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「文学国語」は「地学」のようになる 〜「文学国語」を必修にすべき理由〜

なぜ、作家は自作が問題文の入試問題に正答できないのか? 〜読解力やリテラシーの低下は現行の「文学作品偏重」=問題作成者に忖度させる国語教育にも責任の一端はある〜


  作家の丸谷才一が、自作が問題文の入試を解いてみたらほとんど正答できなかったという話を何かの本で読んだとき、「そうだろうなあ」と同情してしまった。入試問題の正答は、問題文の作成者=作家ではなく、入試問題作成者が「こう答えてほしい」と考えているものだからである。
  忖度することに慣れていない、忖度する気もない若者はーー「忖度」はドイツ語でVorauseilender Gehorsam(「先回りした服従」)と表現するそうであるーー、漢字、慣用句、文法、また論説文の比較的単純な要旨理解を問う問題など、誰がやっても同じ答えになる問題で点を稼ぐしかない。
   忖度という点では読書感想文も問題である。実際のところ、あれは「感想文」ではなく「信仰告白」の形をとった「忖度」である。 感動しました、自分は変わりました、情操が豊かになりました、このような本を読ませていただき感謝します……忖度の先が学校や文科省や出版業界なのは言うまでもない。
  だが、読書感想文について本稿で問題にしたいのは「読書感想文でなぜフィクションを読まなければならないか?」である。『精神分析入門』『共産党宣言』『自由論』『方法序説』『コーラン』『幸福論』『相対性理論』『光学』『物理学とは何だろうか』『古寺巡礼』、さらには日経サイエンスの別冊や講談社ブルーバックス、各種の新書がダメな理由は何か?  感想を述べるには適していないからだろうか? そんなことはない。

   批判を恐れずに言えば、現行の高校国語の現代文は文学偏重のきらいがある。文学がなぜ大事かは後述するとして、文字で書かれたものは文学だけではないーー教師や上司の顔色を伺って忖度するばかりが人生ではないように。
   インターネットの普及とグローバル化に伴い、質量ともにさまざまな文章や「つぶやき」(ツイッターばかりではない、拙稿も含め、noteで公開されている文章のほとんどは「長いつぶやき」だろう)ーー大量の「情報」に接するようになった。
  学術誌にアクセプトされたばかりの論文や、官公庁の通達などにもすぐにアクセスできるのは大変ありがたいことではある。また例としては情けないが、うろ覚えの本の題名でネット検索したら正しい書名ばかりか、絶版であれば中古本の存在まで教えてくれたりする。あるいはCNN、BBC、Euronewsなどのネットニュースで、日本国内のメディアが報道しない海外の社会問題や自然災害などの情報がリアルタイムで分かるようになった。筆者が学生だった1990年代には考えられななったことだ。
  だがその一方で、情報の受け手は、飛び込んでくる情報を自ら精査しなければならなくなった。以前なら、こちらに届く前に自然淘汰されていただろう、嘘、罵詈雑言、暴論、妄説まで読まなければならなくなった。
   また、自然科学や社会科学の文章に接してこなかった報いで、科学リテラシーや経済リテラシーの低いひとたちが増えた。その結果、トンデモな健康食品や“医療“器具が売れたり、変てこな経済・財政政策に世の中が振り回されたりするようになった。
  昨今、読書不足、読解力不足が叫ばれているが、筆者の印象ではこれはむかしから言われていることである。本を読まないひとや読解力に難のあるひとは今もむかしも一定数いて、この事実を可視化する技術が向上しただけである。たとえば、筆者は2019年に夜行バスで上京し、国立情報学研究所教授の新井紀子氏考案の「RST(リーディングスキルテスト)」を受験した。筆者の読解力は「平均以上」だったが、送られてきた結果表は大学入試の模試の採点結果みたいなフォーマットで、偏差値や標準偏差、「A」~「E」の5段階評価に、レーダーチャートやヒストグラムまでついていた。(下図参照)


  ともあれここでは、IT化とグローバル化に伴って急増する多種多様な文章の是非や質を判断する能力(読解力プラスアルファ)ーーリテラシーーーの育成に、文学偏重のきらいがある今の国語教育では対応できなくなってきているのではないか、という問題提起をしたい。
  「文芸作品さえ読んでいれば、読解力やリテラシー(情報を精査・活用する力)なんて自然と身につく」という考えに驕りはなかったか反省が必要だとさえ思う。
  筆者は、時代の変化に対応すべく、実用的・非文芸的な文章の読解力やリテラシーを育みたいとする文科省のコンセプトに賛同するものである。ただ「コンセプト」にしか賛同できないのが残念で、筆者は日本と日本語の将来を憂慮している。何をどう憂慮しているのか。これから述べたい。



高校国語の現代文が「文学国語」「論理国語」に分けられ、選択制になる。大学受験や就職活動がある以上、文系(特に文学部・外国語学部)志望でない学生、大学に進学しない学生は点数を取りやすい「論理国語」を選ぶ。

   現代文が「文学国語」と「論理国語」に分かれーー個人的には「文芸国語(韻文・小説・エッセイ・評論)」「実用国語(法律条約の条文・自然/社会科学の論文・統計データを伴う種々の論考)」に分類した方がいいと思うのだがーー選択制になるという。
  受験生の立場になって考えていただきたい。どちらが点をとりやすいだろうか? 
  問題作成者の意図から比較的自由で、客観的な根拠を示しやすい「論理国語」ではないだろうか?  実は学校側も「論理国語」はありがたいはずなのである。論理的な文章の方が問題を作成しやすく、採点もしやすく、何より採点基準を第三者に客観的に説明できるからである。
    「論理国語」は、解答に幅があったり、試験作成者に忖度したりすることが苦手な学生(たいてい理系だが)はもちろん、進路を決めあぐねている学生、高卒で就職する学生にも重宝な科目になるだろう。 「文学国語」特有の読解のスキルが大学入学後も活かされるのは文学部や外国部学部などごく一部に限られるのに対し、「論理国語」の読解スキルは社会に直結しているからである。契約書や仕様書や法律の条文を読みこなせなければ仕事にならない。仕事に関係する国家資格もとれない。企業としても「論理国語」のできる学生を積極的に採用したいはずである。
  もちろん文科省は、文学を深く学ばない国民を増やしたいわけではないだろう。だが入試制度と産業界の求める人材像が変わらない限り、「論理国語」を選択し、文学を深く学ばず、名作も知らない学生が増えるのは目に見えている。
   筆者は、国語の「文学国語」は理科の「地学」のようになっていくのではないかと危惧している。
   理系学部のある大学でも地学が必須科目というところは少ない。受験で「使い勝手の悪い(!)」科目が選択されなくなるのは無理からぬところで、そうして切り捨てられていった科目の極北が「地学」である。
   世界屈指の地震・温泉大国であり、環境問題に率先して取り組むべき先進国でもある(筆者は日本は先進国だと思っているのだが、違っていたら訂正します)日本に暮らすわたしたちが、地学を軽んじる理由、地球科学や環境科学を体系的に学ばなくてもいい理由など、どこにもないはずなのだが。
    「文学国語」を選択制にすることで、言語芸術に触れなくてもいいパスを作ってしまった。問題にされるべきはここである。 
  ところで、「文学国語」で培った読解力・忖度力をどう測ればいいのかという問題については、「とりあえず今のような形式の試験はやめて、実際に作品を作ってもらったり、評論文を書いてもらったりしたらどうですか」と提案したい。具体的には、詩作(俳句・短歌を含む)や自由作文(小説あるいは評論)で評価するようにする。
   音楽でも絵画でもダンスでも、芸術系の養成機関の入学試験では受験者のアウトプットを評価している。それでは当落を決められないというなら、論理国語との合計点で評価すれば良い。



子どもたちが文芸作品に触れにくくなると、「文学」「芸術」「教養」の軽視が起こり、「日本語を使うひとたちが持つべき文化的連続性」が切断され、文化的縮退を引き起こす(文化水準が低下する)

   明治以降の日本文学に触れる機会を奪われることでどのような悪影響があるだろうか?
  筆者は次の2点に集約されると考えている。
●文学軽視から芸術軽視につながり、さらには教養(リベラル・アーツ)の軽視につながる
●日本に住み日本語を使うわたしたちが持つべき文化的連続性が切断され、文化的縮退を引き起こす
  一言で言えば「文化水準の低い野蛮な国家、野蛮な国民」ができあがるということである。国際社会で尊敬されるどころか、信用もされなくなるだろう。
    「詩を作るより田を作れ」は一面の真実である。しかし、「田を作るひとが詩を作る」理由、さらには「田を作らないひとまで詩を作る」理由は何だろうか。
   人間とはそういうものだからである。
   ところで、人間とは何かについて考える習慣のない、人間理解の浅いひとが、物やサービスを売ったり、コミュニティを治めたりできるだろうか?  できないことはないだろうが、おそらくその統治方法は、損得勘定ーー動物由来の原始的な欲望・劣情ーーに訴えた全体主義的な圧政になるだろう。
「四の五の言わず買ってください。お得ですから。みんなも使っています」
「黙っておれの言うことに従え。おれに従っている限りお前たちの最低限の生活を保証する努力は惜しまない(注* 義務ではなくて努力義務)」
  教養のある者が人間性も豊かであるとは限らないのは悩ましいが(毛沢東もヒトラーも読書家だった。もっとも文学作品を読んでいたかどうかは分からない)、無教養は非人間的な振る舞いの基礎になる。
   損得勘定ばかり長けた無教養な人間が組織のトップになれば、彼は間違いなく学問芸術を軽視する。それどころかルサンチマンを爆発させるかもしれない。自分に理解できないことが出てきたとき、彼は理解できない己の無能を責める前に、己に理解できないものを差し出した者を無能と難じるだろう。
  ところで、教養のある者は教養のない者を自分の上に据えたりはしない。「自分は人の上に立つ器ではないから教養なんて身に付けなくてもいい」と思っているなら大間違いである。
  「文化的連続性が切断される」とは、伝統が受け継がれなくなるということである。ある国の文学は、その国の風土や歴史、習俗と密接に結び付いている。
  この記事の見出しの写真は2021年10月18日の神戸の夜空に浮かぶ月だが、この日は陰暦9月13日の「十三夜」であり「栗名月」とも言われる。樋口一葉の傑作に、そのものずばりをタイトルにした「十三夜」がある……
  「文学国語」に触れなかったひとには、樋口一葉は「五千円札のひと」でしかなくなるだろう。また、彼女が近代化の途上にあった明治時代の日本に生きた女性であったからこそ「十三夜」が生まれたことを理解できないだろう。彼女がイギリス人や韓国人だったら、「十三夜」は書かなかったはずである。  
    今でさえ「にごりえ」「たけくらべ」を読んだことのあるひとが少数派であることを思うと、暗然となる。誰が紹介してもいいとは言え、「十三夜」という日本文化を紹介するのが気象庁と製菓業界と筆者だけというのもさみしい。
   「観光で紹介できるものだけが日本文化」ぐらいにしか思わないひとたちは、どの国民も固有の文化の中で生かされていることを分かっていない。日本人が日本文化の中で育ってきたことを実感できなければ、中国人が中国文化の中で育ってきたことも、フランス人がフランスの文化の中で育ってきたことも理解できないだろう。
   もちろん、文化を担う芸術は文学だけだと言うつもりはない。ただ、最も身近で、安価で、機会の平等性を担保できる芸術は文学であるとは言えるだろう。乱暴なたとえだが、移動手段が車しかないような地方都市で、メトロポリタン美術館の展覧会やアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートが催されることは絶対ない。だが、漱石やモーパッサンやヘミングウェイの小説、アポリネールやホイットマンや萩原朔太郎の詩を楽しむことは、きっとできる。



人生を豊かにする、人生を豊かにするものを作り出すのに必要なのは「実際的な役に立たないもの」である

    ブレークスルーを起こす学術的発見のトリガーは、往々にして「役に立たないもの」である。
  コッホが寒天培地を思いついたのは、彼の妻がゼリーを作っているのを見ていたときだった。
  ノーベル化学賞を受賞した福井謙一博士がフロンティア軌道理論を考えているとき、夏目漱石の「夢十夜」に出てくる、丸太から像を作る運慶の夢のイメージが浮かんだそうである。

   不本意ながら実際的なことを書く。今はただ便利なものではなく、人生を豊かにするものが求められる時代である。だいたい、便利で効率化を促すものはとうに製造販売されている。
   さて、人生を豊かにするものを生み出すときに必要なのは、いつでも「教養」である。「すぐには役に立たない」ものであるーー人生を豊かにしてくれるものが教養だからである。
  たとえばブランディングは教養がものを言う。とらやの「おもかげ」は「おもかげ」だから買うのであって、「黒砂糖入り練り羊羹」では誰も買わない。
  ところで、「おもかげ」という優雅な言葉が実生活で使われることはほとんどない。ありていに言えば、知らなくてもいい、無駄な言葉である。「印象 expression / image」で充分ではないか。就職試験や昇進試験でもこんな単語は出ない。そうでなくてもやるべきことはたくさんある ーーこうしたことを書き続けている限り、筆者の心は着実に荒んでいく。

  「ただ日本語を話すひと」を、「自分以外のことも、歴史や未来も大切に考えられる日本人」、「最低限、何が豊かであるかを分かっている心豊かな人間」にするために、「文学国語」は必修にすべきである。この科目以外に「人間性=人間らしさ」を涵養できるものはないからである。

【著者プロフィール】
1976年、兵庫県神戸市生まれ。1998年、大阪大学理学部化学科卒業。2008年、兵庫鍼灸専門学校卒業。神戸大学大学院医学研究科修士課程中退。2015年、兵庫県西宮市に「はりねずみのハリー鍼灸院」を開院。鍼灸師、保育士、JAPAN MENSA会員/IQ149(WAIS-Ⅲ,45y2m)。

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