健康は気にしない
満員電車の中でお腹が痛くなる。
人生で最悪な瞬間ベスト3に入ると思うのだが、いかがだろうか。このときほど、日頃の行いを悔い、熱心に神頼みをすることはない。
「これからは真面目に生きます。どうか今だけは、今だけは許してください。」って。
普通に電車に乗ってる他の乗客がなんだか羨ましくなる。
「こっちはこの世が終わるかどうかの戦いをしているというのに、みんなは普通に電車乗れていいなあ。」って。
こうして、たまの体調不良から、普段の健康のありがたさを思い出すのだ。
普段健康であることは気にしない。
健康であることは当たり前だから。
そこにあるはずの日常の幸せはどこへやら。
日常の幸せはいつのまにか幸せになるための前提条件になっている。
普段親がいることは気にしない。
親がいることは当たり前だから。
普段朝目が覚めることは気にしない。
朝目が覚めることは当たり前だから。
いくら大切だとわかっていても、結局無くしてからしか気づかない。
無くした痛みを味わっても、すぐに気にしなくなってしまうのが人間で。
コロナのワクチンで熱が出て、健康のありがたみをひしひしと感じたはずだったのに。
僕はまた、健康であることを当たり前に、満員電車に嫌そうな顔で乗るのである。