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「好き」の想いも、「救われた」記憶も、消えない灯りだから。

こんにちは。桜小路いをりです。

先日、たまたまたまたまYouTubeで見つけたコメントに、すごくはっとさせられました。

そのときはグッドボタンを押すだけに留めてしまったのですが、時間が経てば経つほど、心に残って離れない言葉になっていって。

意訳ですが、ご紹介させてください。

「聴き手を励まし救ってくれるような曲を聴いて、救われたような気持ちになる。でも、そのたびいつも、これを作っているご本人は誰に救ってもらうんだろうとも思う。優しいあなたが幸せでありますように」

たまたま同じ動画に行き着いた、見ず知らずの視聴者さんのコメント

うろ覚えなのですが、このようなコメントでした。

もう、どの動画で見たのかも忘れてしまったので、出典が分からないことについてはご了承ください。

このコメントを見て、これを書き込んだ方の優しさに胸がいっぱいになると同時に、「ああ、確かにそうだな」と思ってしまいました。

私は何度も何度も音楽に救われて、今日も無事に生きてる。

私が勝手に救われているだけ。
分かってはいるけれど、それでも、「救ってもらった」ということがきっかけで、その人が推しになったりもして。

でも、私には「救い返す」ことはどうしたってできなくて、せめてものお返しとして、その1曲1曲を大切に聴き続けることしかできない。

「私を救ってくれた人たちは、誰に救ってもらうんだろう」

そもそも、「救われ」なきゃいけないような状態にならないほうが、絶対に望ましいのですが。

誰かを救うような言葉、誰かを救うような音、誰かを救うような歌声が紡げるということは、その人がそれだけ優しいということで、優しいということは、それだけ何度も傷ついてきたということだとも思います。

なら、その人にもちゃんと救われてほしいし、ちゃんと優しくて温かい場所にいてほしい。

なんて、遠くから勝手に応援して、勝手に救われているだけのただのファンの願いですが。

世間的に見たら些末な、ありがちな願いかもしれないけれど、私にとっては、とても大きくて大切なものです。

推しには何回も何回も救ってもらっているから、せめて、推しにはいつも後悔のない選択をしてほしい。

やりたいことを、思う存分していてほしい。

幸せでいてほしい。

「あのときこうしていたら……」なんて人生は、歩んでほしくない。

でも、あわよくば、「後悔しない選択」の中で、ずっと音楽を続ける道を選んでくれたら。

音楽活動が、「推し」の幸せな人生の中のひとつのピースであってくれたら。

私はまた勝手に救われて明日も頑張ろうと思うし、それだけで、勝手に毎日幸せに過ごしてしまうと思います。

……なんて、なんだか抽象的な記事になってしまいましたが、書きたいことは書けたかな。

この記事を書いていて、ふと、カンザキイオリさんの「君の神様になりたい。」を思い出しました。

この曲を初めて聴いたときに感じた想いに、なんだかリンクする気がします。

長々と綴ってしまいましたが、私は今もこれからも、「推し」が大好きで大切で、そんな「推し」と、あわよくば「時代や老いも一緒に見たい」。

この「好き」は、そうそう簡単に壊れないし、壊させない。

そんな決意表明として、この記事を残しておこうと思います。

今回お借りした見出し画像は、パステルカラーのキャンドルのイラストです。私の「好き」の気持ちに重なるのは「灯り」という言葉だったので、選ばせていただきました。キャンドルと違うのは、きっと、その光がいつまでも絶えないこと。そう考えると、「イラスト」のキャンドルは絶対に消えることがないからぴったりです。

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。