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短歌の鑑賞文(鯨井可菜子『タンジブル』から)

なんとなく気が向いたので、一首評的な文章を書いてみる。連作や歌集の評ばかりに力を入れているのも疲れるし。ここでは、次の一首を取り上げる。 鯨井可菜子『タンジブル』の文体は、口語のかえって自然な延長にあるような、ゆるい文語がしばしば混交するものだ。そのなかでもこの一首を取り上げるのは、私的に一番気になる一首だったから。掲出歌は「本であること」という結句のまとめ方こそややトリッキーだが、その手前の「花の枝の背筋を持たん」の意味がちょっとわからなくて、気になった。 ネットでググ

    • なんと2021年最後のすべりこみでブログ記事を書きました。『緑の祠』論です https://lyrikuso.netlify.app/midohoko/

      • 今年の振り返りみたいなやつ(2021年)

        2021年にやっていたこと今年はもう何か発表したりということはなさそうな気がするので、振り返りをやることにした。 2021年にこまごまと書いていた文章はほかにもあるけれど、がんばって書いた感がある文章は2本ある。 2020年の冬ごろから6月くらいにかけては「「詠わない」ことの行為論」を書いていた。 地味な内容だが、非常に力を入れて書き上げた文章で、短歌について取り上げる批評とはこのようなものであるべきだという私なりの考えについて、その暫定解を示したものと言ってもよい。

        • 大森静佳『てのひらを燃やす』における鳥と魚

          ブログ記事で大森静佳『てのひらを燃やす』を取り上げた。 『てのひらを燃やす』で歌集を通じて繰り返し現れるモチーフは、大森の独特なイメージの連関のなかにあって、ちょっとしたものであっても、その意味付けを想定しやすい。ただ、それらについて全部書いているとキリがなかったので、先のブログ記事では一部だけについて扱った。 ここでは同書のなかに現れる「鳥」と、ブログ記事では中心的には取り上げなかった「魚」に注目した話をする。 *** 『てのひらを燃やす』では、たびたび空を飛ぶ鳥が

        短歌の鑑賞文(鯨井可菜子『タンジブル』から)

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          第39回現代短歌評論賞に応募した拙論「「詠わない」ことの行為論」を外部ブログで公開しています https://lyrikuso.netlify.app/pragmatics-of-tanka/

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          #3 「スイミング・スクール」を読む(A4横置き・縦書き40字30行PDF)

          モチベーションA4縦書き40字30行の印刷はMS Wordの有料ライセンスがないとふつうは詰む。代替策としてCloud LaTeXでPDF出力した例を紹介する。 その他の代替ソフトMS Office Word(無料プラン) 縦書きできない。 Googleドキュメント 縦書きできない。 LibreOffice(Writer) 縦書きできるが、字数・行ともに既定では36が最大値であるため、行あたり40字に設定できない。 TATEditor 自力で設定を調整すればで

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          エアプ鑑賞(橋爪志保『地上絵』から)

          私は『地上絵』は未読だし、内容も知りません。したがって、これは「しらんけど、これはこういうことじゃね?」と言いたいだけのメモです。 上の記事は「橋爪短歌の最大の魅力は『喩の飛躍』」だと言っています。それがもっともな感想なのかは、もちろん私には判断できかねるのですが、まあ、実際にそうなのかもしれません。 ただ、掲出歌を見るかぎりでは、橋爪さんの短歌はわりと素直な喩をやっているタイプの作品にも見えます。もっとも、掲出歌についてはいずれもちょっとハイコンテクストというか、あまり

          エアプ鑑賞(橋爪志保『地上絵』から)

          #2 短歌・意図・私性――コンピュータは短歌〈する〉か?

          この記事について短歌における「私性」に関連して考察した文章の一部を公開するものです。文章全体としては書きかけで未完成です。近い関心の記事を別に書いたので、この文章は途中で放置されたままになっています。 この文章では大筋のモチベーションとして、短歌を言語表現の一形態と捉える場合、その背後にはその表現を帰属するべき主体としての〈私性〉が(少なくとも慣習上は)存在しなければならないことを論じます。本文の流れとして、はじめに、短歌評論の文脈で用いられる「私性」という用語が引き連れて

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          #2 短歌・意図・私性――コンピュータは短歌〈する〉か?

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          青松輝(ベテランち)の短歌の読み方

          この記事について短歌の初心者でもわかる青松輝の短歌の読み方(その補助線みたいなもの)を書きたかった。 この人の短歌を取り上げる。 彼の短歌はブログなどで読める。 はじめにはっきり言って、青松輝の短歌はかなり難しい。短歌に普段ふれない人が見ると「こういうのも短歌なのかー」くらいの感想ですむかもしれないが、それなりに見慣れている人からすると青松の作品はわりと異質な部類に入ってくると思う。 どんな作品が現代短歌において「ふつう」な部類なのかは明確には言えないけれど、インター

          青松輝(ベテランち)の短歌の読み方

          お知らせと補遺

          お知らせ稀風社の6月新刊『bouquet, 2020』に、小峰さちこ「「スイミング・スクール」を読む」を寄稿しています。2020年7月のあいだにかぎりBoothで頒布されているらしいです。 あと、正誤的なやつ 補遺1書いた文章のなかでふみがわさんのブログ記事の内容について言及し、それについてご本人からコメントいただきました。

          お知らせと補遺

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          #1 短歌のための感情心理学入門

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          #0 この部屋、リバーヴ効きすぎじゃないですか?

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          なんというか、短歌がエンターテイメントとして消費される体験にすぎないのなら、エンターテイメントとしては絶対にディズニーランドのほうが完成度が高いし、ソシャゲのほうがおもしろいし、マリンスポーツに勝てるわけがないですよ

          なんというか、短歌がエンターテイメントとして消費される体験にすぎないのなら、エンターテイメントとしては絶対にディズニーランドのほうが完成度が高いし、ソシャゲのほうがおもしろいし、マリンスポーツに勝てるわけがないですよ

          短歌作品についておもしろいとか美しいとか思う感性は大切だし、そう思うことの意義を否定すべきではないけれど、個人の感性に引っかかるかという観点から作品を評価するなら、僕は短歌なんかよりTVアニメのほうがずっとおもしろいし美しい映像だと思ってしまうな

          短歌作品についておもしろいとか美しいとか思う感性は大切だし、そう思うことの意義を否定すべきではないけれど、個人の感性に引っかかるかという観点から作品を評価するなら、僕は短歌なんかよりTVアニメのほうがずっとおもしろいし美しい映像だと思ってしまうな

          歌は人でいいのかという話、べつに人でなくてもいいけど、それは作品を鑑賞する場での話であって、批評する場にそういう議論をもちこむのは違うと思う。批評する場でそれをいうなら、じゃあ逆に歌はエンタメでいいのかが問われることになる。

          歌は人でいいのかという話、べつに人でなくてもいいけど、それは作品を鑑賞する場での話であって、批評する場にそういう議論をもちこむのは違うと思う。批評する場でそれをいうなら、じゃあ逆に歌はエンタメでいいのかが問われることになる。

          短歌「にする」という言語行為

          記事を読んで考えた感想のようなものです。例によって気に入ったら課金してください。 「スイミング・スクール」の新しくなさ平英之「短歌にとっての〈語り手〉」という記事を読んだ。 この文章は、井上法子「「夜明け」について 第二回笹井宏之賞大賞受賞作を読んで」(『現代詩手帖 2020年5月号』所収)を読んだうえでの平の感想のようなものらしい。井上の「「夜明け」について」は私は未読だけれど、どうやら鈴木ちはねの「スイミング・スクール」を題材にした評らしい。「スイミング・スクール」に

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