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続・「雪」が出てくる聖書の言葉いろいろ

 昨日、↓こちらの記事を公開したところ、

 夫から、「雪が出てくる聖句をもっと知りたいなあ」とリクエストが。
 同じようなご感想を持たれた読者の方がいらっしゃるかも、と思い、さっそく今日、雪にまつわる聖句をいくつか紹介させていただきます。

↓まずはヨブ記から、ヨブの友エリフのセリフ。

神は命じられる。雪には、「地に降り積もれ」雨には、「激しく降れ」と。
(ヨブ記37:6 同)

 この前に、「神は驚くべき御声(みこえ)をとどろかせ、わたしたちの知りえない、大きな業(わざ)を成し遂げられる。」(ヨブ記37:5 同)とあり、その流れでの言葉です。

↓同じくヨブ記、主なる神の言葉より。

お前は雪の倉に入ったことがあるか。霰(あられ)の倉を見たことがあるか。災いの時のために、戦いや争いの日のために、わたしはこれらを蓄えているのだ。
(ヨブ記38:22-23)

 この時代の人びとは、どか雪や激しい雨、霰(あられ)などの激しい自然現象に、神の存在を感じていたのでしょうね。

 詩編にも、素敵な聖句があります。

↓バト・シェバと通じたあと、神に憐れみを乞うダビデの詩です。

ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください、わたしが清くなるように。わたしを洗ってください、雪よりも白くなるように。
(詩編51:9 同)

↓こちらもダビデの詩。神への賛歌の一部です。雪をひとつの啓示のように表現しています。

全能者が王たちを散らされるとき、ツァルモン山に雪が降るであろう。
(詩編68:15 同)

↓詩編の最後のほうに出てくる、神を讃える聖句。先ほどのヨブ記にあった、主なる神の言葉と呼応しているような内容ですね。

羊の毛のような雪を降らせ、灰のような霜をまき散らし、氷塊をパン屑のように投げられる。誰がその冷たさに耐ええよう。御言葉(みことば)を遣わされれば、それは溶け、息を吹きかけられれば、流れる水となる。
(詩編147:16-18 同)

 続く箴言には、↓こんな言葉が。

夏の雪、刈り入れ時の雨のように、愚か者に名誉はふさわしくない。
(箴言26:1 同)

 なるほど、と思わされます。

 次は、イザヤ書。
 イザヤ書からは昨日も別な箇所を紹介しましたが、実は1章にある↓こちらの聖句も私は好き。

論じ合おうではないか、と主は言われる。たとえ、お前たちの罪が緋(ひ)のようでも、雪のように白くなることができる。たとえ、紅(べに)のようであっても、羊の毛のようになることができる。
(イザヤ書1:18 同)

 希望を抱かせてもらえる言葉ですね。

 ほかにも雪が出てくる聖句は、エレミヤ書やダニエル書など、また、新約聖書のほうにもあります。長くなってしまうので、それらはまた別の機会に……。

 聖書の物語の舞台といえば、荒れ野のイメージがありますが、こうして見ると、冬には雪が降る土地だったのだなあ、と、あらためて気づかされます。
 そして、白いもののたとえとして、雪がしばしば使われていますね。「雪よりも白く」とか「雪のように白く」という表現は、今日紹介した箇所以外にも出てきます。雪国出身の私としてはうれしいですし、親近感が湧くポイントです。

 もしかすると私が聖書を好きなのは、物語の世界からなんとなく、雪が降る土地に暮らす人のメンタリティみたいなものを感じ取っているからかもしれないなあ、と、そんなふうにも思いました。もちろん、それだけではないですけれど(笑)。

 このように、気になるキーワードから聖書を開いてみるという楽しみ方は、↓こちらの記事にも書きました。よろしければどうぞご覧ください。


◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、Angie-BXLさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。

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