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10代の頃に擦りむいた傷口は癒えることなく、ジュクジュクと膿み続ける

いつか書いた小説の一部です。

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 「人生は、10代の頃に欠落した不満を埋めるために、残りの長い数十年間を浪費するんだよ」とは、僕が高校生の頃に大好きだったある小説の、主人公の独白だった。

 高円寺に住み、早大を中退したその主人公は、こう続ける。
「まるで、10代の頃に擦りむいて血を流した傷口が癒えることなく、ジュクジュクと膿み続けているかのように、固執し続ける」と。

 「例えば、10代の頃にモテなかったやつは、中年になってからそれを取り戻そうとして異性関係で失敗する。援助交際を週刊誌にすっぱ抜かれて失脚した政治家は、人一倍性欲が強かったわけではない。モテなかったプライドの満たされない傷があった。お金でなら異性が自分の思い通りになると知ったときに、取れる選択肢が思い浮かぶ知性は、政治家になるために必要な知性とは、また別のものだ。」

 大学に入ったものの、モテずに自己肯定感を見失っていた僕は、なんとも言えない気持ちで、彼が珈琲カップから形のいい指を離して続きを語るのを待つ。
 まるで山登り中に霧が出てきて、目の前にいたはずの仲間の姿が見えなくなったときみたいに、何をすればモテるのか分からない。

 勉強ができない子は「自分が何が分からないのか」がわかっていないし、仕事ができない人は「自分がなぜ仕事ができないのか」を言語化できないからこそ、仕事ができないのと同様。

 何かができないとき、できない理由を言語化できる人は、まだ軽症だ。重症な落ちこぼれは、「何かが悪いのはわかっているけれど、何が悪いのか分からない」。暗中模索に陥っている。

 「逆にいうと、優秀な塾講師の仕事は、生徒に教科書の内容を噛み砕いて教えることではないんだ」まあ、それは当たり前にできなければいけないし、そもそも全国模試で1桁をとったことのない科目で、誰かにものを教えようと思えるのは、素晴らしい勇気だけどね、と彼は皮肉げに薄い唇を歪めて言葉を続ける。

 「その生徒が、何がわかっていて、どこから分からないかを言語化してあげることが骨子だ。優秀なシニアコンサルタントが、企業の抱える問題を言語化できたらタスクの90%は完了だと述べるのと同じようにね」。ことり、と空になったカップをソーサーに戻し、取手を指で弄ぶ。

  そうなのか。言われてみると、中高一貫校の男子校に通って、モテない僻みを抱えてきた僕の行動も、それで説明がついてしまうかもしれない。悔しいけれど。

 大学に入ってから、狂ったように服を買った。一ヶ月おきに美容院を変えて、「もっと似合うカットをしてくれるところはないか」と探し続けた。恋愛系のYouTuberが薄っぺらいのをどこか内心で馬鹿にしつつ、それでも「モテるのではないか」と動画を見漁った。誰かのことを馬鹿にする僕が一番、歪んでいる。
 それらの動機は、モテたかったからだ。童貞の自分が嫌いだった。

 サークルの新歓で「なんかマッチングアプリやってそうな雰囲気の人って分かるよね」と先輩たちが盛り上がった。
 「軽音サークルと兼サーしてるA 先輩」「あー、あの人はモテすぎるし女遊びもしまくりたくてやってそう」
 「Bくん」「あの地味なノーセットヘアの人?」「あの人サークルで出会いがなくてマッチングアプリに手を出すけど、アプリでも出会えなそうだよね」

 そんな残酷な「その場にいない人たちへのイメージでの批評」は、お酒が入っている席だと盛り上がった。小学生の頃にアリを踏み潰したり、蝶の脚をちぎる残酷さは、20歳を超えると人の噂ばなしという形で、姿を変えて現れるのかもしれない。

 そのような会話を聞きつつ、先週マッチングアプリを入れたばかりの僕は、早くこの話題が終わらないかな、と首をすくめていた。モテない見た目。かっこいい人の服と髪型がかっこいいことはわかっても、どうすればそれを真似できるか分からないまま服を買い美容院を変え続けている。会話をしても自分と相手だけ静かで、周りの笑い声がうるさかった。

 そんなどこをとっても、非モテだった僕は、嵐が過ぎ去るのを待つかのように、話題の矢が自分に及ばないように全力で祈った。

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 「確かにモテるって残酷だよね」と、新しい珈琲をカウンターから持ってきた彼が頷いた。彼はブラックコーヒーしか喫茶店では飲まないと決めているかのように、ひたすらにブラックコーヒーを飲み続けた。それ以外を注文しているのをみたことがない。

 「偏差値みたいに数値化はしないけれど、見て話すとなんとなく分かってしまう。お互いに。」だから似たような人同士でしか友達になれないし、同じメンバーで固まるんだよ、と続けた。

 確かに、そうだろう。もっと言ってしまうなら、偏差値というか知性の高さすら、しばらく話してみると、かなり詳細に伝わってくるものだ。
 ある心理学の実験で、3分間話して知性の高さを推定してもらったら、ペーパーテストを行わなくても、直感でかなり詳細に当たっていた、というものがある。言いえて妙出し、直感でも理解できることだ。

「ちなみに、その話を聞いたときに腑に落ちる人は、頭がいい側の人が多いんだけどね」とクッキーをかじりつつ彼が付け足した。


 

 


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