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日々の暮らしの中に、神楽がある──伝統芸能「石見神楽」を受け継ぐ

島根県大田市温泉津町(ゆのつちょう)。レトロな温泉宿やその町並みが今でも残っており、国の重要建造物保存地区に選定されているほか、石見銀山の一部として世界遺産に登録されている。
なによりこの地域を代表する伝統芸能は日本遺産「石見神楽」だ。日本神話をベースとした舞台芸能で、火花の中で舞う迫力の剣舞や、軽快なお囃子、金銀に輝く豪華な衣装が特徴だ。演目の中に登場する、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)と戦う須佐之男命(スサノオノミコト)は、地域の子ども達のヒーローである。
そんな石見神楽に惹かれた窪田真菜(くぼた・まな)さんは、大学卒業後に温泉津町に移住。現在は温泉宿で働きながら、ダンススクールの講師としても活躍している。仕事が終わると地域の社中で演目の稽古を重ねるという忙しい日々を過ごしているが、「都会よりは疲れない」と笑う。そんな窪田さんに、石見神楽への想いや移住を決意した理由、温泉津で叶えたい夢について聞いた。
(聞き手:西嶋一泰、文:宮武優太郎)
窪田真菜(くぼた・まな)
東京都練馬区出身。京都造形芸術大に入学後、石見神楽に関心を持ち、2011年に島根県大田市温泉津町へ移住。地域コーディネーターとして、NPO法人石見ものづくり工房に勤めた後、大田市立温泉津公民館の主事として働き、現在は温泉宿にて勤務。ダンススクールを開講し、講師としても活動する傍ら、石見神楽を受け継ぐ「石見神楽温泉津舞子連中」の一員として日々稽古を続けている。

石見神楽の魅力に惹かれて

窪田さんが島根に来るきっかけは、どういうものだったのだろうか。

「私が島根と石見神楽に出会ったのは、大学1年の時でした。当時私は舞台芸術を学ぶために、京都造形芸術大学に通っていました。産学連携プロジェクトという授業の中で、関心を持ったのが、島根県の郷土芸能を披露するステージを、地域住民と一緒に”浜辺”に造るという企画でした。新鮮な観点を持つ若い学生たちの意見を取り入れ、地域活性化につなげる取り組みです。

島根県には行ったことがなく、夏休みだし、気軽に参加しようかなと考えていたんですね。その授業の説明会で石見神楽の実演があって、授業を先に専攻していた先輩が演目「恵比須」を披露してくれました」

その時初めて目の当たりにした石見神楽の舞は、ヒップホップダンス経験者である窪田さんにとって、鮮烈なものだった。

「とても不思議な印象を受けました。演じたり演奏したりしている方々はすごく真剣な表情ですが、主役の恵比須さんはとても朗らかで、ユーモラスです。私は小さい頃からダンスを習っていて、ミュージカルや、演劇など様々な舞台も好きで観ていましたが、舞台上での舞い方が独特で、日本の民俗芸能は未知の分野だと感じ、「日本の踊り」がここにはあるかもしれない!と感激しました。

説明会は決して広くはない会議室で行われていました。この場所にはどこか似合ってないように見えるところもあって、本来の公演スタイルをみてみたいと興味を持ちました。そこから学生時代の4年間は、温泉津町と石見神楽にぞっこんで過ごしていました(笑)」

石見神楽の魅力に興味を惹かれた窪田さんは、早速授業の受講を決め、その年に初めて島根県を訪れる。

「その夏に初めて温泉津町に降り立った時は、海の潮風の匂いがすごくしたのを覚えています。そして温泉街には葉っぱひとつ落ちていなくて、観光地なんだなーという印象でした。島根県は縁もゆかりもない、初めて訪れた場所だったので、すべてが新鮮でしたね。

その夏はイベントのために、浜辺に一からステージを作ったんですね。学生達だけでそれをするのはとても大変でしたが、温泉津の地域の人たちがすごく協力してくれたんです。道具や資材を用意するのを手伝ってくれたり、学生の想いもすごく聞き入れてくれました。私自身、その過程に携わる中で、心から楽しいと感じていました。大学3年の時は、毎月1回のペースで京都から島根に通っていましたよ」

温泉津への想いが日に日に増していった窪田さんだったが、卒業を控え、進路を決めるタイミングに差し掛かった。

「もともと私は舞台芸術の裏方の仕事に進もうかと考えていました。しかし、その業界で一人前になれるのは、数十年先の話なのかなと思っていて。数百人いるスタッフの中で雑用をこなして鍛えられた期間を経て、自分の名前で仕事ができるには何年かかるのだろう。と悩み始めていました。

それに対して、温泉津は人口が目に見えるほど減少し、今まさに課題に直面しています。そういうなかであっても、仕事やプライベートで大変なことを抱えながらも地域活性のために、汗水流して走り回っている。一人一人にとても大きな役割があって、皆それぞれが生きがいを持って暮らしているように見えたのです。

そうして悩むなかで、進路について温泉津の方に相談してみました。すると有難いことに「もし本気で来たいのだったら、住む場所や仕事も探してみるよ」と言っていただきました。もちろん、私は地域のためになんでもできるヒーローではありません。しかし、私がここに来ることを喜んでくれる人がいる。私はその人たちに色んなことを教わりながら、ここで暮らしていきたい。そう思い至って、移住を決断しました。

親や友達に「コンビニがなくても大丈夫なの?」と心配されましたが、「ここの人は、なくても生きてるよ」と言って説得しました(笑)。とはいえ、正直に言えば「行ってみないとわからない」というのが私の考えです。未知の世界に足を踏み入れることが好きだから、行ってみようと決断できたのだと思います」

温泉津でダンス教室を開講

念願叶って、大田市温泉津町へ移住することになった窪田さん。現在ではどのような暮らしをしているのだろうか。

「日中は旅館に勤め、観光等でいらっしゃるお客様を案内しています。プライベートでは、学生時代からずっとお世話になっている石見神楽温泉津舞子連中(ゆのつまいこれんちゅう)に所属し、石見神楽の稽古をしたり、イベントに出演させていただいたりしています。また、ダンス教室を開講し、温泉津と、すぐ隣にある大田市でも教室をやっています。生徒は小さいお子さんから30代の方までいて、世代別でレッスンを行っています。私が今まで習ってきた踊りはもちろん、いまの流行も織り交ぜながら指導にあたっています」

窪田さんがダンス教室を開いた背景には、地域の人からの声もあった。

「ダンスを習い始めたのは小学生の頃でした。高校生になる頃には、小学校の子どもたちにダンスを教える立場になっていて、その子たちが舞台に立ったり、楽しみながら踊ってくれたりする姿を見てやりがいを感じ、高校卒業まで続けました。

大学進学後は石見神楽に出会ったため、ダンスをする機会は大学の授業以外ほとんどありませんでした。再開したのは島根に移住してからのことです。子育て世代のお母さんたちから「ぜひ温泉津でもダンスを教えてほしい」と言っていただいたことがきっかけです。私が始めていなければ、ダンスを習う機会はなかったとおっしゃる親御さんもたくさんいて、嬉しい限りです

教室では、ダンスだけではなくさまざまなことを学んでほしいという想いもあるという。

「いまはテレビでもいろいろなジャンルのダンスパフォーマンスに触れられます。自分に合ったものを選んでほしいと思っているのですが、私に教えられることにも限りがあります。ですからダンスのレッスンをきっかけに、興味の幅を広げてもらえたら嬉しいですね。

私自身、ダンスがきっかけで舞台のスタッフ業に興味を持ち、それから石見神楽を知り、石見神楽のおかげで日本の伝統文化の奥深さに触れることができました。その結果、島根に移り住むにまで至ったわけです。ダンスは私の人生のいろいろな扉を開いてくれたと思います。私のダンス教室も、生徒さんにとってそんな存在になれたらいいですよね。

これまで教室に通っていた生徒の中には、高校を卒業したら芸能事務所に入りたいと東京に行った子もいます。地域には大学や専門学校がないため、卒業すると一度地域を離れる人が多いですが、みんなそれぞれの夢を追いつつ、故郷を想っていると思います。」

地域の暮らしに根づく「石見神楽」

仕事やダンス教室での忙しい合間を縫って、石見神楽の練習にも精を出す窪田さん。ダンスと比較して、石見神楽の舞はどのような特徴があるか伺った。

「私が習っていたヒップホップダンスの場合、バランスをいかに崩すかに軸足が置かれているように思います。崩し方は非常に複雑で難しく、そこに個性が出てカッコいいのです。

それに対して、石見神楽の舞は、8畳の舞台の中で回ることが基本で、 左右の足のステップは絶対に狂わず、 理にかなった動きで構成されています。他方で、役柄を演じるという性質があるため、キャラクターの体型や性格といった設定によって、アドリブで表現する部分もあります。どこまで演じていいのか先輩に聞いても「正解はない」とおっしゃる。情熱的な想いがあれば、それをお客様に伝わるよう自由に表現してよいという共通認識があるように思います。舞っている最中は、自分らしく自然体でいるように心がけています。

ほかにも、石見神楽はお囃子の生演奏に合わせて舞うのに対して、ヒップホップダンスでは生演奏は滅多になく、準備した音源に合わせてダンスすることがほとんどだったり、相違点はいくつもありますが、どちらにも難しさと奥深い魅力があります」

そんな石見神楽は、温泉津の人々にとってどのような存在なのだろうか。

石見神楽は生活の一部だと思います。私にとってもそうです。いつも朗らかな雰囲気で遊んでいる仲間も、石見神楽になると真剣な表情になって、すごくカッコいいです。小さいころから身近にあったエネルギーをもらえるもの、という感覚なのでしょうか。多世代が一緒になって、「好き」だから集まって続けていく。そんな繋がりって貴重ですよね。練習や公演が無いと集まりませんが、各自が色んな気づきや経験を持ち帰り、また日々の営みを続けていく。石見神楽は毎日の暮らしの中にあるのです。

ただ、最近はコロナウィルスの影響でなかなかメンバーと顔を合わせられない時期が続いています。どこか身体の一部が欠けてしまったような気がして、寂しいですね」

ゲストハウスを巡る旅

地域の中に溶け込み、充実した毎日を過ごす窪田さん。移住して8年が経った頃、ある決断をする。

「温泉津に来てから5年間、私は公民館に勤めたこともあって、地元の人との交流も多く、郷土愛が深まっていました。そこで次のステップとして、自分の事業をつくり、起業してみたいと考えるようになりました。そんな折にたまたま知り合いが遊びに来てくれて、温泉津に私なりのおもてなしできる場所があったらいいなと思い、ゲストハウスを立ち上げたいと考えるようになりました」

そう思い立ってから3年。窪田さんはワーキングホリデーを取って海外のゲストハウス巡りに旅立つ。

「当時はインバウンド観光に注目が集まりつつある時期でした。もし海外の方々が温泉津のような日本のローカルエリアに目を向けてくれるなら、私も英語でコミュニケーションをしたい。

英語力だけでなく、外国人のお客さんがどのような目線を持っているか知る必要もあります。島根に移住してからだいぶ月日が経ち、ローカルに浸るとともに、日本や島根の文化の奥深さに触れる機会も増えてきました。その一方で、外からの目線を改めてインストールするべきだという思いが強くなりました。

そこで、ワーキングホリデーでニュージーランドに滞在することにしました。英語圏でもあり、バックパッカーに人気のゲストハウスも数多くあります。ここで英語の勉強をしながら、たくさんの宿を見て回りました」

ワーキングホリデーを終え、2019年に温泉津に戻った窪田さんは、現在も勤める温泉津の旅館で働き始める。

「日本へ帰る半年前頃から、温泉津にある旅館で仕事ができないか相談していました。旅館の視点から接客を学びたいと考えたからです。

週に1組くらいは外国人のお客さんがいらっしゃるので、業務の中でニーズを把握することもできます。たとえば、畳で寝ることが大好きというお客さんもいれば、初めてだという方もいます。ここはなにもないからこそ風情があっていいというご意見も印象的でした。ゲストハウスの開業はまだまだこれからですが、いろいろな声を聞きながら仕事をして、日々勉強させていただいています」

近所の駄菓子屋のような場所を目指す

地域の中に溶け込み、外の視点も忘れない。そんな窪田さんは、これからの温泉津について聞いた。

「地域の人たちが一緒になって、もっともっと暮らしやすい町にしていけたらいいですよね。そのためには、ここに住む人たちの意見を集めることが大切だと思います。ゲストハウスを立ち上げるときも、なるべく町の中心でやり、地域の人や意見が集まってくる場所にしたいです。観光客の方はもちろん、近くに住むお母さんや子どもたちが駄菓子屋にお菓子を買いに行くようなノリで来てくれたらいいなと。

私は自分が暮らしていて楽しいと思える場所をつくりたいし、地域全体もそうなっていったらなと願っています。楽しい気持ちや笑顔って、とても大切なものです。石見神楽の公演でも、地元の子どもたちが、舞や奏楽を真似したり、恵比須さんに嬉しそうに飴玉をもらいに行く姿であったりします。身近にある石見神楽を地元の人たちが熱心に応援しているところが印象に残ったと口にする方も多いです。観光で訪れる人だけではなく、暮らしてる人たちみんなが楽しそうにしている。そんなシーンのすべてが神楽の魅力なのです

恵比須さんを演じ、温泉津に笑顔を

島根で地域のなかに暮らす。そんな生活は、都会とどこが違っているのだろうか。

「一番変わったところは、遅い時間まで外食する機会が減り、家でゆっくり自分を見つめる時間が増えたことかなと思います。自分らしさについて考える時間が十分にあるから、起業をはじめ新しい挑戦を始めるにも向いている環境だと思います。自然に触れるなかで健康志向になれるし、ストレスフリーですよ。睡眠時間もしっかり取れます(笑)」

自分の時間をしっかり確保しながらも、窪田さんは人付き合いを大切にしている。

「温泉津の方と学生時代から知り合っていたため、安心して移住できました。私のことを知っている方も多いので、きちんと笑顔で挨拶をするように心掛けています。最近では、地域のご家族と一緒に過ごすことも増えました。

私はお嫁さんとしてこの町に来たわけではありません。ですから「神楽が恋人、島根が彼氏」みたいなスタンスで、自由に暮らしています(笑)。ご近所の方のお子さんとも、友達みたいな感覚で遊んでもらっています。一緒におさんぽに行ったり、釣りをしたり。「恵比須さんを演じているのだから、釣りは得意でしょ」なんて言われながら(笑)。海で遊んで、釣った魚を食べて、一緒に温泉に入る。なんて素敵なルーティーンなんだろう」

最後に、温泉津での暮らしのなかで幸せを感じる瞬間を聞いてみた。

「幸せなのは、神楽で恵比須さんを演じているときでしょうか。恵比須さんのお面はいつも笑っているので、私がそのときどのような表情であっても、お客さんは笑顔になってくれます。そのリアクションを見ると、私も笑顔になれます。もちろん、みんなで温泉に入っているときも幸せですけど(笑)」

──窪田さんは「地域の人に必要とされている」という感覚から温泉津町への移住を決めた。起業する、地域を変える、そんな強い想いを最初から抱いていたわけではない。

石見神楽を舞い、地域の人も、観光客も笑顔にする。現在に至るまで、窪田さんは得意分野を活かしつつ、自分らしい活動を続けている。そんな彼女の言葉はどれも等身大で、地域に暮らすひとりの当事者の気持ちが伝わるものだった。

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