書きたいことが思いつかないとき


「仕事で書かないといけない」ときは、書いた文章の先にお客さんや関係者がいるプレッシャーが火付けになります。
すらすら文章が書けなくても「でも書かないとまずい」「仕事なんだから」「書かないと困る人がいる」と自分のお尻をどうにか叩いて、出来はともあれ手を動かし文章を書くパターンです。

でも、ここではタイトルの通り「書きたいことが思いつかないとき」の話。

・お客さんのための文章でもなく
・仕事でもなく
・だけど「なにか」書きたい
・でも書けない


多くの人がさまざまな目的で「文章」を書いています。

なかでも仕事など対価が発生するたぐいのものではなく「書きたいことが思いつかないとき」の文章は、少なからず【自分のための文章】だと思います。

自分の現状を書き出したい
自分の思考を整理したい
頭のなかのモヤモヤに名前をつけたい
自分らしい文章を書きたい
「なにか」を書きたい、でも書けない。

・・・・・・

「書けないなら無理しないで、書かなければいいんじゃない?」

と割り切れるなら、書かないままでもいいです。
書かないことで誰かに迷惑かけるのでないなら、どうしても書きたくなるまでほおっておけばいい。

でも、そうではなく、「書かない自分がなんか気持ちわるい」ときがある。
書かない=出さないのが気持ち悪い。便秘みたいな。

「何かを書きたい気持ちはあるけど、それが何かわからなくて困ってる」

そんなとき私は「本や雑誌の写経」をしてみます。

写経というか ” 抜き書き ”です。

・だけど「なにか」書きたい

そんな思いがグルグルしている人の内側に起こっているのは、たいてい
「なにか」を自分の中から引き出したい、という欲求です。
そのなにかが結晶化されなくて、言語化できなくて、文章になれなくてくすぶる。
そんなとき、てきとうな本や雑誌を手にパラパラめくって、気になった文章やフレーズをノートに書き取ります。

ポイントは自分の言葉を書き足さないこと。表現をアレンジしないこと。
経文をそのまま書き取るように、気になる文章を書き取るだけ。
ノートに箇条書きみたいに、脈絡も流れもなく抜書きしたものをただ羅列します。
20分くらいやってみるのがおすすめです。

書き出した言葉の切れっぱしらをどうするか。どうもしません。
自分以外の誰かが書いた本や雑誌の文章の写経が呼び水になって、自分の文章を書きたくなったら、ノートをめくって別のページに、またはnoteに書いてもいい。


でもやっぱり書けないならそのままでもいい。

【書きたい・書けない】のループをぐるぐる回って疲弊しそうなとき、

・だけど「なにか」書きたい

の「なにか」=「モヤモヤ」を、一足飛びに「自分の言葉」に変換する必要はないと私は思っています。
無理に言語化・文章化しようとしなくても大丈夫です。
今なにかが醸されているんだろ、発酵してるんだろ、そんなイメージ。


「今の私はこんなことが気になるのか」
「こういう言葉が好きなのか」
「どうしてかわからないけどこの表現に引っかかる」
「このフレーズに目が留まる」

という小さな発見が、ノートに散らばっています。

抜き書きが語る言葉たちは、不思議と今の自分の「なにか」の代弁だったりします。

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