対人関係でも、三つの密を避ける ~片柳神父の言葉に、本当にそうだなあと感じ入りました

 カトリック司祭の片柳弘史神父のブログに、素敵な言葉がありました。
 新型コロナウイルスの感染拡大防止のために周知されている「三密(さんみつ)」にかけて、対人関係でも三つの密を避けましょうというもの。

 私は、本当にそうだなあ、と、深く同意しました。
 ブログの該当ページ「こころの道しるべ(9)三つの密」を、以下にシェアさせていただきます。

↑このページの下部に、メッセージカードをJPEGでダウンロードできるリンク先も出ています。

 ラベンダーの花の見出し画像の上に、メッセージの全文がのっていて、上の状態でも(拡大すると)読めると思います。念のため、引用させていただきますね。

「こころの道しるべ(9)三つの密」
一人で抱え込まず、
相談することで風通しをよくし、
「密閉」を避ける。
プライバシーを侵すほど
近づかないことで
「密集」を避ける。
感情を高ぶらせたまま
話しかけないことで
「密接」を避ける。
対人関係でも
「三つの密」を避けましょう。
(片柳弘史神父ブログ「道の途中で」より)

 一般社会での対人関係はもちろん、キリスト教会のなかでの対人関係にも、あてはまることだと思います。
 悩みをひとりで抱え込まず、誰かに相談して風通しをよくしたい(密閉を避けたい)と思ったら、私だったら相談相手に選ぶのは、プライバシーに踏み込むことに慎重で、自分と適度な距離を保ってくれる人(密集を避けてくれる人)、感情的にならない人(密接を避けてくれる人)だと思います。

 反対に、はじめて教会にいらした人や、なにか悩んでいる様子の信徒から、気持ちを話してもらいたいと思ったら、急に接近してプライバシーに踏み込んだり、感情移入しすぎたりしないように、話を聞く側である自分の状態に細心の注意を払っていたい、とも思います。
 そして、話を聞いたあとも、話を聞く前と同じくらいの距離感で、「困ったときはお互いさまだから」くらいの、いわばあっさりした気持ちでいることが、大切なんじゃないかなとも。

 その上で、手助けできることがあればするし、役立つ情報があれば伝えるし。

 日本では、クリスチャンは人口の1%未満とかなり少数です。そのため、教会内のコミュニティも閉鎖的になりがち。ちょっとした人間関係の行き違いから、教会に通いにくくなってしまうこともあるでしょう。
 せっかくイエスさまを信じて集まった仲間なのに、人間関係の気まずさから、教会に行きにくくなってしまっては、もったいありません。でも、キリスト者である私たちはみんな、途上の人。NOVEL DAYSのほうで公開している小説『惑う人びと ~オン・ザ・ウェイ~』でもすこし書きましたが、みんな、信仰の道を歩んでいく途中にいる、不完全な人間です。
 だからこそ、対人関係でも三つの密を避ける。その心掛けは、大事だなあと思いました。



◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、hanakokoroさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。

↓NOVEL DAYSで公開している『惑う人びと ~オン・ザ・ウェイ~』はこちらです。よろしければご覧ください。


 

ありがとうございます。みなさまのサポートは、詩や文章を生み出すための糧として、大切に使わせていただきます。また、お仕事のご依頼はページ下部の「クリエイターへのお問い合わせ」からお願いします。キリスト教メディアの出演・執筆依頼も歓迎です。