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風はつながっている

今朝の風がそうだった
記憶のどこかに存在している
遠い時空につながっている
そんなふうに感じる風

この匂い この音 この温度
いつだって風は新しいはずなのに
かつて知っていた
そんなふうに感じる
過去の1点と
いまを結んでくれる

〝ここではないどこか〟に
あこがれていたあのころ
つらい環境から脱出したくて
未来へ希望を託したあのとき
この風は吹いていた

――連れて行って
――おいでよ、自分で

それがどこなのか
いつなのかは 知らない
けれど 大切なのはきっと
知ることよりも信じること
いつか必ず たどり着ける
あきらめず 希求し続ける
それを励ましてくれた風

時を超え
あのころ あのとき 望んだ未来へ
私は歩み続けてきたよ

この風が思わせてくれる
生きていてよかった


◇風にデジャヴを覚えることがあります。「この風に、前にもどこかで出会っているな」と。ふり返れば、たしかに過去のある時点で「この風に、未来のどこかでまた会うのでは?」と感じたことがあったような気がしてきます。前者は郷愁の一種かもしれません。後者は未来への期待でしょうか。そのふたつが結びつく瞬間、というのが最近はときどきあり、幸せなことだなあと思います。あきらめずに歩いてきたから、いまここにたどり着いている。生きていてよかったと感じられるからです。思えば過去のつらかった時期、「この先に、素敵な未来があるんだよ」そうささやきかけてくれるような風は、私に希望を与えてくれました。

風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。
(ヨハネによる福音書3:8 聖書新共同訳)

 風の示す未来がどこにあるのか、私はもちろん知らなかったけれど、きっとどこかにあると信じたから、希望が生まれたのだと思います。
 そして、そんな風はどんなときにも、誰のもとにも吹いている。そう信じたいと思うようになりました。


見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、Yoshi(yoshitravelogue)さんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。

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