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10、モノノリとアオノリ

――ここはどこ? 
気がつくと真っ白な空間に立っている。

少し眩しい。
足下も真っ白。絨毯の上に立っているようで少し柔らかい。

私はローファーを履いている。
セーラー服は夏服のまま。

風も音もない無機質な空間。

……ん? 

後ろを振り返ると少し離れたところにシンが仰向けに倒れている。
血で染まった真っ赤な顔。
汚れた白い半袖にカーキ色のズボン、カーキ色のブーツ。

――さっきの姿のままだ。私達はタイムスリップしてはいない! 
どこか別の空間に来たらしい。

「うぅ……」

シンの意識が戻ったらしい。シンは立膝を着くと頭を押さえた。

「シン、大丈夫?」

私はシンに駆け寄り手を貸そうと思ったけれど、私の右手はシンの体をスリ抜けてしまった。
もうシンには触れない様だ。さっき飛び上がった時は触れたのに。

「アナ……ここは?」

シンはよろよろと立ち上がった。

「分からない。でも、タイムスリップはしていないみたい。」

そう言うと私は何もない白い空間を見渡した。
確かにタイムスリップしたワケではなさそうだ。
でも、だからといって何も問題は解決していない。自分達が何処に居るのか全く分からないのだから。

「……俺達、死んだのかな?」

シンも私と同じようにして何もない白い空間を見渡している。

「ここは死後の世界なのかもしれない……」

シンはそう言うと手で額を拭った。

「いいえ、ここは死後の世界なんてところではありませんよ」

突然、見知らぬ声が耳に入った。

「ここは高次元空間に浮かぶ『時空移動船』の船内です」

再び見知らぬ声が耳に入る。

「誰!」

シンは声を上げると辺りに忙しなく眼を遣り始めた。
一体、誰だろうか? 声の感じからすると相手は若い男性の様だが姿は見えない。

すると、二十メートル程離れた所に白い何かが二つ見えた。

「この空間は君の住む三次元空間とは違う。もっと高次元の空間だ」

今度は別の声が聞こえた。初老の男性の様な声。おそらくこの声は白い二つのうちのどちらかの声なのだろう。
白い二つの何かは十メートル程離れた所まで近づいて来た。
……何者か達は幼稚園児くらいの背丈をしているようだ。
人間だろうか、さもなければ別の生き物なのだろうか?

「もっとも君の感覚器官では、四次元以上の空間を認識出来ないだろう。この時空移動船の船内も真っ白な空間にしか見えないだろうね」

再び、初老の男性の様な声が聞こえた。
声の主達はシンのすぐ眼の前までやって来ている。
――二匹の白い猫だ。 
白い太った猫と白い細い猫が二本足で直立している。

太った猫は毛むくじゃら、細い猫は短い毛。
二匹とも古代ギリシアの白い衣服の様なものを身に着けている。
白い一枚布を左肩からまとい、腰をベルトの様な物で締めている。白い衣服の丈は膝の辺りまで。
足下にはサンダルの様な物を履いている。
細い猫だけは黒い表紙の辞書の様なものを持っていて、シンとページとを見比べたりとしている。

「……猫だ。服を着たでっかい猫が喋っている」

シンは唖然とした様子で猫の姿を見つめている。

「猫ではありません」

細い方の猫が首を振った。

「とてもよく似ていますが、私達は地球に住んでいる猫ではありません」
 
細い猫はそう言うと辞書のような書物を閉じ、白い髪の毛らしきものを掻き上げた。

「それじゃあ、一体アンタは誰なんだ?」

シンは恐る恐るといった感じに細い猫に尋ねた。

「私達はこの地球から三百万光年離れた『コタッツ』という銀河の惑星、『マルクナール』に住む知的生命体です。簡単に説明すると私達は宇宙人です」

「う、宇宙人?」

シンは素っ頓狂な声を上げた。

「ハイ、宇宙人です」

「宇宙人て……話しの意味が分からない」

シンは首を振ると「ダメだこりゃ」というように両手を挙げた。

「意味が分かりませんか? おかしいな、翻訳機能が上手く作動していないのでしょうか?」

細い猫はそう言うと、手に持っている辞書のような書物のページを忙しなくめくり始めた。

すると、太った方の猫がいかにも大らかそうに笑った。

「そうではない。言葉自体は伝わっている筈だ。きっと、話しの内容が理解できないという意味だろう」

太った猫はそう言うとシンの方に歩み寄り、猫らしからぬ指の長い手でシンの左手を握り締めた。

「私の名前は『モノノリ』。マルクナールの学者だ。こっちの細いのは助手の『アオノリ』だ。私達はさっきの黒い生き物とは違って君に危害を加えるつもりはない」

モノノリという宇宙人は眼を細めると、「ニッ」と口角を上げた。
能面の様な間の抜けた顔。……多分、笑っているのだろう。

アオノリという宇宙人もシンを見つめて眼を細めると、「ニッ」と口角を上げた。……多分、これも笑っているのだろう。

「アンタ達が黒い生き物に襲われているところを助けてくれたの?」

シンはモノノリという宇宙人に尋ねた。

「その通りです」

モノノリではなく、アオノリがシンの質問に答えた。

「君が黒い生き物に襲われている所を私達が助けたのです。しかし、あの黒い化け物……地球には妙な生き物がいるものですね。それに人間ってあんなに高く飛び上がれるのですね。……いやぁ、勉強不足だったなぁ」

そう言うとアオノリは「うん、うん」と感心するかのように一人で頷き始めた。

……そうか、この二人の宇宙人が私達を黒い生き物から助けてくれたのだ。
どうやら、二人は何か特殊な力を持っているみたい。でも、どうして二人は私達を助けてくれたのだろう?

「それは、どうもありがとう」

シンはそう言うと、モノノリの手から自分の手を離した。

「……で、ここは一体どこ? 時空移動船って何?」

するとアオノリが咳払いをし、右手の人差し指を上に立てた。

「時空移動船とは、様々な次元を行き来して空間と時間を移動する為の乗り物です。地球人には理解し難いでしょうから、私が詳しく説明――」

「あ、いや、細かい説明は別に良いんだ」

シンはアオノリの話しを手で遮った。

「そんな事よりも、今が何時か教えてくれないか? 時間が知りたいんだ」

シンはアオノリには目もくれずにモノノリに尋ねた。
……そうだ、今が何時なのか気になるところだ。そろそろシンが死んでしまう時間かもしれないのだから。
アオノリは時空移動船の説明が出来なくてふて腐れているのだろう、眼を細めて口を尖らせている。

「その心配をする必要はない」

モノノリがシンの顔を見上げた。

「時間を心配している様だがそれには及ばない。今、この船内の時間は止まっている。現在、地球の日本時間では十三時三十一分十二秒。従って十三時三十二分十二秒に訪れる君の死について心配する必要はない」
 
モノノリはそう言うと「ニッ」と口角を上げた。

シンは安心したかのように息を吐き出した。

でも、私は不審に思った。なぜモノノリはシンが今日死んでしまう事を知っているのだろうか? 
この二人は一体何者なのだろう? 

モノノリは両手でシンの手を掴んだ。

「……黒井シン君、やっと君を探し当てた。君に会うまでに私たちはどれほどの苦労をしただろうか? もう少し早く会いに来る予定だったが、色々とトラブルがあり遅れてしまった。君に聞いてほしい大切な話しがある。どうか驚かずに聞いてほしい」

シンはきょとんとした表情をしてモノノリの顔を見つめている。

「……どうして。何で名前を?」

「シン君、それについては追って説明をしたい。まずは私の話しを聞いて欲しい。事態は非常に切迫しているのだ」

モノノリはそう言うとシンの手を離し、辺りをゆっくりと歩き始めた。

「シン君、ブラックホールの存在は知っているね? とてつもない大きさの質量を持ち、物質はおろか光ですら抜け出せなくなる死の天体」

ブラックホール? 
モノノリはなぜ、ブラックホールの話しなんかを始めるのだろうか? 
シンも同じ事を思っているのだろう。モノノリに怪訝な表情を向けている。

「宇宙の至る所でブラックホールの存在は認められている。そしてだ――」

モノノリはシンの怪訝な表情なんて意に介していないようだ。モノノリは話しを続けた。

「どの銀河も、その中心に巨大なブラックホールを持っている事も知られている。君達の住む天の川銀河もそうだ、銀河というものはその中心に必ず巨大なブラックホールを持っている」

モノノリは両腕を伸ばすと、ぐるりと大きな円を描いた。

「……はぁ」

シンは分かっているのかいないのか、適当とも思えるような相槌を打ってモノノリの話しを聞いている。

「とりあえず――」

シンがモノノリの話しを遮った。

「とりあえず、俺達の住んでいる銀河が『天の川銀河』と呼ばれている事は知っているよ。で、その話しが一体なんだと――」

シンはモノノリに早く話しの核心を切り出すよう促そうとしたみたいだけれど、モノノリに手で制止されてしまった。
シンは渋々といった様子で口を閉じた。

モノノリは手を後ろに組んで再び歩き始めた。

「地球でもブラックホールの研究は進んでいるようだが、天の川銀河の中心に存在するブラックホールについてはほとんど何も知られていない。しかし、コタッツ銀河の中心に存在するブラックホールの研究は飛躍的に進んでいる。私の住むマルクナールを始めとした多くの惑星では、ブラックホールを様々な形で利用している。主としてエネルギー利用だ。ブラックホールは凄まじい早さで回り続けているから膨大なエネルギーを得られる」

するとアオノリが右手の人差し指を立てながら、一歩前に進み出た。

「あなた達地球人の言う『エルゴ球』と『事象の地平面』の境目から取り出した角運動量をエネルギーとして利用するわけです。ゴミ問題と絡めてこの考えを提唱した地球人の学者もいる様ですけどね。名前は『サンタクロース』と言ったかな? ……あ、『ペンローズ』か。あぁ、なるほど……」

アオノリは黒い辞書のような書物のページをめくりながら、「ふむふむ」と一人の世界に入ってしまった。
アオノリの話しは何だかよく分からないけれど、コタッツ銀河には高度な文明が数多く存在していて、きっとどの文明も私達人間が作り上げてきた文明よりも遥かに優れているのだろう。それは私にも理解できた。

「コタッツ銀河では――」

モノノリが口を開いた。

「コタッツ銀河ではブラックホールの使用についてしっかりとした枠組みを定め、各惑星の住人達はルールに則り平和に暮らしていた」

そこまで話したモノノリは、眼を閉じると首を左右に振った。

「……しかし、残念ながらこの平和な暮らしは既に過去の話しだ」

モノノリは俯いて溜息をつくと顔を上げた。

「私やアオノリが生まれるもっと前、今から四千年程前になるが、コタッツ銀河の恒星や惑星の軌道に突如ズレが生じ、各地で星同士が衝突し爆発するという出来事が起こった。『コタッツの大異変』と私達は呼んでいるが、この異変により多くの惑星と高度な文明が一瞬で消えてしまった。衝突を逃れても気候変動により生物が住めなくなってしまった惑星や、資源を巡る争いで文明の滅んだ惑星も数多くあった」

辛い話しなのだろう。モノノリは腰に手を当てると天を仰いで黙りこくってしまった。
アオノリも同じ気持ちなのだろう。辞書のような書物を胸に抱くとギュッと眼を閉じてしまった。
どうやら二人は涙をこらえている様だ。とても悲しんでいる様子。

「待ってくれ、モノノリ……だっけ?」

シンは右手をひらひらとさせながらモノノリに尋ねた。

「その『コタッツの大異変』? それについては気の毒に思う。きっと、君達の仲間が多く亡くなったのだろうからね。……でもね、その遠い彼方で起こった銀河の異変が一体何だって言うんだ? 申し訳ないけれど、そんな出来事、俺には全く関係ないんじゃないのかな?」

シンは明らかにイライラとした様子でモノノリに切り込んだ。

「シン!」

私はシンを睨みつけた。
……そんな言い方をしたらダメ、彼が可哀そうだ。

シンは私に向かって何か言いかけた。
でも、思い直したのか大きなため息をついただけで口を閉じた。

モノノリは手を後ろに組んで再び歩き始めた。

「私達の住むマルクナールは幸運だった。若干の気候変動だけで済んだ。もっとも食糧不足や様々な争いで数億の同胞の命が奪われてしまったがね……。大異変後の荒廃したマルクナールで生まれ育った私は、大人になるとブラックホールに関する学者となった。私は僅かに残った宇宙観測機器などを駆使して大異変の原因を調べた。すると大異変はコタッツ銀河の中心のブラックホールが原因だと分かった。ブラックホールの質量が半分にまで激減していた。その為に恒星や惑星の軌道がずれ、大異変を起こしたのだ」

すると、すかさずアオノリが右手の人差し指を高々と上げた。

「補足します! 『相対論』的な説明ではなく『ニュートン力学』的に説明します」

アオノリは咳払いをすると、身にまとった白い衣類を真っすぐに正し、右手の人差し指を顔の横に立てた。


➡ 11、ブラックホールの行く先

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