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ネタツイの墓

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お知らせと補遺

お知らせ稀風社の6月新刊『bouquet, 2020』に、小峰さちこ「「スイミング・スクール」を読む」を寄稿しています。2020年7月のあいだにかぎりBoothで頒布されているらしいです。 あと、正誤的なやつ 補遺1書いた文章のなかでふみがわさんのブログ記事の内容について言及し、それについてご本人からコメントいただきました。 以下、そのコメントについてのコメントです。 補遺2RTの内容など含め、その他の思ったこと 補遺3校正したときのやりとりのなかで書いたこと。夜・

なんと2021年最後のすべりこみでブログ記事を書きました。『緑の祠』論です https://lyrikuso.netlify.app/midohoko/

今年の振り返りみたいなやつ(2021年)

2021年にやっていたこと今年はもう何か発表したりということはなさそうな気がするので、振り返りをやることにした。 2021年にこまごまと書いていた文章はほかにもあるけれど、がんばって書いた感がある文章は2本ある。 2020年の冬ごろから6月くらいにかけては「「詠わない」ことの行為論」を書いていた。 地味な内容だが、非常に力を入れて書き上げた文章で、短歌について取り上げる批評とはこのようなものであるべきだという私なりの考えについて、その暫定解を示したものと言ってもよい。

第39回現代短歌評論賞に応募した拙論「「詠わない」ことの行為論」を外部ブログで公開しています https://lyrikuso.netlify.app/pragmatics-of-tanka/

なんというか、短歌がエンターテイメントとして消費される体験にすぎないのなら、エンターテイメントとしては絶対にディズニーランドのほうが完成度が高いし、ソシャゲのほうがおもしろいし、マリンスポーツに勝てるわけがないですよ

短歌作品についておもしろいとか美しいとか思う感性は大切だし、そう思うことの意義を否定すべきではないけれど、個人の感性に引っかかるかという観点から作品を評価するなら、僕は短歌なんかよりTVアニメのほうがずっとおもしろいし美しい映像だと思ってしまうな

歌は人でいいのかという話、べつに人でなくてもいいけど、それは作品を鑑賞する場での話であって、批評する場にそういう議論をもちこむのは違うと思う。批評する場でそれをいうなら、じゃあ逆に歌はエンタメでいいのかが問われることになる。

小峰さちこ(shinabitanori)

小峰さちこ|@shinabitanori92年生まれ。shinabitanoriというアカウント名で、インターネットで短歌をつくったり、評論を書いたりしている人。自己論・感情社会学・自然言語処理などに関心がある。バックグラウンドはことばの哲学。 こういうテイストのツイートをする人間です。 連絡先Twitter DMからどうぞ。 掲載情報など雑誌などには投稿しないのでそういうのはありません。 個人ブログ 最近文章を公開するときには主にブログを使っています。noteに公

いいねされた数だけ創作論を語る見た人もやる

いいねされた数だけ創作論を語ったやつ。実際にはいいねされた数はない。 詩とは、レトリックによって読み手に詩的効果をもたらすことを意図して提示される一群のテキストだと考えます 基本的にはこれが前提としてあって、短歌(あるいは短詩)の場合、作品の形式ないし作品が提示される媒体(medium)が、その作品が詩のなかでもとりわけ短歌というジャンルに属するものであることを保証します ところが、この形式ないし媒体の作用はきわめて強力なため、それらの条件さえ満たされていれば短歌として

それでもプライベートな共同性が打ち立てる「弱い倫理」よりも「強い倫理」は依然として必要で、そのためには共感によらない制度的な連帯が不可欠だ。制度的な連帯の維持のためにはナショナリズムを押し殺し、感情労働を受容しなければならない。

コミュニティ化の進展は社会という公共性の「壊れ」であり、現代人は「共感」を軸としたプライベートな共同性を築くようになった。そこへきて、文学という営みの媒介するプライベートな共同性が打ち立てる「倫理」は相対的にその役割を増している。

属性にカテゴライズして消費するなと言うのは簡単だが、私性を読み解くことだって〈ほかならぬその人〉としての同一性を付与するという意味でカテゴライズですからね。にゃーん

最近、社会学を勉強しているのですが「近代文学が〈内面〉の発見とともにあったとするなら、その消滅は『近代文学の終わり』(柄谷行人)」というアレを感じますね

安易にツイートを引用するとそのツイートが非公開にされたときに前後が繋がらなくなるので気をつけましょう(自戒)