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【こころがととのう】ありがとう、小さな感謝

「ありがとう」の言葉。これを伝えた人と伝えられた人、双方に負のイメージはありません。間違いなく良いイメージを受け、心地よい状態になります。誰にでも出来る、とても簡単な方法です。手間もかからなければ、お金もかかりません。なんと最高の手段でしょうか。
日本人には、言葉は違っていても「ありがとう」といった感謝の言葉は沢山あります。そのなかで、生活に溶け込んでいるのが「いただきます」。最近、この言葉を使っていますでしょうか。


「いただきます」

いただきますの意味を引用してきました。

「いただきます」は本来、料理の食材となった自然の恵みへの感謝を表すものです。そして、「ごちそうさま」は、料理を作ってくれた人だけでなく、お米や野菜を作ってくれた人、魚を獲る人、食事が並ぶまでに関わったあらゆる人への感謝の気持ちが含まれています。四方を海に囲まれ、山々の緑豊かな地域性もあり、昔から自然に寄り添い、深く関わってきた日本人ならではの気持ちの込め方ですね。

「いただきます」「ごちそうさま」に込められた本当の想い|おいしい和食のはなし。 (maff.go.jp)

自然、人、物、大きくいうと宇宙、自分が生きていることや、目の前の食事にありつけた奇跡、関係するすべてのモノに対しての感謝の言葉。とても素晴らしく美しい言葉だと思います。
私たちは食事をしないと生きていけません。生きて、生かされているということを理解できる言葉ですね。
言葉の背景を知らず、ただご飯を食べる前に形式的に言う言葉としか理解していないともったいないです。
ちなみに、ご飯を食べ終わった後の言葉もありますね。言わずもがなだと思います!

「すみません」→「ありがとう」へ変える

人と話すときについ発しやすい言葉「すみません」。こちらも引用するのですが、感謝という意味もありつつ、基本的には謝罪の言葉と捉えられています。謙虚な思いで、「すみません」という言葉を使うことがとても多いと思いますが、感謝の言葉が相手に率直に伝わる「ありがとう」を使うことで、より相手に好印象を与えることができるのではないでしょうか。

「すみません」を使う場面は大きく分けて3つ、謝罪・お礼・依頼です。

とはいえ、「すみません」は非常に軽い印象を与えるフレーズのため、「すみません」が使えるのはこれらの場面のごく一部に限られます。
まず、最も多い「すみません」の使い方は、謝罪です。何かに失敗したり、相手に迷惑をかけたときに使います。ただし、大きな過失や相手に多大な迷惑をかけた場合に「すみません」を使うと、事態の深刻さや反省の気持ちが伝わりません。謝罪の「すみません」は、それほど重要ではない過失に対してのみ使います。

感謝を伝える際にも「すみません」を用いることができます。例えば、何かを頂戴したり相手に労力を割いてもらったなど、相手の厚意に対して感謝を伝える場面で使用します。ただし、「すみません」は軽いお礼の言葉です。基本的には、些細な事柄に対する簡単なお礼として使います。

なお、感謝の「すみません」は、「ありがたさが申し訳なく感じる」という謙遜のニュアンスを含んでいます。感謝のフレーズとして「すみません」を使うことは日本人らしい謙虚さが感じられるものの、近年では「ありがとう」等ストレートに感謝を伝える風潮になりつつあります。

「すみません」の意味・使い方(例文)|「すいません」との違いや分別は?ビジネスでの使い方を紹介 (bizushiki.com)

私も、感謝の言葉について学ぶ前は、とにかく「すみません」という言葉を使っていました。しかし、今は素直に「ありがとう」という言葉を生活や仕事に使っています。
例えば、私の失敗や修正すべき事柄があった場合、「すみません」「申し訳ございません」でなく「ご指摘、ありがとうございます。おかげさまで良い資料を作成できました。」と伝えることで、良好な関係が作れます。
相手からすると、謝られるようなことをしていないのに「すみません」と言われるよりも、「あなたのおかげで○○ができた。ありがとう。」の方が、印象良いですし、良い気分になると思います。
もちろん、時にはしっかりと謝るべき時はあります。言葉の使うシーンの見極めが大切です。

普段の当たり前のものに感謝しよう

当たり前とは何でしょうか。それがあること自体が奇跡と思ってみませんか?と言いながら、私も普段からこんなことばかり考えているわけではありません。たまにでいいのです。当たり前のことを当たり前に感じていること、それでは小さな感謝は見つけれらません。当たり前のことに感謝できる練習をしてみてください。
例…家があること、親がいること、子がいること、洋服があること、コーヒーが飲めること、道路が整備されていること、晴れていること、電車が動いていること、車があること、心地よい風が吹くこと、雨が降ること、お金があること、買い物ができること、歩けること、生きていること、等々。
例の1つ1つが、普段当たり前にありますが、本当に当たり前でしょうか。他の国では上記内容が当たり前でしょうか。色々と考えると、当たり前のことは決して当たり前ではありません。
当たり前を支えている人がいて、自然がある。それらには感謝する必要がありますし、感謝すべきなのかもしれません。

私たちは支え合って生きている

当たり前の事を作り上げ、私たちは生活していますし生きています。
一人一人が、自然と係りあい、仕事をして支え合って生きているのです。支え合って生きていることに、関係する見たことも聞いたこともない人に感謝をする時間をつくってみてはいかがでしょうか。
この記事を書いている時、私はコーヒーを飲みながら、チョコレートを一口食べていました。
コーヒーやチョコレートの原料となる、コーヒー豆やカカオ豆の生育者、私の手元まで届くうえでのすべての関係者に感謝しました。
ちょっと今まで気づけなかったことです。
この記事を書けるnoteの関係者には感謝です。また、この記事を読んでいただけた方にも感謝したいと思います。
「ありがとう」

このメッセージが、みなさまの何か1つの気付きにつながりウェルビーイングにつながれば幸いです。

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