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「コンクールに出たい」 vs 「出ちゃだめ」

少し長くなりそうだったのでTwitterではなくnoteで答えることにしました。
その当時の思いと今の気持ちを書きます。
(あなたのこともその先生のことも知らないので、具体的なことは書けません。)


私も大学1年の時はコンクールに出てはダメだと言われ、レッスン以外では人前で弾けないからやる気なくしてレッスンもほとんど行かなかった。(大学1年のくせに反抗期。笑)

その先生への不信感も募ったし、自分が音楽家として信用されていないことへの落胆もあり、本当にその先生が大っ嫌いになった。

今の自分が大学一年生に戻ったなら、コンクールに受けたい気持ちを先生に伝えまくって、もしダメだと言われても出たと思う。
なぜなら、実際に行動するのは自分だし、その責任を取るのも自分だから。
先生と言っても他人。
他人に行動を支配されてたまるかよ、と。

ただ、恐らくその時にコンクールに出ていたら、
ろくに作曲家の声に耳を傾けずに自分を表現するだけのピアニストになっていたかもしれません。
先生が嫌いでレッスンに行かない時も、その時弾いている作曲家の文献を読み漁って自分なりに音楽と向き合っていたのは良かった。
それで、「自分を表現したい!」という欲求と「作曲家の気持ちを表現したい!」という欲求を同時に持てるようになったと思う。

それと同時に、
コンクール以外で認められる方法を探さないとなと思うようになった。
(クラシック音楽界において、もちろんコンクールで認められることは一つの道なので全く否定しないけど、それしか認めないという考えは早く無くなってほしいと思っている。) 

少しだけ具体的に質問に答えるけど、
曲目の違いとか、受験の時期とコンクールの時期がどれだけ近いか、とか(あまりに集中力が分散してしまうと難しいとは思う)
その先生はどんな性格か、これからもその先生に習っていきたいか、
など考えて総合的に判断したいところだけど、

最終的に自分の行動には自分で責任を持つことと、
どんな選択をしてもそれを「良い選択だった」と思えるために
行動するのは自分なので、
選択したらもう後悔せずにとにかく行動することです!

まとめ

何かを選ぶということは何かを失うということだけれど、
「選ぶ」という行為そのものが尊いと私は思ってます。
全てを得ることは不可能だし、
選択をして失敗したとしても人生が終わらない限り大した問題じゃない。

次に生かしていけば、失敗は成功のための糧となります。
…すんごい使い古された当たり前のフレーズを言ってしまったけど、
これを深く理解して行動している人って案外少ないと思う。

これを理解してないと、
失敗を引き起こした選択を後悔しすぎて自己嫌悪に陥ったりするし、
他人の失敗を見た時に「ほら、失敗した」とか「ざまぁみろ」とか軽々しく言ってしまう。

失敗の素晴らしさを理解していれば、気持ちと行動は前に向くので
あとはまた行動していくだけなんですよね。

なので、
選択する時は他人の目は気にしないけど責任は自分で持つ!
ことができるなら、自分のしたいようにすれば良いと思います!

良い人生を!

読んでくださりありがとうございます!!