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初めての転職を経験して感じた事。 (全6記事)

1.平成初期の雇用環境と当時の振り返り

平成元年、バブル終末期に高卒新卒で入社した資材販売・看板内装業の社員20名程度の会社に合計28年勤めていました。

リーマンショック・東日本大震災と経済・自然災害の影響を受けつつ、営業職での就業を続けていましたが経済状況の悪化、業界内の再編や主要取引メーカーとの関係性や何より経営者(法人設立時は取締役3名+監査1名)の相次ぐ死去も大きく影響したのではないかと思います。

今、振り返ってみても一言でいえば「ブラック企業」だったと笑い話にもなりますが、当時は深夜まで残業・土日出勤は当たり前その勤務時間はサービス残業という「見込み残業代」で徒労に終わる環境でした。

倒産時(最終年で46歳)の手取りは23万程度、日々の生活費もカツカツな状態で生き抜いてきました。

今では転職市場もハードルが低い環境にもなっていますが、当時はまだまだ終身雇用制度が色濃く根付いており私自身も新卒で入社した会社に、恩義があるとの思いで退職・転職することを戸惑っていました。

一つだけ当時の会社で日々言われていたこと「お前なんか他の会社に移ってもダメなんだ!!」という言葉の暴力がずっと摺り込まれてきたんだなぁ。と、つくづく実感しています。


文章にしてみると、以外と綺麗に並んでしまいますが紆余曲折、度重なるパワハラを日常的に受けていて「よく我慢したなあ」と今思い出しても当時の自分を褒めてあげたいと思ってしまいます。

それもこれも、その日が来た時に労働者が受ける恩恵、国で用意されている制度をフルに活用してこの苦しみから解き放たれよう。
と、強く思っていたことがその原動力になっています。

これについては、次の章で書きたいと思いますがこの記事を残そうと思い立ったのは、同じような経験・苦労をするのはきっと私だけではないだろう。と、思いが広がりもしそう言った時に私の経験が見知らぬ誰かの参考になれば。

と、考えるに至り記事公開といたしました。

この記事を書いているのが令和2年6月4日(木曜日)奇しくも新型コロナウィルス蔓延を起因とした経済状況の悪化、外出自粛要請からの初の緊急事態宣言が解除された後、というタイミングにおいて執筆しております。

第二章以降は必要な人に読んでもらいたいので、敢えて有料記事とさせていただきます。

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