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道 -足るを知る-

 年齢が遠ければ遠いほど、職種が異なれば異なるほど、まるで宇宙人の如く意思の疎通は図れず縁遠い。これを成り立たせるには彼に何ら求めず己を満たし、ただ一切を受け入れて応えようとする寛容さ以外にあるまい。話せばわかる。堪え難きを絶え、忍び難きを忍ぶことによって初めて話の座につくことが可能となる。問答無用は斬り捨て御免に通じて我を通すことなりや。

 人の身体は食べ物や飲み物などにより構成される。現代の一般的イメージとしてアメリカ人と日本人でどう違うだろうか。日本人のなかでも昔を生き抜いた芋しか食べるものが無かった者と、現代のどこでもどのような食事でも安くすぐ食べることができる者とどう違うだろうか。

 アメリカ人は飲食が市場に溢れていることからグルメ家としての幸福によって健康に災禍がもたらされ、日本人は和食の味気なさからアメリカ人のようなグルメ家を羨ましがる。昔の日本人は食べ物が無かった故に現代も生きて食に困らぬことは幸福であり、現代人は食に困ることが無い故にヒトという生物種の面に於いてどこか蟠りを覚え、精神の幸福を希求する。

 私の父母は現役で、建設業と看護婦で御年75と71になる。昔から70代以上の者と縁あって接する機会に恵まれているが、だいたい彼らは戦時戦後の衣食住に困窮した生への希求が強い者たちで、自らの子であるかのように私に接し、「生きているだけで幸せ」だとか、「食べ物に困らぬ平和な世になってよかった」とか、「あれは私が作った」だとか、「愉しいならそれでいいじゃないか」とかまぁ色々いう。

 彼らが今その年齢ではなく同世代に生まれた者であったなら、私たち現代人と同じように真逆なことを言い返すだろう。私たちは食べ物に困ったら20円のもやしでも、100円ちょっとのハンバーガーでも食べることができる。大阪府の最低時給は1050円程度だから、彼ら建設現場従事者や農家や研究者と違って、コンビニで楽に15分も働けばハンバーガーを2個食べることができる。

 彼らは家族や村社会などの縁以外、すべてに困窮していたので縁を大事にした。現代人は困窮することが減ったが故に縁を求める者、なにかの芸術を求める者、なにかの職業を求める者へと多くの者たちが新大陸を求めて散らばっていった。


 人の身体は食べ物という生命をいただき血肉を得、飲料から水を得、大気から酸素を得、両親からは生を得て生かされている。両親無くして私は生ぜず、世界無くして両親は存在しない。不思議無くして科学は生まれず、信心無くして縁は生まれない。

有能な上司であるほど無能な後輩が生まれ、無能な上司であるほど有能な後輩が生まれる。己を知らぬ者ほど己を他者に求める。足りぬ者ほど足るを求める。多くの者はシーソーゲームの上に生きている。

これらは陰陽のように二元論の理。何も持たぬが故に最弱にして最強であり、強みを持つが故に保ち続けねば最弱となる。これを昇華したものを太一や道という。求めるが故に求められる。万物そんなもの。人の成長を眞に促すのであれば、愛においてアメと鞭が同じことでしかないことを理解せねばなるまい。

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