キリスト教会が、福祉のコンシェルジュになれたらいい ~すぐにはできなくても、一歩ずつ

 3か月以上前に書いたこちらの記事↓へのアクセスが、なぜか最近になって急増しており、うれしく感じています。

 日本の教会で洗礼を受けたいと思った場合、どのようなステップがあるのかということを、自分の経験から紹介しました。キリスト教の洗礼に興味を持っている方が読んでくださっているとしたら、喜ばしいかぎりです。

 その記事の最後で、こんなことを書きました。 

 こういうときに、「助けて」の声をキャッチする場所のひとつがキリスト教会だと思いますし、教会は社会のなかで、たとえ完全にはできなくても、そういう存在であろうとし続けることが大切だと、私には思えます。

「こういうとき」というのは、この記事を書いた当時の、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言下をさしていました。

 でも、いま、付け加えます。
 キリスト教会が「助けて」の声をキャッチする場所のひとつであってほしいというのは、私にとって、平常時にもいえることです。どんな状況でも、コロナ禍であってもなくても、たとえ完全にはできなくても、そういう存在であろうとし続けることが大切、と、私は思っています。

「助けて」の声には多様なものがあります。上の記事では洗礼について書いていますが、それにかぎらず、貧困や暴力、病気、ほかにもさまざまな苦悩を抱えて、教会を訪れる人がいます。
 なかには、キリスト教にはさして興味がないけれど、ほかに頼れるあてがなく、困り果てて……という人も。それでも、教会という場所にはきっと善意や好意というものが存在していると信じて、いらっしゃるのだと思います。
 だからこそ、教会は「助けて」の声をキャッチできる場であってほしい、そうありたい。一信徒として、私はそう思うのです。

 もちろん、すでにそうした働きをされている教会はあります。素晴らしいことです。
 たとえば、すこし前ですが、コロナで外出自粛が続く中、教会が困っている人を助けたという話をネットで見かけました。帰る家がなく、所持金がわずかで、困って教会の門をたたいた女性を保護し、NPOなどの支援団体へ橋渡しした、と。
 子ども食堂のような取り組みを継続している教会もあります。また、教会が中心となってNPOを立ち上げ、ホームレス支援を含めた包括的な弱者救済に取り組んでおられる方たちも。
 尊いお働きだなあ、と思います。
 そして、そういうことが、もうすこし広がっていったらいいな、とも。

 NPOを立ち上げるような大掛かりなことでなくていい。炊き出しや食堂運営といった、組織力や資金が必要なことでなくてもいい。最初の例であげたように、困った人が訪れたときに支援団体への橋渡しができる、それだけで、社会に果たせる役割はずいぶん広がると思うのです。

 逆に言えば、「助けて」の声をキャッチしたあと、たまたまその教会にいるクリスチャンが、自分たちだけでなんとかしようとしても、適切な対応がとれるとはかぎりません。なぜなら、教会に集まっている信徒は、支援やケアのプロではなく、基本的にはしろうとだからです。
 DVや虐待をはじめ、深刻な問題で困っている人には、その問題に精通したプロの助けが必要です。
 警察や役場、病院などの、誰でも知っている機関のほかに、いまはNPOなどの民間の支援団体が、きめ細かいケアやサポートを実施している場合が少なくありません。そして、ひとつの機関に相談してうまくいかなくても、ふたつめ、みっつめとアプローチしていけば、その人に合うサポートが受けられることもあります。
 そうした窓口を見つけるお手伝いを、いわば、福祉のコンシェルジュのような働きを、教会がしていけるようになれたらいいだろうな、と。
 近年、個人的に、そう考える機会が増えました。
 いますぐにはできなくても、一歩ずつでも、そうなっていけたらいいのではないか、と。

 私自身は30年超、メディアで仕事をしてきた人間ですから、取材をし、考えて、情報を発信するのが生業です。それが得意なことであり、自分にできる仕事ですから、そうした立場から、役割を果たしていきたいと思っています。

 ちなみに、ウィキペディアで「コンシェルジュ」の項を見ると、歴史の欄に、もともと中世から、巡礼者が訪れる教会にはコンシェルジュが常駐し、旅にまつわるトラブルの解決や、次の目的へ正しく向かうための手伝いをした、という内容が出ていました。(そうした歴史も、調べてみたくなりました)
 教会が福祉のコンシェルジュ的な役割を持つ、あるいは期待される、というのは、あながち絵空事ではないのかもしれません。巡礼の旅ならぬ、人生の旅。そのほんの一瞬のお手伝いというイメージでしょうか。


◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、hanakokoroさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。





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