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島時間から改めて痛感した文化の大切さ

島という魅力に惹かれて3年ぶりに訪れた離島で感じたことのまとめ。
少しでもこれからの時代を作っていくヒントになれば。

みんなで夜釣りの時間。島の唯一のお宿外川旅館のご主人の小学生たちへの釣りの指導



「文化を守る」という切なさ

大切さを語る前に、まずは、そのきっかけになる「切なさ」から。
「文化を守らねば!」と思っている人々が感じてる切なさは
「そもそもなんで守らなければならないような状況になっているんだ?」という状況。
文化が、どんどん蒸発してしまっているということを日々感じてるから。
なぜ、文化が蒸発してきているのか? その状況を推し進めている正体は何か?
それが、いわゆる「グローバリゼーション」
そして、その根底にある価値観が「文明」
ちょっと強引に二元論で表現すれば
文明の対極に文化があり
グローバリゼーションの対極にローカリゼーションがある。
第二次世界大戦後、そして91年のソ連/東側世界崩壊をその加速のトリガーとして
世界を1つにしよう! 世界政府をつくって一体になろう!
決して悪くない、悪いわけでは無い、そんなビジョン、スローガンで進んできた、この数十年。
世界を1つにすることを真剣に考えたら、何が一番の障壁なのか?何が邪魔なのか?
自分だったら、個々の「文化」
1つの価値観で、世界をまとめあげるには、個々の文化は邪魔でしかない。武器を持とうが持つまいが争いが起こるのも必然。もし武器を持ってしまったら、テロリストというレッテルを貼られて直接的に攻撃され、武器を持たなかった場合はメディアやSNSなどの舞台で、権威者やインフルエンサーから「分断を主導している」というレッテルを貼られ言論を封じられる。
本来は良いはずの「世界を1つにのビジョン」が、「多様性を大切に」と掲げながら実は「多様性が邪魔」という方向に染まってしまい、それが”文化を消失させる”原動力になっている。
”文化/慣習”という基盤の上で、暮らしや人生を送りたい人たちには、耐えがたくも危機的な状況、潮流になっていまっている。

その上で「文化を守る」大切さ

本来は、「守らなければ!などという活動したくないのに」な切なさを消化した上で、
「守る」視点に進んだ時に感じる大切さ。
文化は、何が凄いのか? その当たり前の凄さ。
我々は、この宇宙に住んでいて、その中の太陽系という中の1つの惑星・地球に住んでいる。
地球という中でも、どこ1つ同じ条件の世界/空間は存在しない。
そこに意味がある。
(融合、シナシー、そこから新たな価値が生まれる・・・という文脈とは
違う意味。融合統一を否定したい訳では無い という大事な点を踏まえた上で)
結論を言ってしまえば
「価値観を統合する必要は無い。
異なる価値観を互いに尊重し合い、
時には、異なる価値を取り入れ
それぞれ異なる価値観の世界での進化を
お互いに切磋琢磨、尊重/リスペクトし合えば良い」
だけ。
自分が考える「文化を守る」という行動が何なのか?を考えると
それは、
「異なる価値観を1つにまとめようとする潮流に飲み込まれない空間を残すこと」
その目的に向けた日々の行動に落とし込まれる。
少し、話が飛躍してしまうけれど、もし守らなくても良いのならば
そもそも、この世界、宇宙自体が存在していないと、自分は確信している。
なので、守ることの大切さがそこにある。

概念的な「文化を守る」大切さを体感、実感するには?

方法は色々あり、何が一番良い?は普遍では無く人ぞれぞれ。
ただ、自分的には一番簡単なのは
物理的に、隔離されてみること。
具体的には、数十人しかいないコミュニティーに身を置いてみること。
そこからは自力では脱出できない物理的環境。
それが、離島。
”離島”という言葉は、とても遠い場所に感じさせてしまうけれど、
実は結構、近くにある。
今回、自分の3年ぶりに再度、浦戸諸島という宮城、塩釜港から、わずが46分で行ける、
寒風沢島で、島時間/しまじかんを満喫させて頂いた。
寒風沢島は、世帯数70、人口160人、漁業中心、農業も併せ技な場所。
船舶免許と自分の船、あるいは一定の遠泳能力が無ければ自力で出入りできない場所。
上陸した瞬間に、まったく異なる時空間。
空間も違えば時間の流れ方も突然変わる。
空間は、余白がたくさん、影響されて自分の心の余白もたくさん、
時間は、一時間って、こんなに長かったっけ? 真に楽しくHappyな時は実は一瞬とかでは無く
逆にすごく長いんだな?っていう体感。
寒風沢島含めて、浦戸諸島が真に凄いなと自分が感じるのは教育。
寒風沢島の隣の野々島にある塩竃市立浦戸小中学校。
http://www.urato-jh.shiogama.ed.jp/
もしかしたら語弊あるかもしれないけれど、自分的に表現するなら
公認オルタナティブ&ネイチャースクール。
もし機会あれば、平日の朝、塩釜マリンゲートで、浦戸諸島行きの乗り場から観察して欲しい。
わざわざ本土(塩釜市と周辺市町村)から通う子供たち、そして先生の一行に出会える。
舟乗り場、舟の中、舟降りて港から浦戸小中学校にみんなで一緒に山道登っていく光景。
それを見るだけでも、教育とは、そもそも何なんだっけ?ということも知ることができる。
世間一般とは、異なる時空間、離島で小中学生時代を過ごせるということ。
本来は世界中どこでも幼稚園、小中学校は、そううだったんだろうけれど。
とにかく、文明的活動で忙しい人々には、まったく接点の無い、隔離された離島という世界。
もしそこに何か感じたら、なにはサテ置き、訪れるべき時空間。
「文化を守る大切さ」の言語化は非常に難しく、逆に誤解を招く恐れがあるので
まずはそこに行く、ことから。

文化的価値観で自身の日常を再構築

今この世界は経済至上主義=文明社会。それはしょうがないこと。
だけれど、ふと自分に向き合うと、趣味とか自分時間の大切さ。
そこにある要素の”文明:文化”の比率は、どうだろう?
このnoteを時間かけて読んでみようと思った方々の大半は
文化が支配的では無いかなと思う。
なので、最初は少しだけでも、文化的な時間を日常のどこかに置いていくことを心掛けて
日常そして人生の再構築。
実は、今回、寒風沢島再訪前の日々が、結構、文明的要素によって、自分自身を削っていて。
そんなときに、しまじかんの使い方、どうする??みたいな意見募集あり、
すかさず「釣り!」と答えて、周りも「釣り」率高く、結果、そんな至上の時間を過ごせた。
でも、自分自身も本当になんだなかなあと情けなかったのは
釣りという経験が皆無に近いほど無かったこと。
数少ない経験は、おやじに強引んに連れられて行った、海釣り、川、そして釣り堀。
なので初心者。
この旅の企画、インアウトバンド仙台の西舘さんから「パーマカルチャーデザイナーの小俣さんが釣り初心者ウケる!♬」が、的を得ていて、自分自身がそう思っていたからこそ、だよね!と思う一方、結構、心もえぐられていました(笑)
でも、実はとっても嬉しい時間すごせて。それは一緒にいた小学生、釣り経験豊富な彼が、自分の隣に来てくれて色々指南してくれたこと。これは正直、すごくうれしくて実は鳥肌が立っていた。
世代を超えた双方向コミュニケーション。それが行えるのもこういう隔離された離島ならではの起きやすい現場。
それをその場で終わらせず、自分のホームに戻ったあとも同等のその時空間を日常に置く。
そう、とにかく、どんなに素晴らしいことも、日常に組み込み、常態化させないと意味は無い。

釣り指南してくれた小学生との畑作業

文化維持には物理的な隔離が伴う

人類全体の意識がもっと高まれば必要ないけれど
まだまだ未熟な現時点での人類には、物理的な隔離という刺激は必要なのだろうなという実感。
自分自身の意識の中でも、空間の想像妄想するのは簡単でも、時間の流れのスピードすら自在に操られるかも?な想像妄想はなかなか無い。
だから物理的にそんな機会を作る方がよほど良い、それが離島での、しまじかん。

やらたらと時間の流れが遅い島の海岸でのひととき

文化保護の聖地、里山&里海

多様な文化慣習は、それぞれの地域、
機構、地理、人、培われてきた慣習・・・・
それらによって無数。
だから、今世界中で、里山・里海が注目されてきている。
グレートコンジャンクション後の、この世界は
確実に、その方向に向かっている。
なので、みなさん、迷わずにこれからも今と前だけを見て。

寒風沢島・外川旅館さんの干し柿


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