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ブルーライト

以前、山手線や京浜東北線など都内を走る電車の社内から、ホームにブルーライトの照明が設置されていたのをしばしば見た記憶がある。なんとなく自殺者防止用に設置されているんだろうなぁと思っていたが、最近はホームでそれらを見ていないような気がする。

ブルーライトの効果で自殺者が減ったためにめでたくお役目御免となり撤去された、とは考え難い。そうすると、効果が認められないので設置するだけ無駄と判断されたということだろうか。
私はホームのブルーライトを見ると穏やかな気分になる自分を感じていたので、もし私の推察どおりライトが減らされてしまっているのであれば少々残念ではある。

近所の散歩に行くときに必ず立ち寄るお気に入りの大型ビルのホールがある。ビルの上層階には様々な会社が入っているのだが、階下は近隣の人に開かれた大ホールとなっていて飲食店やコンビニも出店している。お昼時には上層階で勤務している人が降りてきて、ベンチや植木の段になっている所に腰掛け、昼食をとったり、PCとにらめっこしたりと、皆思い思いの時間を過ごしている。

退勤時間にも、ホールは帰路につく人で溢れる。私はこのホールが人混みで溢れている時間帯があまり好きではないので、それを避けるために夕方か退勤後の時間に訪れる事が多い。

このホールのお気に入りの点は、照明が間接照明であるため仄暗いことと、ホールを取り囲む木々にブルーライトのイルミネーションが程よく設置されている点だ。間接照明とブルーライトが程よく自分を落ち着かせ、内省状態へと導いてくれるのだ。

先日も、いつものように束の間の憩いをこのホールで過ごそうと足を伸ばした。ホールの段に腰掛けると直感的にどことなく普段のホールの感覚と違う印象を覚えた。ふと周囲を見渡すと、なんと木々のブルーライトの照明が撤去されているのであった。

自分の中で、このホールに対する興が一気に醒めるのを感じた。これはもちろんブルーライトを眺める効果を得られない残念さもあるけれども、雨が振ろうが、コロナだろうが、365日なんとなく緩やかに自分を向え入れてくれるような場所特有の雰囲気を失ってしまった寂しさから来るものかもしれない。

好ましく慎ましやかに自分のそばにあるものが唐突にその存在を消した時のささやかな感傷たるや、である。私のように駅やホールのブルーライトを復活させて欲しいと思っている人もそこそこいるのではなかろうか。

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