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わたしの履歴書:vol.1(学生時代)


◆outline

 はじめまして、「しまけん」と申します。
noteを通じて自身の成長と共に、関わる皆さんに何かしらのアウトプットができればと、思い切って始めてみました。

 自分の学びの記録や考えを発信するために、40半ばにして遅ればせながら2019年の1月からTwitterを始めました。それからというもの、モチベーション向上や成長が加速したことを実感し、アウトプットの大切さを学びました。皆さんにお伝えする内容は、同時に僕自身の学びや気付きを共有するものなので、一緒に成長していけるような関係になれると大変嬉しく思います。自分の行動をもって皆さんに何か還元していくために、Twitterだけでは足りない部分をnoteで補っていくつもりです。

 それでは、恥ずかしながら僕のこれまでの人生の歩みを簡単にご紹介して、どんな人物なのかを知って頂こうと思います。


◆幼少期

 幼いころは活発に動き回って、頑固でやり出したら止まらない性格で、暗くなるまで砂場で遊んでよく母親を困らせていたようです。(笑)運動神経は良い方だったと思います。足も速い方でしたし、逆上がりも幼稚園生の頃にはできてました。父親が野球が好きな影響で、野球を無理強いされ、風呂の中でアニメ「巨人の星」の主題歌を暗唱させられ、めっちゃ嫌いになってしまいました。(笑)

 小学生になると、おしゃべりが過ぎてよく先生に怒られてました。勉強もそこそこできていたので、まだできていない子を邪魔するような厄介な存在だったと思います。ガキ大将的な子に意味もなくどつかれてよく泣かされてもいました。ですが、持ち前の明るい性格でそんなことも気にせず、お調子者の時代を過ごしました。


◆サッカーと出逢う

 小学3年生のときに転校を経験し、当時流行っていた「キャプテン翼」の影響で、男子はみなサッカーをやる環境になりました。野球は全然できませんでしたが、サッカーはそこそこできたので充実していました。小学5年生で再度転校になったのですが、そこではサッカーが流行っておらず、よそ者が来たみたいな感じで完全無視のイジメにあって、半年以上は誰も口を聞いてくれませんでした。そのときはだいぶ暗かったと思います。

 冬にサッカーの授業があり、周りの子より断然できるので、「お前やるやん、サッカー上手いねんな」ってことで、ようやく皆に認められて打ち解けることができ、休み時間はずっとサッカーしてるような生活でした。あのときサッカーをしていたから、サッカーが人とのコミュニケーションの橋渡しをしてくれて、僕にとってサッカーはなくてはならない存在になりました。

 そうですね。皆さんお気付きだと思います。関西人であることがバレたと思います。大阪出身です。転校を2回経験したので、初対面の人とどう接すれば良いかは、このときに体験したことが大きかったと思います。そして、サッカーが今後の人生に大きく関わっていくこととなるのです。

◆中学生~高校生

 中学生になってからは勉強はそこそこ普通、クラブ活動はもちろんサッカー部でした。幸いなことにキャプテンを任されることになり、チームプレイの大切さや仲間との絆みたいなものを学ぶ機会になりました。そんなに強いチームではありませんでしたが、地域大会での優勝や、貴重な経験をたくさんさせて頂きました。もともと負けず嫌いで目立ちたがり屋という性格もあいまって、任されると自分が認められた気持ちになっていたんだと思います。先生から生徒会長にも推薦されたんですが、候補演説の際にやらかしてして(冗談が過ぎた)落選してしまい、恥ずかしくて2、3日寝込んでしまったという苦い経験もあります。(笑)


 高校生活は地味でした。学校はサボりがちで授業に出ずにクラブ活動だけ行ってる時期もありました。(サッカーは欠かさないんです)単位が取れるように微調整して、サッカーのために学校に行っていたという感じでした。スキマ時間にはコンビニバイト(学校は禁止でしたが)したりして小遣い稼ぐって感じでした。高校もそんなに強くもなく、顧問の先生も素人だったため伸び悩んだ時期だったかもしれません。今考えると良い指導者の下で練習できるクラブチームに入ってたらと思いますが、当時の状況としてはクラブチームより学校のクラブ活動する方がメインでしたね。


◆高校卒業後の進路を決める時期に

 そんなこんなで進路を決める時期になり、みんな大学どこにするー?みたいな話に全然ついていけず、そういや自分はどうするんや?ってことにようやく気付き、やばいっ!将来どうするねんっ!て真剣に考えました。勉強好きじゃしないし、どうせ大学行ってもサッカーしかせんよなーっていうのは確実にイメージできました。大学サッカーでレギュラーになれなかったらそれはもう面白くないだろうと勝手に想像してました。やっぱり大学進学はお金がかかることですし、どうせ学費を使うんだったらもっと有効に使わないといけないと考えるようになりました。


 ちょうどそのころは三浦知良選手が読売ヴェルディで活躍してて、ブラジル帰りってのが話題になってまして、ブラジル留学が流行ってた時期だと思います。サッカー専門雑誌見てると書いてあるわけですよ、「カズのようにブラジルで成功してみないか?」日本のクラブチームからの紹介で留学できることを知りました。一応テストがありますので、テストに落ちたら潔くあきらめようと思っていたのですが、なんと合格してしまい(笑)、あとは費用問題がクリアできれば留学可能な状態に持っていけました。親には大学行かないことに関しては反対されませんでしたし、おもろいやん!頑張って!って応援してもらいました。留学費用は自分で貯めたバイト代を全部使い、半分親に出してもらうことになりました。今、親になって思いますが、なんて有り難い親なんだと感謝感激です。ですが、学校の担任の先生からは、「あんた、サッカー上手いの?」ってバカにされ、(もちろん無名高校でスカウトが来る感じでもないので)上手くもないのに何でブラジルなんかでできると思うの?やめとけやめとけと言われました。(怒)でも言い返しました。「上手くないから一番レベルの高い場所を知って、そのギャップを埋めるために努力しに行くんです!」それから、進路の話は一切なくなりました。(笑)


◆学生時代まとめ

 結局サッカーしかしていないです。何も考えずに学生生活を終えてしまったことは、今となっては大いに反省です。もっと勉強に興味を持って学びたいことを徹底的にやっておけば良かったと思います。結果論ですが。でもまぁそのときはそれがベストと思って判断したので間違いではなかったとは思います。おそらくこの頃に「自分を追い込んで退路を断つ」という僕の人生スタイルが構築されたんだと思います。言ったことはやっぱり「有言実行」すべきだと考えるようになったんだと思います。ただ、サッカーに集中するなら、その先を徹底的に突き詰めるということはできていなかったですね。いわゆる若気の至りというやつですか、世の中甘く見過ぎていたと思います。過去の自分を叱咤激励してあげたい気分です。


ここまでご覧頂きありがとうございます。

そしていよいよブラジルの地に足を踏み入れるわけであります。


Vol.2に続く。。。


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