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「さよならを言うことは、少しだけ死ぬことだ」

自分語りです。

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高校の卒業式の時の写真が、とても嫌いだ。
友達も恋人もいなくてプライドだけ高そうな内面がそのまま出てる見た目。
そこから離れたくて、大学4年間を過ごした。

高校の自分がトラウマに近いレベルで嫌いだから、ノイローゼのようにそこから逃げ出したくていろいろやった。

コンサルのインターンも、クラウドファンディングをして芸術団体の立ち上げも、サークルを作ったり、大学院の授業を受けたりした。めちゃくちゃ素敵な恋人もできた。

努力家だと褒められることもあったが、行動の原動力は自分が嫌いすぎて変わりたい強迫観念に近い何かだった。

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行動するごとに、変えたかった自分の醜い本質は変わることができないと絶望に似た無力感を感じた。

別の人間のフリが上手くなっただけで、ペロリと偽りの仮面が剥がれたらどうしようと、怯えた。

ふと仮面が剥がれて、大学に入ってからできた友人や恋人や評価が掌を返したように去っていってしまう。そんな夢を見て朝に汗をびっしょりかいて起きることがある。

嫌いな自分から逃げたくて、まるで溺れているみたいにがむしゃらにもがいた。
疲れてしまって座り込んで何もかもやりたくなくなった時に、自分なんて何も変われていないし、嘘をつくのが上手くなっただけなのかもしれないと、不安になるんだ。

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人にはあらかじめ決められた器の大きさがあって、それを超えた何かに無理やりなろうとしても、器が壊れてしまう」という話を思い出す。

僕は見栄を張りたくて服とかにお金を使いすぎてしまったり、本を買いすぎてしまうことがあって。

それで貯金が少なくなって心の余裕が更になくなるという側から見たらバカなことをしている。
その背景にも「今の自分が嫌いだから、これを買うことで変わりたい」という祈りに似た変身願望がある。

整形をすることに依存的になった人のエッセイを読んだことがあるのだけれど、自分が服を買う時のお金を払う心理と似通っていてゾッとした。

『青い鳥』は最後に自分の家に帰ってきた時に見つかったように、今の自分から離れたくてがむしゃらに努力をするのは、自分の影から走って逃げようとするような不可能ではないかと、徒労を感じる事がある。

インドに行ったって自分なんて見つからないし、ウユニ塩湖に行ったって価値観なんて変わらない。そんなことは分かっているんだ。

僕が変わるきっかけは、ガチガチに固めた人生設計を、「この人になら、計画通りから外れてもいい」と思えるような衝動的な愛なのかもしれない。

村上春樹は『ロンググッドバイ』で、「さよならを言うことは、少しだけ死ぬことだ」とマーロウのセリフを訳した。

たぶん、変わることも同様だ。
変わることは、少しだけ死ぬことなんだろう。
嫌いな自分から逃げるには、自分探しの旅でインドに行くことでは解決しない。

自分が「これだけは絶対に遵守する」と思っていたルールすら破りたくなるほど、誰かを好きになること。

大人とは、少年期に定めたいくつもの自分ルールを破った姿なのかもしれない。
流されて、思った自分とは違う姿で、それでも生きている。

それが大人だとしたら。変わることは、少し死ぬことなんだと思う。

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僕の価値感の一つに、恋人とお金の二択ならお金の方が信じられると思ってしまうところがある。

恋人は気が変わって浮気されたり振られたりするかもしれないけれど、お金は自分が使わない限り無くならないから。

たぶん人間関係を築くことから逃げてきた精神的な未熟さの現れでもあるのだろう。

騙されて泣いてていいから、お金と恋人で、恋人を選べるような人生経験を送ってきた人のほうが長期的に友人も多く、幸福度も高く、寿命も長かった、という話を聞いたことがある。

孤独はタバコ以上に健康に悪いという話と似ている気がする。


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