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天の忍耐

わたしがクリスチャンになって、神様の御言葉を聞いてきて、本当によかった、救われた、と改めて実感しました。

実家に帰省していて、昔を思い出したからです。

子ども時代のわたしは、暗い性格でした。自分の価値も知らず、可能性も信じられず、意見も言えない、無表情、そんなかんじでした。

愛を知らない世界で生きるのはつらかったです。今も知らないなら、どれほどつらいことだろうと思います。

愛されているんですよね。何がなくても。自分の目には足りないことだらけでも。

否定的な思考も、疎外感も、神様を知るまで離れてくれないだろうと思うと、神様とイエス様の愛を知ることはどれほどの喜びと祝福だろうかと思います。

どれほど愛されてるのか、愛されていたのかわたしも知らなかったし、天の愛を知るまでは、苦しく生きていくしかないでしょう。

ちょっとすれ違う出来事がありました。もちろん相手のすべてを理解することはできないけど、助けたいと思ってするどんな行動も声かけも、今は裏目に出てしまうタイミングのようです。焦らずにいきます。

エルサレムの娘たちよ、 わたしはあなたがたに誓い、お願いする、 愛のおのずから起るときまでは、 ことさらに呼び起すことも、 さますこともしないように。
‭‭雅歌‬ ‭8‬:‭4‬

急ぐな。あなた一人だけがやるからといってできるか。互いに悟って、合って、できる。二人が合わなければならない。
鄭明析牧師の御言葉


自然にその人の愛が神様に向かうまでは、無理矢理になってしまうから。

よく「何も変わらない、いいことがない」という言葉を聞きますね。何も変わらない日常の中に、気付いてほしい神様の思いと、良いようにも悪いようにもすることができないもどかしさがあることを知らなければなりませんね。でも、何も変わっていないということはないのです。

お祈りしながら、救いの時を待ちたいと思います。

キリストの愛に気付きますように。

疎外感と寂しさの霊、サタンが離れることをキリスト・イエス様のお名前でお祈りします。

家族、みんなとてもとても愛されています。

今日もお読みいただき、ありがとうございました。