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この写真は木から発する気に少し彩度を加えたもの。


雑記 covid-19の社会的体感

 covid-19禍真っ只中の頃、2020年2月より私はモノ言わぬ存在、反対声明の孤独な体現者であろうと、調子が悪いときと病院以外ではほぼマスクをつけず打たずでさぞ奇異の目に映ったことだ。集団のデモに参加することも考えたが、集団となると私という個が弱くなり、物議を醸すほどの過激さは求めていないことから参加しなかった。よく異常視のもとに外圧の渦中であった。当時の日本国内情勢下では人智学においてはルシフェル的、または唯物的力の外圧、簡潔には重力のようなものが強かった。
 国内外官民の情報収集と私の周囲観察、自らの体・霊感による感知、医学や社会心理あたりの学問、それらに対する思考の統合などを常々行い注視したものだ。

 市長選投票時の市役所会場で、一職員に再三着用を求められたこともあった。他者の反感は避けたいが自衛も大事だ。喋りかけられなければ口を開くこともなく退所したのだが、市役所を出るまで喋らなければよいのでしょうと合間をとって和解した。

 触らぬ神に祟りなしと云うように、他者から奇異の目に映ることは避けるが無難だが、東西問わず親が子を愛するように使命という、持てる者の義務というものがある。自らの意志ある者は提唱者である以前に体現者でありたい。愛溢れる有力者で、慕ってくれる従業員や市民に失脚を強いられた者が多かったことは残念な事実として記憶に新しい。


掲載

 ユニークな人がいたので掲載する。率直な表現で言い得て妙といったところ。

 気や霊、間合い、催眠心理、酒、煙草、境界、宇宙、脳、瞑想、輪廻転生、縁あたりなど、宗教と科学の交叉を認知していれば、言葉といった象まで具体化せずともなんとなく理解できるのではないだろうか。最近みたYouTubeで同じことを言っている人がいたのでこちらもどうぞ。

 直観で解らぬ者は言葉という象に囚われている。中国から輸入した漢字という科学は私の意を相手に対して精密に伝えるため、思念を字体という画と音に落とし込み具体化されたものであり、漢字は剛にあたり、仮名は柔にあたる。日本人の言葉はこのバランス、漢字のはっきりした象と曖昧な仮名の象により成り立っているのでたいへん思考を要する。とはいえ簡単な言葉でさえ私もあなたも認識が異なっているので10%も伝わらないもので、時間や事柄などの共有が多いほど理解される。

 人間は思考する存在なので自我を保ちその領界で思考するのであれば思考が必要となるが、思考せず直観的に体感するのであれば思考は自我を最小限に留めるぐらいの一時放棄でいい。これを瞑想という。自我を留めず現実に戻る手綱がないと、人智学でいうところのアーリマン、地に足つかぬ想などに偏り過ぎて自我を見失う。

 時間を忘れて仕事や思考や愉しみ、書き物やモノづくりに耽る行為は限りなく瞑想に近い。没我というべきか。一般的な日本人と西洋人の対比では、日本人を瞑想的、西洋人を思考的とに分かれる。お茶と珈琲の違いも似たもの。

 まあ簡潔に云えば無駄に考えすぎているかパズルのピースが足りないといったところ。


 人々が人間を思考するにあたり唯物から前進して心理学は社会に馴染んできたものだが、中国ならともかく、気の基礎概念の形成はもう少し時間がかかるのではないか。無形の知覚に対する認知は広く時流に乗っているので時間の問題だろうが、自ら気という存在の知覚なくして気の形象は得れず、気の形象なくして気の概念は形成されない。気に触れゆくことにより気の科学が発達する。現代は唯物の頂上からの下り坂であるから、数世紀この流れが持続するだろう。


文字

 気に因んだ漢字はいくつかある。漢字は元を辿れば象から画に形付けられ、誰からも解りやすく意味を付与したものだ。气という字は汽船のように空気や天気といった、陰の気、陽の氣を分かつ前の気の根幹だ。中国文明では漢字という科学が発展し過ぎている故に、当時の日本人から視れば剛であり、仮名をつけて漢字と漢字の合間に柔軟さをつけたものが日本語だ。

 現代の日本人は陰の気なので气の下、内側に〆るを組み合わせて陰陽の陰、封を〆たり心向きを内へ向けたりすることである。対には气に米と書いて陰陽の陽となり、簡潔には米が光を照らす太陽の象の如く、生の外向である。

俗的に

 若者は陰キャラ陽キャラとグループ分けて呼称しているが、その言は的を得た感じ方だろう。陰気臭いとか、あの人は陽気だなあとか。気が強い人は陽気であれば有無を言わせぬ発言力、雷鳴のようなものであり、陰気であれば無口故の一言の重みといった存在感で示す。これは人間関係でいえば父性と母性、男性と女性、性格における外向と内向、冒険と保守などと同じことだ。

 コロナ禍あたりの頃合いで、エナジーバンパイアなど相手に搾取されているという題目が増えたように見受ける。発信している者は人々に解りやすいようにあえて自らを下げて具体化し提示している者、理解せず探求心から発している者の2パターンに分かれる。日本において大抵は後者だが先生と生徒の上下関係、師と資があるようにどちらも大事だろう。
 ウェブ上で検索してみると"human energy field"といった、目に見えるものだけがすべてではないという認識や体験が一歩進んだこと相違ない。瞑想と麻薬が似た状態の現出をすることは、そのコメント欄であったり科学者の出版する書籍などからも垣間見える。もう少し理解している者は、私の生気を一方的に搾取されているという認識から俯瞰により、私と相手の気の天秤がただ傾いているだけに過ぎないことを理解する。天秤の傾きは相手をどうこうするより、自らを変えた方が合理的なことが解り、自在を習得する。自在の内にも内界と外界に分かれ、自らの内に天秤を形成する。

 この陰陽の天秤は無形のエネルギーである"気"が呪術的、宗教的、または東洋的なもの、瞑想から西洋文明の一般庶民へも理解されだしたことにより、心理学における唯物からの脱却が進むように、日本へと逆輸入されているように見受ける。
 これら陰陽や天秤は、調和を志向するならヘルツといった音のテンポや脳波、脈拍、進行速度など、波風立てぬよう0に近づけて無の境地、明鏡止水を志すことにあり、地震や電磁波、祈りが遠くまで通じることに等しい。心身を正すには夢の世界に生き過ぎず、現実の世界に生き過ぎないバランスが大事とでも云おうか。



 約16年前の高校2年時、交際していた彼女が調子悪く保健室で休んだ折、先生が氣功を使えたことで直ぐ元気になりお世話になった。心の白い者、透明度の高い者、育ち盛りほど境界を設けないから、意図せずあらゆる影響に左右されやすい。



参考になるもの
人体の「エネルギーシステム」の科学的仮説 - ScienceDirect
多様性の座標 -一人称と俯瞰- | 創作館 (shinji-fukuyama.com)

4/26 2000字程度 3時間
5/01 推敲
5/06 推敲


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