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幕末新選組

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新選組関連の記事を集めたマガジンです
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新選組の衣装

新選組の衣装

入山型の袖口に、浅黄色の単衣仕立て……ご存じ新撰組のユニフォームですが、もちろんこんな奇抜なデザインは既存のものではなく、大丸呉服店に注文した物です

その代金は、五十数人分で五百両。

一人前が四両で、幕末のレートで言えば、一着二十万円です。

文久三年の将軍上洛の警護にあわせてつくった物で、気合いが入っています。

この衣装、手本は歌舞伎の忠臣蔵です。武士の鑑として、江戸時代か

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新選組八犬伝の原田左之助

新選組八犬伝の原田左之助

さて、新選組八犬伝でも、いよいよ原田左之助が出て参りましたが、この原田、自分では種田宝蔵院流槍術を名乗っていますが、そんな流派はないんです

正しくは、種田流槍術

師匠は谷万太郎であったらしく、この人も後に新選組に入隊しています

免許皆伝といわれ、十文字鎌槍を使ったと言われています

種田流が使うのは、素槍ですので、宝蔵院の十文字を用いて自分流に工夫した、ために種田宝蔵院、を名

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天野八郎と原田左之助

天野八郎と原田左之助

彰義隊頭取として上野戦争を戦った天野八郎には、こんな逸話があります

彰義隊発足後、集会に向かおうとした天野は、二人の武士に突然切りつけられます

天野、からくも初太刀を躱しますが、相手は一目でわかるほどの手練れです。天野、得意の居合いの構えをとりながらも、襲われる理由がわからない

天野が、自分の声明と素性を述べると、二人の武士はハッと鉾をおさめます

このとき天野を襲った武士、

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フランス伝習隊のお仕事

フランス伝習隊のお仕事

幕末最強の兵士団?

伝習隊発足す

新撰組八犬伝で、主人公、奥村仁右衛門の所属する「フランス伝習隊」ですが、どう組織され、どのように運用されていったのでしょうか?

フランス伝習隊の発足は、1867年(慶応三年)のことでした。

もちろん、指導をあおいだのはフランスで、のちに陸軍大臣となったシャノワーヌ、ブリュネなどを中心に、十五人の顧問団が来日しました。

兵の内容ですが、肝心の旗本た

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綱吉の思惑

綱吉の思惑

生類憐れみの令をしき、愚昧であるとの烙印を捺されてきた徳川綱吉

実際はそこまでの悪法ではなく、綱吉の悪評の数々も全くのデタラメであったという説は、ごぞんじでしょうか?

当時は戦国の気風が居残って、人は人命を軽んじ、平和な江戸とその治安はまだまだ実現できていませんでした。

綱吉はこうした人心のモラル改善を掲げたのであり、記録にも残されています

生類憐れみは、単に動物にむけられ

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幕末偽金事情

幕末偽金事情

新選組八犬伝では、すでに会津に退去している松平容保。新選組とも、関わりが深いこともあって割と好きな殿様なのですが、この容保公の会津藩

藩を上げて、偽金作りを行っていたことは、ご存じでしょうか?

松平容保が、京都守護職に任命されたとき、会津藩の年間収入は、23万石しかありませんでした

相次ぐ天災と幕命による臨時支出が続き、すでに財政も破綻していた折も折でした。

守護職にかかる

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鉄砲伝来事情

慶長年間に書かれた鉄砲記には、こうある。1543年、100人あまりがのった外国船が、種子島南端に漂着した。船には三人のポルトガル人が乗っており、鉄砲の射撃を実演した。

領主種子島時尭は、これを買い取り、鍛冶職人に命じて、国産銃を製造した。

鉄砲伝来をしめす書物となったわけですが(二千両で購入したらしい)、鉄砲伝来より、六十年後に書かれた上に、先祖の功績をたたえる記述も散見されるため、資

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参勤交代見聞録

祭りなどで見る参勤交代は、はでで勇ましいものですが、現実の参勤交代には、悲喜こもごもあったようです。

そんなわけで、参勤交代雑学。

ああ、参勤交代

世界でも珍しい、参勤交代。諸大名が集まれば、家臣にそのまた香椎に奉公人まであつまって、江戸の人口は、約半分が武士、という日本でも珍しい状態になっていました。武家の都、ともよばれたゆえんですね。大阪の反対です。

またこのお武家さん

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新選組八犬伝における井上源三郎

新選組八犬伝における井上源三郎

新撰組八犬伝と、井上源三郎
新選組八犬伝、の時点では、もうなくなっているので、作中には出てきませんが、私この人物が昔からなんとなくスキで、いや、とくだんな理由はないのに好きでして、新選組血風録では、みんなの足を引っぱったりと、ちっともかっこのよい役ではないんですが、では、現実の源三朗は、どのような人であったのかと、気になりまして。京都時代の、新選組八犬伝も描くかもしれませんし。

井上源三郎が、近

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新選組八犬伝における大石鍬次郎

新選組八犬伝における大石鍬次郎

新選組八犬伝では、悪役の大石鍬次郎ですが、元は、一橋家の藩士。そこを退転して、大工をやってた変わり種です。
新選組 の主たる闘争には、ほぼ顔を出してる人ですが、剣は、当初、小野派一刀流をおさめ、大工時代に天然理心流を学んでいます。沖田あたりとも出稽古の絡みで親しいわけです。新選組への、参加は、近藤が江戸に戻ったとき。隊士募集に応じてのことでした。
このとき、大石の奥さんには、お腹に子供がいて、生ま

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近藤勇の最後

近藤勇の最後

 新選組八犬伝、冒頭で、近藤は処刑されます。投降したのは、流山ですが、処刑は板橋。この間、何があったのか?

 慶応四年四月一日、流山に、到着した近藤勇は、味噌屋の長岡屋を本陣として、さっそく軍事調練を開始します。

 この動きを察知され、三日早朝には、香川敬三率いる東山道軍に包囲されます

 このとき、隊士らは調練に出立しており、長岡屋には、近藤勇 土方の他、数名しかいませんでした。

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新選組八犬伝における、沖田総司の周辺事情

新選組八犬伝における、沖田総司の周辺事情

江戸での沖田総司は、千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅で療養していたそうです。両親を幼くして亡くし、母親代わりとなって育ててくれた姉ミツも、夫林太郎とともに、庄内藩に去った後です。史実では、総司を看取った家族はいなかったようです。

新撰組八犬伝では、病床の沖田を仁右衛門が守っていたことになっていますが、総司のすすめで、彰義隊の決戦に参加してしまいます。総司とは一つ違い。試衛館では、よきライバルであったよう

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新選組八犬伝主人公、奥村仁右衛門という人物と、物語前夜について

新選組八犬伝主人公、奥村仁右衛門という人物と、物語前夜について

新選組八犬伝の主人公、奥村仁右衛門は、徳川幕府御家人、御徒組の侍ということになっています。幕末の時点では、洋式部隊に組み込まれ、幕末の戦争を戦っています。物語は、上野戦争から始まるので、この時点では、幕府はなくなっているのですが。

本人は、フランス伝習隊に配属されているので、鳥羽伏見の敗戦後に江戸まで戻って参りました。史実では、伝習隊は、江戸脱走組と、残留して新政府軍に組み込まれたものと、敵

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新選組八犬伝における近藤勇

新選組八犬伝における近藤勇

新選組八犬伝、冒頭から、近藤勇がなくなりますが、板橋での、処刑については、史実です。

近藤が捕縛された状況については諸説ありますが、大久保大和と名乗り、それを御陵衛士の残党に看過されたのは、事実のようですね。

平尾一里塚近くの馬捨場で、斬首。

さて、馬捨て場とはなにか?

馬捨て場――調べてみると、これは、なくなった牛馬を、決められた場所に置いたそうです。皮を回収するためだったんですね

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