今年の振り返りみたいなやつ(2021年)
2021年にやっていたこと
今年はもう何か発表したりということはなさそうな気がするので、振り返りをやることにした。
2021年にこまごまと書いていた文章はほかにもあるけれど、がんばって書いた感がある文章は2本ある。
2020年の冬ごろから6月くらいにかけては「「詠わない」ことの行為論」を書いていた。
地味な内容だが、非常に力を入れて書き上げた文章で、短歌について取り上げる批評とはこのようなものであるべきだという私なりの考えについて、その暫定解を示したものと言ってもよい。
この論は、いずれも昨年に書いた「短歌「にする」という言語行為」「「スイミング・スクール」を読む」と私のなかで同じ系譜のもので、短歌における主体の「意志」や「意図」についての洞察を主題としている。
このあたりの話については、自分のなかでひとくぎり付いた感があるので、3つの論をPDFにまとめて転載した(ちなみに、このタイトルでこの表紙のPDFは前にもつくったんだけど、つくっておいて自分の手元にもうないので、それは存在しなかったことにした)。
また、11月には「歌人の手つき」という文章の前半を公開した。
来年やりたいこと
「歌人の手つき」の後半はそのうち書き上げたい。
個人的なイメージとして「意志」や「意図」との対照として、それらによっては変えがたいものとしての「社会的なもの」があり、今後はなんとなくそういう方面の話も扱っていきたいと思っている。
「歌人の手つき」については、「女性的」と形容できそうな「手つき」はどうもしばしば男性には身体化しづらいということがありそうで、つまり、文体へのアクセシビリティには社会規範的なものを基盤とした個人差があるのではみたいな話に落とし込みたいと考えている。
また、この前半の冒頭で、乾「ありとあらゆる」「夢のあとさき」の話をさらっとしていて、これらの連作についてはそれだけ中心的に扱った文章を改めて書きたい気もする。そのうち歌集が出るはずなので、その前後に何か書くかもしれない。
なんだかんだ文章は書くことがあるのだけれど、最近は、かなりじっくりめに書いているというか、実際にはコンスタントに書き続けているわけでもないので、評論っぽい文章に関わっている時間にはムラがある。当面はこんな感じで、書けそうなことを無理のないペースでかたちにしていきたい。
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