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この回り道は、わたしのキャリアに必要だった

こんにちは!

TCS認定コーチ、7つの習慣セルフコーチング講座認定コーチの、しんちゃんです。

2023年が始まった!と思ったとたん、1月が終わりましたね。なんだかあっという間すぎて、オソロシクなります。

毎日、時間に追われてばかり。

繁忙期はいつも残業続きだし。

自分の時間なんて、とれるわけがない……。

こんなふうに考えていたとき、わたしは目標を達成したことがありませんでした。ま、当然ですよね。目標を達成するための行動を、あきらめていたからです。

アメリカのスクラントン大学が行った調査によると、年始に掲げた目標を達成できる人は、わずか8%だそう。

そもそも「目標を覚えていない」人が42%もいるという結果をみて、ちょっと耳が痛くなりました。

そりゃあそうだと思います。「こうありたい」を追いかける時間より、「なるはや対応」のほうが緊急度が高いですもん。

じゃあ、目標なんて立てる必要はないんじゃない?

そう思って、目標を立てること自体を放棄していた時期もありました。

そもそも、達成できる人はわずかなのに、なぜ、「目標を立てよ」といわれるのでしょうか?

この記事では、わたしのキャリア=人生を振り返りつつ、目標のとらえ方について考えてみたいと思います。

鍵となるのは、自分の「特性」と「効果性」です。

キャリアの点と点を結ぶ

わたしは10代で自分の夢が叶わないことを知り、20代と30代で大きな挫折をしました。

そのため、「夢なんてもってもムダ。目標なんかで飯は食えない!」と思うまでに至ったのです。笑

それ以降、「どんぶらこっこ」と流される人生を送っていたわけですが、昨年、会社員を卒業した時点でキャリア=人生を振り返ってみて、ようやく点と点をつないだ線が見えるようになりました。

最初に勤めた会社で鍛えられた、ビジネスマナーの基本

インストラクターのアルバイトで得たIT知識

役者&制作者として、作品づくりで体感したリーダーシップ

厳しい……というか、イヤミの嵐を耐え抜いたライター業と翻訳業で得たリカバリー力

人材開発室長として取り組んだ企画力

そして、プライベート面でも。

約20年続けている合気道の稽古で学んだ、一期一会の精神

学生時代にはまり込んだキルケゴールの哲学

テンでバラバラで行き当たりばったりの人生に、「わたしにはなんの特技も長所もないから……」と決めつけていたのです。

コミュニケーション(コーチング)を学ぶ中で、この思考停止が、逆に自分を苦しめていたんだなということに気が付きました。

そうです。

「行き当たりばったり」が得意とは、「初めてのチャレンジに迷いなく飛び込める」ということだったんです!

「終わり」か「始める」か

TCS(トラストコーチングスクール)の講座を通して、そしてその後も自分自身を振り返ってみて、ようやく自分が「積み上げてきたもの」を認められるようになりました。

あまりにもあちこちに散らばっていて、そして小さなカケラすぎて、すべてたいしたことじゃないように見えていたんですね。

コーチングの学びをとおして、自分の「当たり前」や「思考のクセ」に気付くことができ、大きな転換点になりました。そして自分の役割をベースに、物事をとらえられるようになってきた……のですが。

それでも、「目標」という言葉は、どこか霞の向こうにあるような感じがしちゃう……。

ちょっと話は変わりますが。

『7つの習慣』の第2の習慣は、「終わりを思い描くことから始める」です。実はこれ、完訳版の表現で、1996年に発売された版では「目的を持って始める」となっていました。ちなみに原文は「Begin with the End in Mind」です。

原文:Begin with the End in Mind
完訳版:終わりを思い描くことから始める
1996年版:目的を持って始める

『7つの習慣』

「7つの習慣セルフコーチング講座」を開講するとき、受講者さんに「どちらのほうが、“やろう!”という気持ちになりますか?」と聞いています。

いまのところ、みなさん「終わりを思い描くことから始める」と仰るので、ゴールを思い描く力があるんだなーと感心しておりました。

実は、わたしは「目的を持って始める」のほうが、はるかにやる気が出るのです。

この違いはどこから来るんだろう……とずっと考えていて、ひとつの答えを見つけました。

パソコン、役者、ライター、校閲ガール、研修コーチと、謎に多彩なお仕事遍歴は、言い替えると「新しいことを始めるのに、あまり抵抗がない」といえます。

「目的を持って始める」がビビットに響く理由は、わたしの特性である「初めてのチャレンジに迷いなく飛び込める」とつながっていたわけです。

「目的を持って始める」には、自分の立ち位置が「現在」にあるようなニュアンスがありませんか?

つまり、終わりを思い描くと、一足飛びにそこに行ってしまえるような気がしちゃうのです。なんだか調子に乗っちゃいそう。わたしは「チャレンジ」を一個ずつ積み上げたいタイプなので、常に「現在」からゴールを見たい。

そのほうが「チャレンジの積み重ね」のイメージがわくので、GO!GO!感が出せる。そして、「目的」と「目標」という言葉から受ける印象も、わたしのGO!GO!感に影響を与えていることに気が付きました。

人生で成し遂げたい「目的」はあるけど、「目標」という通過ポイントを重視していなかったわけですね……。

なので、いまでは一年に区切った「目標」を立てるようになりました。

目標のとらえ方を深掘りしてみると、自分の意外な特性に気が付けるかもしれませんよ!

人生の「効果性」を考える

「行き当たりばったり」に、「どんぶらこっこ」と流されるばかりで、回り道ばかりしていたような気がしていたけれど、キャリアの点と点を結んでみたら、実はすべてのことが「目的」につながっていました。

この回り道は、わたしにとって「効果性」のために必要だった、といえるのかもしれません。

『7つの習慣』の中で「効果性」とは、「得たい成果を得続けている状態」と説明されています。が、分かりにくいのでわたしはひと言で説明しています。

「効果性」とは、「一発屋じゃない」ってこと!

どうせ一回限りの人生。ピークをどこに置きたいかは、人それぞれの考えだと思います。

でも、どうせなら一発屋じゃなく、ずーーっとピークが続くほうが、人生をハッピーにとらえられそうだよな、といまは考えています。

達成できる人はわずかなのに、なぜ、わたしたちは「目標」を立てようと考えてしまうのでしょうか?

わたしの場合は、「チャレンジの積み重ね」の実感を得たいから、です。目標があったほうが、人生の目的=ミッションに向かう轍がはっきり・くっきりするから、でもあります。

かつてのわたしのように、目標が見つけにくい方、目標があっても続かない方、一度ご自分にとっての「目標」の意味を考えてみるのはどうでしょうか?

今日は仕事が早めに一区切りしたので、1月の行動の振り返りをして、もう一度「目標」の意味を考えていました。

自分の人生を「たいしたことじゃない」と切り捨ててしまうことほど、もったいないことはありません。

チャレンジを積み重ねることが、わたしにとっては人生のハンドルを握ることを意味していました。

「目標」を自分の手にできたとき。達成にむかっての道筋をみつけたとき。そこにこそ、「自分らしさ」は現れるのではないか、と思います。

それにしても。

こういう視点は、もっと若いときに知りたかったな……。

キャリア=人生を振り返ってみて、発見したことがあれば、ぜひ教えてくださいね!

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