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大人になるということは、冷めたコンビニ弁当を食べるということ

私の母は、専業主婦だった。

物心ついたころには、母は仕事をやめていた。父が働いて母は家庭を守る。そんな典型的な家庭が私の家だった。

父がいわゆる亭主関白タイプだったからか、父は一切母の手伝いをしなかった。父も父なら子も子もだ。私自身も、母の手伝いをほとんどした記憶がない。

そんな家庭だったので、家といえば常に綺麗にされているもの。食事といえば出来立てが時間通りに用意されているもの。洗濯とは洗濯かごに入れるもの。そんな認識で私は高校を卒業し、一人暮らしを始めた。



一人暮らしをはじめて、四年。

今、母と家族のありがたみを心の底から感じている。


「ただいま」と家に帰っても冷たくて暗い家、かえってこない返事。食料は自分で買いに行った分しかないし、それなりにお金がかかる。料理は誰も作ってくれないし、誰も与えてくれない。誰かと食べるご飯はおいしいのに、一人で食べる食事はマズい。ぐうたらしてても注意してくれないし、お風呂に入っていなくても「もう。入りなさい」と言ってくれない。何か作業をしていて忙しい時や手が離せない時も、誰も手伝ってくれない。私の死ぬほどどうでもいい雑談も、誰も聞いてくれない。私が死ぬほどお腹が痛くなっても、誰も助けてくれない。


寂しい。


寂しい。


一人暮らしで帰りが遅くなっても、出迎えてくれるのはコンビニ弁当と、半額のお惣菜だけだ。温めなおせばおいしく食べられたママの手料理は、もうない。


大人になるということは、全部一人でやるということ。愛情のあるご飯を作ってくれるママはもういないということ。一日は24時間ではなくて、掃除洗濯料理すべてを抜いた、たった数時間しかないということ。

大人ってつらい。つらい。

外食でも、コンビニでも、スーパーでもない、他人が作ったご飯でもない、
ママの作ったご飯が食べたい。

でも、私は、独り立ちしなければならない。いつまでも実家暮らしをするわけにはいかない。やりたいこと実現のため、地元を離れる覚悟を決めたのだ。ママから離れる覚悟を決めたのだ。



今は大学生で、帰ろうと思えばいつでも帰れる。バイトさえやめれば長期休みは1か月以上帰省することも可能だ。

でも、社会人になれば、帰れない。お盆お正月さえあるかわからない。

帰省も我慢して、
好きなことをやる時間も我慢して働いて、
生きるために必死に働いて、

それでも私に待っているのは冷めたコンビニ弁当と半額のお惣菜だけだ。

エアコンの音だけが鳴り響く、一人ぼっちの家で寂しくご飯を食べる生活だ。

これが誰かと同居するまでずっと、続くのだ。
ちなみに私は22歳なのに彼氏一つできたことがない。多分、結婚できない。

つまり、

私は、

愛情込めて私のために作ってくれたご飯を、もう一生食べられないのだ。



体力がない&マルチタスクが苦手な私にとって、自炊は予定がない日しか無理だ。

そもそも自分のためだけに作ったご飯なんて、味がしない。

多分、365日のほとんどはコンビニ弁当か、お惣菜か、どこかの外食、味のしない自炊となる。

一人で食べるご飯は、味がしない。

加えて、私は会食恐怖症である。(家族を除く)他人と食事すると、緊張しておなかが痛くなる。もちろん、味なんて感じない。

もうなにこれ、笑うしかいない。



当たり前に享受していた、温かくておいしいご飯は、もう帰ってこない。

今食べている冷めたコンビニ弁当。
きっとこれが大人になるということなんだ。


味がしない唐揚げを食べる。
一人で食べることも、無機質なご飯も、早く慣れなければならない。

大人になるために。


椎名ゆず。


いただいたサポートでおいしいごはんを食べたり本を読んだりしようと思います。明日への生きる活力をつけたい