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「普通」のレールから脱線しているんじゃないかって思った時、すごく不安に襲われる。

うまく言えないかもしれないけれど、「普通」のレールから脱線しているんじゃないかって思った時、すごく、立っているところの底が抜けたような不安に襲われる。

高校生の時は、みんなと違う自分がいいと思い続けていたのに。高校を中退することになって、みんなと違う生活リズムになって、社会のレールからはずれて先が見えなくなった時に、とてつもなく不安に襲われて、夜に眠れずにひたすら2ちゃんねるとTwitterを巡回して迎えた朝が何度もあった。

腰が痛くなったり、胸が圧迫される吐き気で物が食べれなくなって深夜に緊急外来を訪れて「何もないです。心の病気では」と目を俯かせて告げられたことすらあった。

一種の病的なものだったのだと思う。そんな震えるくらいの病的な不安と寝れない夜は、大学に入学できたと同時に、ぴたりとなくなった。たとえ気のせいでも「社会のレール」に戻れた感覚になったからだろう。


2018年の夏に立教大学のオープンキャンパスに行った時、模擬授業で文学部の教授が、1980年以降、ジャン=フランソワ・リオタールは「大きな物語の終焉」として、みんなが信じるロールモデルが崩壊したことを述べていた。
偏差値75の高校を中退した後、ニートをしていて2年浪人した歳になっていて、友達はとっくにオープンキャンパスのアルバイトで受験生に説明する側になっていたから、顔を俯けて1人で行った。

僕は、信じられるロールモデルが欲しかったし、それに一体化したかった。

その頃、序、破に続いて公開されたエヴァンゲリオン「Q」のエピローグ付近では、人類補完計画は、全ての人類の自我を一つにさせることだと描写されていた。

Twitterではフォロワーが「なんで一つになりたがるの。」「意味わからん」と感想を呟いていた。
当時の僕は、独自の解釈が行き過ぎた勘違いかもしれないけれど、痛いほど分かった。劇場で泣いた。

自分1人だけ、社会のレールから外れた気がして心細かったし、不安で寂しくて堪らなかったから。

そうやって、引きこもるうちにニキビも増えて醜くなっま僕が10時間以上時間を潰すためにTwitterをやっていた。
当時の僕は、ただ依存したくて文字を打ち込んでいた。まるで、平安貴族が祈祷の儀式で幣を捧げ持って一心不乱に祈るみたいに、現代はスマホに持ち替えて祈るように握りしめて一日中文字を打ち込んでいた。寿命を磨耗するような、不毛な時間。

この時間を過ごしたことは恥ずかしくて、大学に入ってから会った人にも、一度も告げたことがない。ただ、「2年間浪人してた」とだけしか言えていないのは、醜い生き物だと見られたくないという、僕の自意識の肥大なのだろう。

そんなインターネットに依存していたときに、付き合うようになったのが、Twitterでよく話していた女の子だった。

今だから言うし、失礼だけれど、寂しくて、はじめは、電話ができたり、一日中LINEをしたりするのが楽しかったけれど、寂しさを解消する依存先だと思ってしたところがあった。

でも、住んでいる場所も伝え合い、「アルバイト頑張ってね」「おかえり」をやりとりするうちに季節は巡り、その絵のチャーミングな可愛さや、ウィットの効いた返事が好きになっていた。いつのまにか、内面が好きになっていて、自分が恋に落ちてゾッコンになっていることに気がついた。付き合い始めたのが、2019年の1月だったと思うから、1年は経っていた。

でも、4月に大学に入学したのを皮切りに、生活リズムが目まぐるしく変わっていった。まだ、コロナもなかった頃だ。少ないながらも友人ができて、サークルに入って、遊びに行くことも出てきた。

付き合い始めた時みたいに頻繁には、連絡を取れなくなってしまっていて、心のどこかで今は忙しいから生活に慣れるまでは仕方がないと、言い訳をしてしまっていた。

1年が経ち、2020年の1月ごろ、恋人がLINEで名前を呼び間違えた。変換ミスだと思いたかったけれど、悲しかった。でも、寂しくて10時間以上Twitterにいたときに付き合った関係はお互いの寂しさを埋めるためだった要素はゼロではないだろうし、それなのにたくさん話せないどころか電話すらあまりできない自分には責める資格はないと少し冷えた頭で思っていた。

ゴタゴタしているうちに、恋人はトラブルがあってLINEを消した。そして、連絡が取れなくなって2年が経った。その間に、何人かの女の子と遊びに行ったり、付き合ったりした。でも、そのTwitterで付き合った女の子が描いてくれたチャーミングなうさぎのイラストのスマホケースは、なぜか捨てられなくて使い続けていた。

「そのスマホケース可愛いね」と机に置いて授業を受けるたびに、よく聞かれたし、描いてもらったと応えるとめちゃくちゃ驚かれた。僕は当時、恋人が描くイラストが大好きだったし、彼女には才能があったのだろう。

実は、見栄やプライドがあってTwitterで付き合った恋人には言う機会を逃し続けたけれど、女の子とモテない男子校で高校時代を空費していた自分にとって、そうやって恋人と他愛もないことを一日中やり取りする経験は初めてだったしめちゃくちゃ楽しかった。

男子高校生のころは、女の子の連絡先なんて一件も(なんの誇張もなくほんとうに1件も)持っていなかったし、女の子とLINEできるだけで嬉しかった。それがウィットの効いて、可愛くて、自分のことを好きと言ってバレンタインを作ってくれる女の子となら、なおさらだった。

そのときは、女の子と付き合ったら、誰とでもそんな感じになると思っていた。女の子と付き合うのも初めてだったから、そういうのも分からなかった。

でも、Twitterの恋人と連絡が取れなくなって2年経つうちに、他の女の子と付き合ってから、誰と付き合っても、こんなにLINEが楽しいわけではない、という当たり前の事実を、その時にようやく知った。

村上春樹が翻訳したサリンジャーが言いそうなセリフで本稿を締めるならこうだ。
「気づけた時には、だいたいちょっと遅いんだ。僕はちょっと鈍いのかもしれない」。

読んでくれてありがとう。
もし、周り回って当時の恋人が見てくれたら、気が向いたら一言だけでも連絡下さい。
嘘です。カッコつけましたが、本当は会いたいしセックスしたいです。
こんな情けなくてごめんなさい。

今夜はよく眠れますように。
お相手は、布団至上主義でした。

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