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基本的に人として。という価値観

こんにちは守屋です。

あるカフェで仕事をしていたとき、耳に聞こえた来たのはこんな声でした。

「あいつは基本的に人としての常識が無いわ。」

それはある音楽コミュニティで集まっている人々が、最近の若者に対して苦言を呈している会話の一部でした。小耳に挟んだところ、最近の若者が目上の人に挨拶をしなかったことに人としての常識が無いということを愚痴っていました。

「基本的に挨拶は当たり前だし、その辺の常識をちゃんと教えないとダメだ。」
「若者がたるんでいるのを見逃してしまうと、伝統が引き継がれない。」

などと言っている中、ある10代と思われる人が発言しました。

「でも、挨拶するかどうかって状況によりませんか。大切な話をしているなと思ったら挨拶しない方が良いって思うかも知れないし。」

「基本的に人として」の”人”の一人称は「自分」か「大多数」か。

「人として初対面、またはお会いする人に対して挨拶するのは常識。」

というのは世界中で認識されていることかも知れません。ですが、あくまでも一般的な話であり、状況によっては挨拶しない方が良い場合もあります。

緊迫した話をしている最中に、空気を読まずに挨拶をすることは話を中断することになる。複数人での集まりの場合、少し込み入った話をしたい場合は、最初に挨拶をするのではなく最後に印象を与えるために挨拶をする。

など人によっては挨拶一つとっても状況によって選択肢を変えます。

それを「基本的に人として」という個人の価値観で判断してしまうのは安易です。なぜなら自分が見た他人の行動は、その人の一部分でしかない可能性もあるからです。

「自分の常識は、ある人の非常識」である場合もあります。

自分と価値観が似ている人もいるかも知れません。国が違えば価値観や行動様式も異なります。

「あいつは基本的に人として…」と思ったとしても、誰しもその人なりの価値観があることを理解しておくと怒りも静まるかも知れません。


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