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東洋哲学本50冊よんだら「本当の自分」とかどうでもよくなった話


「好きなことで生きていく」ため会社をやめて
「好きなこと」が見つからずに5年がたった。

ウケる。

いや、ウケている場合ではない。

会社員 → 地方移住 → フリー を経て、
はては芸人までやって30代無職にいたる、
色々ためしたけど何もモノになってない感じは、「現実」という名の銃口をぼくの額につきつけている。


こ、これがゲンジツ...


鍬を持つ男

地に足をつけて仕事がんばるか...



と、ならないのが生来のニート気質をもつワイである😘

コロナ自粛に乗じて俗世に別れを告げ、

「いうても本当のジブン見つかるっしょ😋👌」

的バイブスで、
自分探しをこじらせた猛者どもが最期に手をだす「東洋哲学」を探求する旅に出たのであった...

しかし、その結果「本物のジブン」とかマジでどうでもいいという考えにたどり着くのである!!

ブッダ

「それな」


本記事は、上の流れで東洋哲学の本を50冊くらい読んで、あと適度に散歩とかしながら「こんな感じじゃね?」と思った、東洋哲学の超個人的なまとめです。

「東洋哲学」といいつつ、今回言及するのは仏教と老荘思想のみです。50冊のリストは最下部においときました〜

当然、学者でもないので、粗だらけ穴だらけですが、わかり良さのために断定調で書いております。ご容赦を!


まず結論から


東洋哲学は、
この世界はウルトラスーパー素晴らしい
ということを言っているのだ。

画像29

マジで。ディズニー超えてっから。



ちょっと意外かもしれない。
たとえば現代日本の仏教は、葬式のイメージが強い。

お経を読み、ポコポコ木魚を叩くお坊さんの姿は、ディズニーランドが提供するUXのまさに対極だ。


お経

背中しか見えねぇ


むしろ

「ひとはいずれ死ぬ」
「この世は無である」


といった、
虚しい世界を想像してしまうのが、一般的な感覚だろう。

しかしそれは仏教思想のほんの一面だ。

仏教はニヒリズムではない。
このことを理解するために、仏教の最高にヤバすぎな概念

「空」
(くう)

の思想をみていこう。



仏教の「空」とはなんだろうか?


空の概念を理解するために、
まずこの画像をよくみてもらいたい。

淡路島

淡路島である。
言わずとしれた、上沼恵美子を生んだ大地である。淡路の玉ねぎはめちゃめちゃ甘いのは関西の常識だ。

この画像を、
あなたは以下のように切り分けて認識したはずだ。

言語分割


「海」「馬」「人」が、
独立して存在している、という見方だ。

しかし、仏教ではそれは虚構だと考えるのだ。

ちょっと何いってるかわからないと思う。
ぼくもそうだった。

では、
こんな見方はどうだろうか?

無数の原子

膨大な数の原子の単位でわけていくと、
境界線は一気に怪しくなる。

人間も汗をかいているだろう。
汗は「人間」だろうか?
口の中のツバは「あなた」か?

「海」「馬」「人」は、
人間が勝手に線引きした虚構とはいえないだろうか?

さらにこの写真の中の、
原子の一つ一つの中身をみてみよう。

炭素

「炭素原子」である。
真ん中に大きな原子核(赤い部分)があるが、じつはこれ snow もびっくりの超絶メガ盛り詐欺画像なのだ。

実際の炭素原子にたいする原子核の大きさは、
地球にたいするゴルフボールくらいの大きさしかないらしいのだ。

ゴルフ地球

33予8537垓4312京5千兆分の1 らしい。小さいね。


びっくりじゃない?
どんだけ中身ないんだ。うなぎパイのうなぎ成分だってもっとあるはずだ。そんなすっからかんの原子で世界は満たされているのだ。

科学的な見地からみても、
原子が満たしている全ての世界は、ドン引きするぐらい「空」っぽなのだ。

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そして、仏教の「空」の世界観はまさにこの「空っぽ」のイメージなのだ。

わかりやすく「原子」を例に出したが、大乗仏教の「空」においては、最小単位の「原子」「素粒子」「量子」さえも、実体をもたないと見る。

では、われわれがみている実体感満載のこの世界なんなのか?


「わたし」「花」「蛇」

は「実体」をもつように感じる。そうだろう?(ぺこぱ風)

しかしこの空っぽの上に、
われわれが、生きるために、超勝手に「色」をつけてみているだけなのだ。

人間が生存するうえで、花から快感をもらい、蛇には危険を感じる。
そんな関係性を「花」「蛇」と名付けて、存在をうみだしているのだ。

体内の微生物も排泄をするが、ヤツらがあなたの身体の一部分を勝手に「トイレ」とか名付けていたらむかつかない?人間がやってることはそんな感じかもしれない。


悟った人がみる世界


ある本によると、禅のすごいマンとか、スーパー悟ったマンは、
2つ世界を重ねてものがみえているらしい。

空と色

目にみえている「色」の世界と、目にはみえない「空」の世界。

この図を正面から見るとこうなる。

スクリーンショット 2020-08-02 16.06.46


「色」の世界はそのまま「空」っぽ。
これが有名な「色即是空」の世界である。

ぜんぶが空っぽ。

「あなた」も「わたし」も「空」っぽ。
「あなた」の悩みも「空」っぽ。
「空」っぽに実体は存在しない。

これが仏教のパンクすぎる教えの核心である。

「自分探し」も「人間関係の悩み」も即!終〜了〜〜である。
身もフタもない。けど超楽になれる希望があるくない?

2500年の時をへていまだに信仰が続いているってのはやっぱ超いいってことだよね

でも一方で、「すべてが空っぽ」というのは、
人生に意味はないようにも感じ、虚無的な印象もある。

わかる。

でも実は、それって誤解だとおもう。
仏教思想がすごいのはここからなのだ。

「色即是空」と同時に、
「空即是色」の世界もみるのが仏教の激アツなところなのだ。

スクリーンショット 2020-08-01 14.42.12

「空」っぽの世界なのに、目の前には「色」の世界が広がっている。
「あなた」と「わたし」は空っぽ同士なのに、たくさんの感情がわきおこってくる。

世界全体が不思議に満ちて見えてくるのだ🥺🥺🥺
上の画像をみていて、子供のころの、驚きの連続の世界があらわれてこないだろうか?

ちなみに「不思議」は仏教由来の言葉だ(不可思議の略)

感じ方は人それぞれだけど、ワイはそう思うのであった...



ガチで「空」を理解してるやつ0人説


ここまでドヤ顔で説明したものの、
ぼくのようなド素人が「空」を悟り、体得できているはずがないのだ。

華厳経によると「悟り」には52段階あるそうだ。
仏教界のスーパーレジェンド達磨大師(a.k.a だるまさん)は死の直前、弟子から「大師、ぶっちゃけどの段階までいったんスか?」と聞かれた際、

画像23


と答えたそうだ。

このエピソードを知ってぼくは
「あんまいってないんだ」とおもった。

禅の開祖のだるまさんさえ「30」なのだ。

あと22は誰がいけるというのか?
奥が深すぎやしませんかね。

なぜそれほど「悟り」は難しいのか?
それは「煩悩」があるからである。


煩悩

われわれは、世界をあるがままに見ることができない。
空をみるどころか、目の前の風景さえ「煩悩」の火に覆い尽くされているのだ。

空と煩悩


筆者の例をあげよう。
一枚の写真がある。

画像5


私はこのしゃ、写真を直視するk、ぉとができない。

あるがままを見ようとすればするほど、
自分には甘い青春がなかったという寂寥感、男子校を選んだ後悔の念、左手前の少年への過剰な感情移入、この画像を1980円で購入してしまった虚脱感が同時に去来し、

「このような現実は存在しない」

と、脳が神経プラズマのブレーカーをおとしてしまうのである。


さて、この写真において、
悟りし者と筆者の視点を比較してみよう。

カップルのやつ

悟りに近づくほど、生きるのが楽になることは一目瞭然だ。
仏教よ、この燃え盛る業火から私を救ってくれ。

友人の陽キャから、上記のパートのスクショが突然送られてきて
「かわいそう」という一言がそえられていた


以上が仏教のパートである。
ここから、もう一つぼくの好きな思想紹介する。


老荘思想もめっちゃいいよ、っていう話

このとんでもないバイブスの老人をご存知だろうか。

老子

老子である。

たどりついた境地がヤバすぎて、
どこまで老子なのか岩なのか植物なのかわかんないほどの人物である。

前に西成でみかけた気がする

莊子の思想とあわせて、
老荘思想」とか「タオイズム」とか呼ばれている。

ぼくがとても好きな考え方だ。

老荘思想の場合、世界の真相を「空」ではなく「道」とみる。

タオ

「道」とはなにか?

人間が勝手につけた名前をぜんぶとっぱらって、全存在が一緒くたになったカオスというかんじだ。

仏教の「空」は空っぽな感じがするが、「道」ははんぱないパワーが充満しているイメージ。

とにかく壮大すぎて語り尽くせない概念だけど...

あえて一言でいうなら、
「道」=「いのち」だとぼくは考えている。

  鳥とか虫とかの個別の命ではなく、それをつつみこむような地球とか宇宙とか全体をさす「いのち」のイメージ

そして老荘思想を極めし者にも、
やはり世界は2重の相でみえているらしい。

図にするとこんなかんじである👇

道と名

淡路島TAO

どうだろうか?
世界が命に満ちあふれているような世界観だ。

ぼくは仏教の「空」よりもこっちが好きだ。
最近『老子』を読んでいて、世界の見え方がすごく変わってきた。

最後にその感覚を共有したい。


タオイズムの風景

木の机や床は、もともと生きていた。
当たり前だ。でも忘れていないだろうか?

太陽の光を吸収し、根から水を吸い上げ、ぼくが生まれる前から何十年も生きていた、ガチでマジの気合のはいった木である。

そう思うと、ぼくの今いる家は木造だが、死体の中で生活しているような、いのちの「圧」を感じるのだ。

松林


ファミチキはおいしい。
めちゃくちゃケミカルな味付けである。しかし、工業製品のようなデザインにつつまれているのは、正真正銘生きていた1匹の鶏である。

そう思うと、ファミマのレジ横にならべられている姿からいのちの「圧」を感じるのだ。

画像13


Macのアルミっていいよね。
そのアルミはもともと、オーストラリアや中国で立派に「大地」をやっていたボーキサイトという岩石だ。

パソコンの手のひらにふれているのは、直接地球といえるかもしれない。だいぶエモくない?

アルミ


ペットボトルは人工物っていうけど...
プラスチックは石油製品。石油は「化石燃料」という説が正しいなら、そのペットボトルは数億年前の動植物の一部だということになる。

むかし恐竜のからだだったものかもしれないとおもうと、ペットボトルにさえいのちの不思議を感じないだろうか?

ペットボトル


「道」というと抽象的すぎてピンとこないかもしれない。

でも、意外と理詰めでかんがえると、
目の前のすべてのものに、いのちの相がみえてくる。

生命4

この感覚が「道」なのかも? と思っている

この世界の全体が一つの混沌である、という見方は、ある意味では当たり前だ。

この宇宙がビッグバンではじまった時、あなたもわたしもMacbookもいろはすもファミチキも全部一緒くただったのだ。

ビッグバン

ビッグバンから138億年後の、2020年現在であっても、
膨大な宇宙の中の地球という、超超超超超超超超超超超極小の点でしかないところにひしめきあっているのが我々である。


現実とはなにか


さて、「本当の自分」探して早5年のわたくしの話に戻ると...

転職だったり、地方移住だったりって、じっさい都合のわるい「現実」から目をそらすための逃避だったりする。(👈 余裕で自覚してる)


鍬を持つ男

(再掲) 地に足つけて仕事頑張るか...の図


ただ、そのときの「現実」とは何を指すのだろうか?

仕事がおもうようにできないこと?
人間関係がうまく行かないこと?
お金がないこと?

これらの「現実」は、
東洋哲学の考えからすれば、極めてバーチャルなものである。

圧倒的な生命の充満のなかで、
生きてるだけで不思議すぎる感覚こそが、
最強にリアルな「現実」じゃない?

というのが東洋哲学の教えだとおもうのだ。


...とかいってると、
またニートに近づいていっちゃう危険な思想だ!とか思う自分もいた。
しかし、実際に僕に起こったことは逆だった(!)


東洋哲学的な見方をしていると、
なんか、めっちゃ元気がわいてくるのである!!!

見るもの一々を、いのちの相でみると、自分の存在が絶対的に肯定されている感覚になってくる。

息してるだけで元気になるような感じだ。
そして、ありあまった気力で活動したくなって、いまこうして長文の note を書いたりしているのだ!

仕事とかって、もしかしたら、充実しすぎててあまった気力をシェアしていくだけでいいのかもしれない。

植物の光合成で酸素わけてもらってるみたいな。ちょい違う?まぁいいか。

ということで、
ここまで読んでもらってありがとうございました〜!ぜひ感想おしえてください〜!

ブッダ

ワイの余った気力おいときます 吸収自由




🐸 🐸 🐸

この note を書く上で特に参考にした本たち置いときます👇


50冊リスト

<鈴木大拙系> 
『仏教の大意』
『東洋的な見方』
『無心ということ』
『禅』
『禅と日本文化』
『日本的霊性』
『親鸞の世界』
『はじめての大拙』大熊玄

<井筒俊彦系> 
『意識と本質』
『意味の深みへ』
『コスモスとアンチコスモス』
『イスラーム哲学の原像』

<西田幾多郎系> 
『善の研究』
『絶対矛盾的自己同一』
『西田幾多郎 作品全集』
『福岡伸一、西田哲学を読む』池田善昭、福岡伸一
『西田幾多郎 無私の思想と日本人』佐伯啓思
『西田幾多郎 言語、貨幣、時計の成立の謎へ』永井均
『西田幾多郎の生命哲学』檜垣立哉
『中島みゆき絶対矛盾的自己同一の世界』林晃三
『善とは何か: 西田幾多郎『善の研究』講義』大熊玄


<その他仏教系> 
『超越と実存』南直哉
『善の根拠』南直哉
『龍樹』中村元
『禅と陽明学』上下 安岡正篤
『ウィトゲンシュタインから龍樹へ』黒崎宏
『はじめてのインド哲学』立川武蔵
『ブッダのことば-スッタニパータ』中村元
『唯識三十頌唯識三十頌: こころの世界』上田祥広
『唯識の思想』横山紘一
『唯識の心理学』岡野守也
『自我と無我』岡野守也
『禅とジブリ』鈴木敏夫
『空海の哲学』竹村牧男
『空海の思想について』梅原猛
『仏教経典散策』中村元
『正法眼藏を読む』南直哉
『空海に学ぶ仏教入門』吉村均
『道元』和辻哲郎
『今に生きる親鸞』吉本隆明
『アップデートする仏教』藤田一照
『仏教思想のゼロポイント』魚川祐司

<老荘思想系> 
『新訳老子』岬龍一郎
『タオー老子』加島祥造
『老子の教え あるがままに生きる』安冨歩
『バカボンのパパと読む「老子」 』ドリアン助川

<その他> 
『美と宗教の発見』梅原猛
『人類哲学序説』梅原猛
『超訳 易経 陽―乾為天』竹村亞希子
『本居宣長「うひ山ぶみ」』白石良夫
『本居宣長』相良亨


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