在しないことを知るから、知っているから、行き場を失ったその巨大な感情は、人を絶望させる。
そしてその絶望は、人を殺す。

それでも諦めず救いを、希望を求めて生きるのだ。
弱くて小さい己をこの理不尽で最悪な世界から必死に守りながら。

みんなみんな、全て他人のせい。
自分は悪くない。
だから僕、私に救いを。

この世界はクソだ。
窮屈で窒息する。
でも向こうに行けば、何かある。
何か変わる。

「どこへ行く?」

「人は行ける、どこにでもな。そしてわかる、どこも同じだと。その繰り返しだ。
だから行く前に自分まで騙すんだ。今度こそは違うと、わかるか?
お前はまだ期待している。一番いい方法はここにいて向こう側を見ることだ。」

どこに行こうが同じ。
世界は変わらない。
そして何年経とうが世界は最悪なままだ。
向こうに行けば何かあると信じながら、実際には行かずに生きる。
それが幸せに生きられる唯一の生き方。
救いは存在すると信じて生きる。
希望を胸に抱いて生きる。

それがわかっても、いやわかっていないから、彼らは行くのだ。
そしてきっと私も。
わかっていて、心の底では諦めていて、そんなものは無いと知っていてもそれでももう一度、希望を見たくなった彼も。

向こうに行くのだ。
1日中座っている象を見に。

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