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詩|短篇小説

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ひさしぶりに詩を書きたくなりました。昔はよく詩で表現していたのに、しばらく散文ばかりで。これからはまた、自然にことばを紡いでいけたらと思います。散文詩的なごく短い読み切り小説も、… もっと読む
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#詩人

ことばと希望

ことばで傷つけられて 育ってきたわたしだから ことばで人を救っていこう 救うなんて 大それたことだけれど、ここでは そんなに大それた意味ではなくて 自分自身を信じてみようよ 救いとは いたわり、はげますこと 明日を信じて生きてみようよ 救いとは 希望の存在を示すこと だって希望は 信じることで 生まれてくるから まだ見ぬ明日を 信じるために ことばは人の助けになる わたしたちは ことばで心を整理して ことばで希望を抱くのだから ◇私自身の生い立ちから思ったこと、

海とすべての深淵において

そこに海があるだけで 私は世界の広さを思う たとえこの身が高台の この窓にとらわれていようとも そこに海があるだけで 私は風の自由を知る 引きとめる腕をすり抜けて 透明な風が 世界を飛び回っているように 心も旅ができるのだと そこに海があるだけで 私は空の夢を見る 波の音は安息のゆりかご 満点の星を 抱きしめて 祈ったら 愛しいあなたに会えるでしょうか この世はあなたの愛で満ちていて 小さな夜露のひとしずくにも それは宿っているのだと 信じることができるでしょうか ◇

詩|ただひとつのもの

笑われてもいい さがし続けます 待ち続けます それが 私の求める 唯一つのものだから ずっと夢見てきたのだもの ずっと信じてきたのだもの こたえてくれたなら その人を 世界じゅうで一番 愛してしまうでしょう ◇35年ほど前、高校生のときに書いた詩です。当時としては、いわゆる「運命の人」との出逢いを夢見て書いた内容ですが、クリスチャンになったいま読み返すと、イエスさまのことを言っているみたいだなあ、と感じます。神さまから与えられる愛はもちろん、イエス・キリストへ向けて自分

詩|泣きたいときは泣きましょう

なみだをがまんしてしまう こどものころからそうだった 泣くとしかられて まわりの人たちがみな はやく泣きやむよう願っている それを知っていたから だけど 泣きたいときは泣いていいよね おとなになってずいぶんたって 自分にゆるした 泣きたいときは泣きましょう だって泣くのは こころを洗う作業だもの 泣かないで、なんて言うのは野暮 泣き終わるまで泣いたらいい 哀しいんだね つらいんだね とてもとても悲しいんだね そう言って ただ、なみだを受けとめたらいい あなたの悲しい気持

短篇小説|ギはギルティのギ

 ギルがゆるやかにハンドルを切ると、目の前に青い海が広がった。ネモフィラの花畑を思い出す色彩。セリは息を呑み、わずかな時間、苦悩を忘れた。 「ほんとうに、私の頼みもきいてくれるの」 「もちろん」  約束だからねと、彼は前方を見たまま答えた。車内にはミントの香りが漂っている。 「どこへ行くの。そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」 「もうすぐ着くよ。それに」 「私は知る必要がない、でしょ」  セリは彼の言葉を遮って、助手席で座り直した。海沿いに並ぶパームツリーが、車のスピード

名まえのないひととき

まだ 夏になりきらない夏の 夕方と夜の間にある 名まえのないひとときが好きだ 青みを帯びた うすい闇(あるいは光の残滓) 鳥がいそがしく鳴いていて 巣へ帰ろう、と言っているよう 暮れゆく静けさと 動的な気配が 心地よく混ざり合っている このひとときが好きだ 神さまが与えてくれた この世界の 無防備な 体温に 触れた気がして ふと 泣きそうになるのです ◇今日、ちょうど日没のころの時間帯に感じたことを詩にしてみました。名まえのないひとときと書きましたが、マジックアワー

あなたの手が私の心に触れたことを

やわらかな光の降る日 甘い風が世界をなでていく 生まれてきてよかった 孤独や苦悩をこえて 無条件にそう思えてしまう瞬間 あなたの手が 私の心に触れたことを 認めざるを得なくなるのです すると 私の耳は 木々の葉や鳥や虫、人の足音や車の音などの ごちゃごちゃとした世界の音に 美しい音楽がひそんでいるのを 聴くのです 私の目は 青い空に愛を 夕焼けに慈しみを 星のまたたきに希望を探して 開かれます そして 孤独と苦悩のなかにさえ 命の輝きを見つけようと 一歩を踏み出さずに

忘れない、ことば

空の水色がどこまでもきれいで 遠くで汽笛が鳴って 透き通った海風 忘れない あの時あなたがくれたことば ◇今から35年ほど前、高校生のときに書いた詩です。この詩をいま読み返すと、「あのときのことだな」と、鮮やかに思い浮かぶシーンがあります。けれども、肝心の言葉については内容を覚えているだけで、セリフとしては再現できません。ただ、その素敵な「言葉」を受け取ったときの空の色、汽笛の音、海風の温度、波のきらめきなど、それらすべてがひとつの「ことば」となって、記憶のなかで輝いていま

時を追いかけて

子供の頃―― 時に追われて 一生懸命生きていた いつしか時に流されて 気づいた時には 時を追いかけていた 時は行く手を 駆けてゆく 立ち止まることも 許さずに まだ間に合ううちに 気づきたい 無限の可能性と 夢―― ◇いまから35年ほど前、高校生のときに書いた詩です。まだ10代後半なのに、こんなふうに焦っていました。当時は、時を追いかけている感覚だったのだなあ、と、あらためて思います。では、50代になったいまはどうでしょう。仕事の〆切前など、時を追いかけている気分になるこ

風はつながっている

今朝の風がそうだった 記憶のどこかに存在している 遠い時空につながっている そんなふうに感じる風 この匂い この音 この温度 いつだって風は新しいはずなのに かつて知っていた そんなふうに感じる 過去の1点と いまを結んでくれる 〝ここではないどこか〟に あこがれていたあのころ つらい環境から脱出したくて 未来へ希望を託したあのとき この風は吹いていた ――連れて行って ――おいでよ、自分で それがどこなのか いつなのかは 知らない けれど 大切なのはきっと 知ること

夢の羅針盤

どんなに手をのばしても 届かないと思っていた 遠いなあ、と、ため息をつき だから忘れてしまっていた いくつもの夢 目の前の困難なあれこれに 向き合うことでいっぱいで 夢を追ってはいられなかった けれど心の 深いところの中心に それらはずっと存在していて 消えたり消したり したわけではなかったのです 目の前の困難なあれこれに 強さと弱さを試されて あがいて 破れて 立ち上がって ただ懸命に進んでいるとき 実は 心の深いところで 夢が 羅針盤になっていたのかもしれません

レモンオレンジの透明な空に

飛べるわ――きっと レモンオレンジの光に満ちた 透明な空を見たとき 思ったの 飛べるわ いつか 必ず きっと どこかで―― ◇35年ほど前、高校生のときに書いた詩です。いま読むと、みずみずしいなあ、と思います(笑)。さすがにこういう言葉の使い方はもうしませんが、いまでも美しい空を見ると、「いつか飛べるんじゃないか」「鳥のように自由に飛んでみたい」という気持ちになります。 鳥が巣から飛び去るように、人もその置かれたところから移って行く。 (箴言27:8 聖書新共同訳)  

星空が好き

星空が好きだ ずっとずっと昔から 人びとが寝静まったあとの 凛とした空気 陽は眠り、大気は澄み 空に宇宙が顔を出すとき あれは真空の黒さ? 果てのない、闇? 無数の光がまたたいている 青空より なぜか親しい 宇宙のきらめき 星たちは 何も語らないのに雄弁だ ひとつ、ひとつの孤独な光が 慰めを 優しさを 勇気を 救いを 励ましを 涙を 愛を 降らせてくれる それはそれは清らかに 私のいる地上から はるかな世界の広がりを 垣間見る一瞬 そこにあるのは 恒星、星団、星雲、銀

洗足の木曜日

あの人はひざまずき 私の足を洗ってくださる 荒野や泥の中を歩いて 汚れきった私の足を ほこりや泥 気づかないふりをして 踏みしめた罪 それらにまみれた 私の足を あの人は この世のもっとも低い者のように ひざまずき その手が汚れることも厭わずに 私の足を洗ってくださる 私は悔い もう決して汚れません 美しく生きていきます、と あの人に誓う しかし一歩、野に出れば 私の足は、ふたたび 土とほこりと泥にまみれ 罪を踏みしめてしまうのだ けれども、この足は あの人が洗ってく