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手に職をつけて、帰ってくるんだよ──自分の暮らしを自分でつくる鍼灸師

中国山地とそこから流れる高津川、そして日本海。島根県西部・益田市は、雄大な自然に囲まれた静かな地域だ。
この街にひっそりと佇むのが「あや鍼灸堂」。落ち着いた空間で静かに治療を受けられ、下は0歳から上は87歳までが集う。
同院を経営し、自ら鍼を打つのが、鍼灸師の中嶋綾果さんだ。益田で育ち、関西の専門学校で学んだ。仕事も生活も、ふたりの子育ても、自分らしく。
そんな中嶋さんの暮らしを聞いた。

中嶋綾果(なかしま・あやか)
「あや鍼灸堂」の経営者・鍼灸師。高校卒業までを益田で過ごし、鍼灸師の資格をとるため大阪の専門学校へ進学・就職。その後26歳の時にUターンして以来、島根県益田市を舞台に、仕事だけでなく私生活全般を通して、自分のスタイルを貫いてきた。現在は2児の母としても日々奮闘中。

海のある街で暮らしたい

高校生の頃は、都会への憧れがあったという中嶋さん。しかし、関西に出て学び、働くなかで、少しずつ変化があった。

「私は幼い頃に益田へ引っ越してきました。地元の高校を卒業して、大阪の学校で鍼灸師の資格を取りました。それから関西で鍼灸の仕事を5年ほどしたあと、26歳で益田に戻って鍼灸院を開きました。

高校生の頃は「ここは田舎だなあ」って思っていて。ずっと都会に出てみたかったんですよ。早く親元から離れたかったい気持ちもありましたし。でも、いざ都会に出てみると、どこか寂しいんですよね。忙しく遊んでいるうちは楽しいけど、ひとりでいると周りから置いていかれちゃうような感じがあって。」

地元に戻ってきたきっかけは、なんだったのだろうか。

「昔はなにもない街だと思っていました。でも、今は違います。大人になると、その環境で遊べるようになるんです。なかでも私にとっては、帰省のたびに過ごしていた海の存在が大きかったかな。お盆に帰ったら海に入るし、正月に帰ったらみんなで毛布に包まって、海辺で流れ星を数える。それが本当に楽しくて。

そんなことを風物詩のように毎年毎年繰り返していくなかで、やがて気がついたんですよね。都会にはこういう時間がないんだって。そうしたら、自然と「帰りたい」って思うようになりました。」

益田に戻ると、自身の生活に変化があったという。

「ここで過ごしていると、自分の好きなやり方で仕事ができて、時間も作れる。なにかに追われているような感じがないんです。忙しくない日はもう休みにしてしまって「今日は一日ゆっくりしようかな」なんて。自分の生活を自分で決められる。それが大きな魅力だなと思いますね。

私が子どもの頃と比べてお店が増えて、買い物にも不便を感じなくなったこともいいですね。地元にいる知り合いも多いし、ほかの街に出た友達ともよく会える。今は日々の暮らしが楽しいですよ。」

身体のメンテナンス

そんな中嶋さんは、いつ自身の仕事となる鍼灸に出会ったのだろうか。

「小さい頃から競泳をやっていたんです。自分には水泳しかないと思っていました。でも、中学生のときに身体を痛めてしまって。腰と膝が悪くなって、しんどかったんです。そこで鍼と出会って、身体をメンテナンスしてもらうことの心強さを知ったんです。

そのときの鍼灸院の先生から、鍼の仕事を勧められました。ずっと泳ぐことしか考えていなかったから、将来は水泳のインストラクターになろうと思っていたんですけどね。でも、二つ返事で「それでいこう」って決めました。正直、先のことを深く考えていたというよりは、ノリで決めたようなところもあります。そうして、その先生に推薦書を書いてもらって、鍼灸の学校に入りました。」

関西で学ぶ日々は、順調なものではなかった。

「最初は戸惑いもありました。入学してすぐに受講した東洋医学概論という授業で「鍼灸師は気を扱う仕事です」と言われたんですよ。当時の私は、鍼って身体の不調を治す仕事だと思っていたので、これは話が違うぞと(笑)。私にはそんなことできないよって思いました。

それで少しモチベーションが下がっていたところで、婦人科系の疾患にかかって体調を崩しました。大阪に出て半年ほどだったと思います。母と一緒に医者に行ったら「一生付き合っていかなきゃいけないよ」なんて言われて。二人でトボトボ帰ったことを、今でも憶えています。

それで気落ちしてしまって、学校も休みがちになってしまったんですが、当時の担任の先生がすごく心配してくれたんです。先生は学校と同じ建物で鍼灸の治療院をやっていて「バイトや学校がないときは治療においで」と言ってくれたんです。いろいろ話を聞いてもらいながら先生のところに通っていたら、2, 3ヶ月ほどで体調が良くなっていきました。

そこで改めて、東洋医学ってすごいなと思ったんです。それから真剣に頑張るようになりました。その先生は、それから卒業までずっと気にかけてくださって。私のなかで恩師のような存在ですね。」

それから中嶋さんは、鍼灸へ真剣に向き合うようになっていく。

「当時、ハリウッド女優が美容鍼灸に通っているというニュースが話題になりました。それを見て、同じ女性だからこそ、女性の顔に鍼を打つことの繊細さや、その悩みがわかるかもしれないと思いました。

それで美容鍼灸をやっているところへ勉強に行くようにもなりました。ほかにも、大阪の鍼灸の研究所でお手伝いをさせてもらったり、整骨院で働かせてもらったり。忙しかったですが、充実していましたね。

当時は生活がかかっていると思って、本当に必死でした。昼間は学校に通いつつ、朝と夜には全部バイトを入れて、自分の家賃から食費、生活費まで稼いでいたんです。だからこそ、やりたいこと、知りたいことに全部挑戦したかった。大変だったけど、それはそれで楽しかったですね。」

働き始めても、鍼灸への思いは変わらなかった。

「学校を卒業して働き始めると、働き方が気になるようになりました。私が働いていた整骨院はかなり時間に厳しかったんですよ。もう少し治療したいと思ってもできなくて。患者さんに「ごめんなさい、今日はここまでしかできないの」って伝えることが、どうしても辛かったんです。

そのうち、自分で鍼灸院をやってみたいと思うようになりました。」

患者さんは0歳から87歳まで

26歳になった中嶋さんは、いよいよ地元に戻り、開業を決意する。周囲は、どのような反応だったのだろう。

「当時は「若いのに、もう地元に帰るの?」って言われましたね(笑)。でも、昼も夜も鍼灸の勉強をしていて、私以上にできる人はいないって自信があったんです。

鍼灸院を開くためには、保健所に申請が必要です。行ってみたら「益田に鍼灸院がどれくらいあるかリサーチしていますか」って尋ねられました。自分の知る範囲で考えたら、4軒か5軒かなあと思ったんですけど、なんと70軒もあるんだって。これはあくまで当時申請があった数なので、もう看板を出していないところもあるかもしれません。でも、結構な数ですよね。」

その数を知って、不安にならなかったのだろうか。

「やっぱり、自信があったんでしょうね。鍼灸院がたくさんあるとしても、私みたいに美容鍼灸ができて、自律神経の調整ができるところはないだろうって。そういうユニークな特徴があれば、大丈夫じゃないかなって。

一歩踏み出せたのは、海外経験の影響もあるかもしれません。私の母は、「お金は残せないけど、経験は残してあげたい」と言って、小さい頃から海外に連れ出してくれました。おかげでアメリカやニュージーランド、オーストラリアといった国々に、旅行やホームステイで行ったことがありました。知らない土地を訪ねると、物怖じしなくなりますよね。周りの目が気にならなくなるというか。みんな、自分の好きなように生きているから。」

中嶋さんは周囲の助けを借りながら、開業の準備を進めていく。

「開業資金が必要だったので、地元の銀行でお金を借りました。まず、貸してくれることに驚きましたね。当時の自分のように、若くて経験の少ない人にも融資をしてくれるなんて。銀行ってありがたいなと思いました。」

「そうして鍼灸院をオープンして、半年ほどで軌道に乗りました。いわゆる広告やマーケティングはしていません。しいていえば、開院当初にリーフレットを作ったことと、あとは自分の気持ちや生活の一部をブログに載せていたくらいかな。新しい患者さんが来てくださるのは、口コミのおかげです

初めての方がいらっしゃったら、1時間ほどかけて頭のてっぺんから足の爪先まで診ます。そうじゃないと、身体のことはわからないですからね。ひとりひとり丁寧に診ることができて、鍼灸院を開いてよかったなと思います。」

来院される方は女性が多くて、やっぱり求められていたんだなと。年齢層は本当に幅広くて、0歳から87歳までいらっしゃいます。

子どもについては、自分の子どもが乳児湿疹のような感じになって、それがきっかけで大阪に出向いて、小児鍼を勉強しました。高齢の患者さんの場合は、車にポータブルベッドを積んで往診もしますよ。」

鍼灸院を続けるなかで、地域の変化も感じている。

「開院した頃から診ている子が、最近久しぶりに来たんですよ。出会った頃は小学生だったのに、もう高校3年生で大学が決まったって。10年もここで鍼を打っているんだと思うと、感慨深いですね。

患者さんが長い年月のなかで成長したり、幅広い年齢層を診られたりする。そこは地域社会の面白さなのかなって思います。」

楽しい環境を貪欲に

「こういう暮らしをしていると、自分の仕事をコントロールしやすいところがいいですね。ふらっと公園に遊びに行くこともあるし、思い切って一週間くらい休んで遠出することもあります。」

自然って毎日違うんですよ、だから飽きずに楽しめます。海ひとつとっても、サーフィンしたり、浜辺でお昼寝したり、SUPサーフィン(パドルサーフィン)もしますし。海はいつもそばにあるのに、それでいてずっと飽きずに楽しめる。最高ですよね。

ちょっと気落ちしているとき、真っ青な海を眺めるだけで気持ちがスカッとするんです。よし、頑張ろうって。」

「あとは友達の家でテントサウナをやることもありますよ。汗をかいて、湧水を貯めたプールにざぶんと飛び込むんです。サウナでいい感じに整ったら、七輪で野菜を焼いて食べます。大人の部活みたいで楽しいですね。

自分の子どもも一緒にその空間にいて、いろいろな大人たちに囲まれながら過ごしている。子どもがいる友達も、そうでない友達も、みんなかわいがってくれますよ。その姿もいいなって思います。

私は楽しい空間にいたいんです。自分がいいなと思う場所を自分で選択したい。楽しいことに貪欲なのかもしれません。」

「ここにはラウンドワンみたいな娯楽はないけど、自然のなかで遊べます。車を少し走らせれば、海にも川にも入れるし、キャンプだってできる

地元の中高校生からしたら、なにもないように感じるかもしれません。もしそう思ったら、一度は都会に出てみてほしいですね。昔の私もそうでしたが、離れるといろいろわかるんですよ。自然の豊かさも食べ物のおいしさも、人のあたたかさもここにはあるんだなって。」

「もし仕事に不安があるなら、都会でなにか手に職をつけるといいと思います。そうしたら、どこでもやっていけますからね。益田の高校生で、鍼灸の学校に進学する子を3人知っていますよ。みんな、いつか帰ってきてくれたら嬉しいですね。

外から来る人も、もちろんウェルカムです。いまどきはSNSにいろいろなイベントや集まりの情報もありますし、ふらっと訪ねてほしいですね。益田にも移住者が増えてきたから、きっと仲間ができると思いますよ。」