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人間の法では計りきれない、悲しいまでの罪と罰 ~シーラッハ『刑罰』

 フェルディナント・フォン・シーラッハの短篇小説集『刑罰』を読んだ。
 とてもよかった。おどろおどろしい表紙とは裏腹に、切ない物語が多かったように私には思える。

 著者はドイツの弁護士でもある。約20年、刑事事件の弁護に取り組んだのちに、小説を発表した。
 デビュー作の短篇集『犯罪』(日本では2011年に刊行)で高評価を獲得し、権威ある賞も受けたベストセラー作家だというのに、私は最近まで知らなかった。不覚です。
『刑罰』は、日本では昨年6月に出た著者の最新刊。その経歴をいかし、刑事事件や裁判の裏にあるさまざまな人の人生を描いた短篇が、12篇収録されている。

 作風をひとことで言えば、簡潔で奥深い。
 何を書いて、何を書かないでおくか、そのあんばいが絶妙だ。
 私は個人的に冗長な小説が好みではないから、本書を読み始めてすぐに、著者のファンになった。このくらい切れ味の鋭い文章で、行間を読ませてくれる小説のほうが私は好きだ。翻訳も素晴らしいのだと思う。

 淡々とした筆致で、鮮やかに描き出されていくのは、人間の法では計りきれない、人の罪。裁判や刑事罰の枠からもれていく虐待、DV、性暴力、そして、そうした言葉では定義できない、人と人との哀しい関係。

 ときには「なるほど」と痛快な落とし方をしてくれる作品もある。
 でも私は、割り切れない余韻の残る、1話目の「参審員」と最後の「友人」が印象深かった。どちらも胸に痛い作品だけれど。
 自分で自分に罰を与え続ける、そうするよりどうしようもない悲しみを抱えた人を前にしたとき、何かできることはないのだろうかと考えさせられる。

 法律はもちろんあったほうがいいし、それによって一定の犯罪が裁かれるのは意義のあることだ。だけど著者は、作品を通じて「それだけではない現実を見ろ」とささやきかけてくる。私にはそのように感じられた。

 同時に、そうした人の苦しみや、憐れさ、愛しさ、人間らしさに目を向けて、言葉にして伝えてくれる著者の存在に、わずかに救われた気分にもなる。どうしてだろう……もしかすると、ちゃんと見ているよ、忘れていないよ、あなたの苦しみをなかったことになんかしていないよ、という、著者のまなざしの優しさを感じるからかもしれない。



◇写真は、みんなのフォトギャラリーから、scoop_kawamuraさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。


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