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第2回 職場の現実とどう向き合うか?

1.「働き方改革」の限界

 「働き方改革」は後退させてはならないものの、同改革が労働者の生活や生き方に大きな影響を与えるとは考えていない。理由は、いかに労働法規による規制が強化されても、実質的にこれを骨抜きにする方法は数多くあり、事業主に対する圧力は有効に機能しない可能性が高いからである。「早く帰れと言われても、『ノルマを達成しなければ評価を下げられる』ので、時間外労働時間を申告しないで仕事をする。」、「社内規定において、割増賃金の対象となる時間外労働時間には上限があるため、仕事は自宅に持ち帰ってやるしかない。」、「年次有給休暇は自由にとって良いとされているが、代替要員はいないため休暇を取ることはできない。」。結果重視の姿勢を貫く、労働者自身の判断に委ねる体裁を取る、業務量を勘案した周辺環境を整えないなど、労働者の心理もしくは誠意を有形・無形に利用したものであることが多い。こうした恣意的もしくは放任的労務管理は、仕事が細分化され、専門化が進んできた昨今顕著になってきており、特に真面目で、仕事に意欲を持つ若年労働者や一定の年齢になり責任を負わされる立場となった中間管理職を犠牲にする。

2.転職できない労働者と背に腹は代えられない会社

 いうまでもなく、労働者には転職の自由があり、不当と感じられる職場からは逃げ出すことができるはずである。しかし、未だ年功制が根強い日本の会社においては、転職は相当なリスクが伴うものであり、さらには転職先の労働条件もブラックである可能性がないとは言えない。また、そもそも、仕事に熱意を持つ人は、会社のため、顧客のため、もしくは同僚のために自己犠牲をいとわないことがあり、上記のような行動をとる人の多くは、体力もしくは精神が限界に達するまで転職など考えない。
 わが国は、労働力人口の減少という強烈な逆風のなか、労働力の開発と労働生産性の向上により経済の後進を防御しようと躍起になっている。子育てや介護といったライフサイクルの中で必然的に生じるイベントを、労働者がうまく乗り切るためには、国の施策とともに会社の理解が欠かせない。未だ労働者の生活などには無関心な会社は少なくないが、おそらく、優良な会社においても、競争が激化し、また労働者が不足する中で、背に腹は代えられないという事情のもと、適切でない労務管理を黙認しているという状況になっているのではなかろうか。働き方改革の必要性とその趣旨は理解するものの、できることには限界があるというのが会社の本音なのかもしれない。

3.封じ込められる正論

 一方、労働者の意識は、往々にして現実に追随する。経営危機が叫ばれれば、無理な働き方を強いられても仕方ないと考え、社内に何らかのスキャンダルが生じると、職場は内向きとなり、度々正論は封じ込められる。自らの生活を支える基盤であるとともに、最も他人とのコミュニケーションをとる機会が多いといえる職場という空間は、陰と陽の落差が激しくなりがちであり、順調な時には達成感と仲間との溢れる会話で生きがいさえ感じるものとなるが、ひとたび歯車が狂うと、きわめて居心地の悪い空間となる。自尊心やアイデンティティに関わるという場合もあるが、職務に対する愛着や気の合う同僚等との関係から逃げ出しにくく、さらに、家族を養う必要がある等、相応の収入を得るための適切な代替手段がないことも多いため、自らを限界まで追い詰めやすい。特に、苦労をして到達した地位である場合や周りから羨望ないしは期待される職業である場合には、逃げ出すことはさらに困難になりやすい。

4.なぜ、非常識に慣れてしまうのか?

 職場における問題がぎりぎりまで封じ込められることには、多くの労働者が、環境や労働条件に慣れてしまうことにも原因がある。インターネットや新聞報道などから知れる労働条件等の常識は、自らの職場の非常識とは比較対照されない。非常識に慣れてしまうと、もはや非常識とは感じられなくなるか、常識はどこか遠い世界のことと感じられて諦めるか、もしくは非常識に働くことを自らの価値や自尊心の根源とすることで開き直ることになる。「休憩時間だけど、電話番してくれと言われたら断れない」、「新入社員は始業時刻前に来て職場の掃除をすることは当たり前だと言われる」、「業務中に怪我をしたが、自分の過失によって生じたことだから労災保険は申請できないと言われた」、「育児休暇を取ることはできるとはされているが、実際に取得した先輩は、その後昇進が遅れることとなっている」など、法律を規制強化しても、必ずしも実際の働き方を変えるものとはならない可能性がある。こうした事態は、法律違反となる場合もあるが、形式的には労働者自身の意思とその選択に委ねられているため、表面化しにくい。SNSの浸透による労働者自身の発信機会の増加と労働基準監督署(以下「労基署」という)による監督強化もあって、具体的な命令によってサービス残業をさせるような職場は減少していると考えられるものの、時間外労働をしなければ業務が滞るもしくは他の労働者の迷惑になるなど様々な事情のもとに、「やらない」という選択肢が事実上存在しなくなる職場は少なくない。仕事が分業化され、担当である当人でなければできないといった仕事が増加しているためか、こうした状況は加速されているように思われる。

5.「働かせ方改革」の必要性

 筆者は、会社が置かれている状況を理解しながらも、労働者の働かせ方を変えることは急務であり、もはやこのことに真剣に取り組まない会社に未来はないと考える。   
一定の業務をAIに置き換えることは可能となるであろうが、商品開発、接客、意思決定など、多くの業種において、当分の間、人間の介在は不可欠である。人間である労働者の能力を最大限活用するためには、法令遵守はもとより、労働者のライフサイクルや生きがいなど、労働者に寄り添う労務管理が必須である。労働者不足はさらに深刻化することが予想される一方、労働の現場では、人間関係等のために挫折し就労を諦める人、過重な労働を契機として傷病に罹患する人、雇用労働に絶望し自営を目指す人など、組織において働くことを忌避する人は明らかに増えている。

6.企業経営・労務管理に携わる専門家の立場とは?

 労働問題だけに着目しても、企業経営は極めて難しい時代に入っている。人材は、その数が不足しているだけではなく、質の低下も著しい。グローバルに人材を求めようとすると法の壁と文化の壁が立ちはだかる。時代の変化が激しく、また競争も激化しており、人材を育成する時間的、経済的余裕も小さくなっている。さらに、働き方に係る法規制は強化される
一方であり、今や労働者の献身性さえもコントロールすることを求められる。
 コロナによる経営危機は、これまでの企業のあり方を見直すチャンスであるというのは言い過ぎであろうか。労働者は、ある日突然、会社はなくなってしまうものであることを実感したであろうし、経営者は、市場がなくなるという事態に直面し、労働者が同時に消費者であることも認識したであろう。良くも悪くも一蓮托生であった日本的労使関係は、新たな関係を築くことで、労働生産性を引き上げ、競争力を増す道を見出せるのではないかとの期待がある。
 もっとも、労働者と使用者は、利害が対立する部分があることも事実であり、当事者間で日々生じる問題を適切に解決し得るとは思えない。コンピューターは、CPUやマザーボードの性能以上にインターフェースが重要であるという持論を持つ。幸い、日本には労務に係る各種の専門家がいる。会社の機能を最大限に引き出せるインターフェースになり得るか、知識と技能、そして調整能力を発揮する人間力が問われる。

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職場の実態を知り尽くした筆者による労務問題に携わる専門家向けのマガジンである。新法の解釈やトラブルの解決策など、実務に役立つ情報を提供するとともに、人材育成や危機管理についても斬新な提案を行っていく。

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