それでもプライベートな共同性が打ち立てる「弱い倫理」よりも「強い倫理」は依然として必要で、そのためには共感によらない制度的な連帯が不可欠だ。制度的な連帯の維持のためにはナショナリズムを押し殺し、感情労働を受容しなければならない。

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