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12月

12月になると

世の中の空気が変わる

そんな気がしている。

幸か不幸か、私は今住んでいる県から出て暮らしたことがない。昨今の移動し難い世の中で、自由に故郷に帰れない、帰りたいけど帰れない、そんな方々が今まで以上に沢山いらっしゃって、それはどんな心境なのだろう。会いたい人に会えない。行きたい所に行けない。故人を思う気持ちと近いだろうか?コロナ禍で気持ちが少し分かったように思うが、胸がギュと苦しく悲しい寂しい気持ちなのだろうか?そんな風にしか想像出来ない。今までならば「お正月には帰るから」どんなに忙しくても、お盆とかお正月には実家に帰る、という方も多いと思うが、そんなことが出来なくなって息苦しい生き苦しい。

私は近隣の街に住みながらも、理由あって何年も実家に帰らなかった親不孝者だったから、不謹慎だけど、帰りたいと思える実家があるのが羨ましかったりする。私には帰れる実家は、もうない。私もある意味、帰りたけど帰れない人だったのだな、とふと思いながら、今を考えてみる。私の一番会いたい人は息子や夫だし、この世で一番会いたい人と一緒にいられていることの幸せに気がついた。幸せなんだ、私。


年末になると帰省する友人を「またね」と見送ったり、近所であっても実家でお正月を迎える友人と距離ができたり、社会人であれば今年中にやらなければならない仕事で忙しく働き、疲れを労う忘年会やクリスマスなど賑やかな楽しいことがある反面、今年が終わるという実感と共に、出来たこと出来なかったこと、今年を振り返って、より寂しさを感じるように思う12月。12月とは、そんな侘しさを抱えている。

忘年会、クリスマス、飲んではしゃいで

ガヤガヤとあんなに賑やかだった喧騒の街

今は、忘年会なんて出来ないけど

ふと、急に静かな街になる。

そして、その静けさが何だか侘しい寂しいだけではなくて、来年の楽しいことへの希望を含んでいたり「とりあえず一区切り、休みます。」年末年始は、そんな安息の期間のように思う。

「今年も無事に過ごせたよ。良いことも悪いこともあったけど、なんとか生きてるよ」と感謝しつつ年が明けていく。

12月特有の空気感が私は好きだ。

12月 1-2

12月 慌ただしい街

楽しかったね 辛い事もあった 気づけた事がたくさんあった

悲しかった さみしかった

でも、楽しかったよ

ありがとう いろんな出会いがあったね 感謝感激です

お疲れさま 元気でね またね

そろそろ 帰ろうか 何処へ 自分の居場所へ 

12月 気がつけば静寂の街


今年を振り返りながら、本当に好きなこと、好きな場所、自分を見つめ直して自分の居場所を探す時間。

それが12月だと思う。

国民の休日って、せめてお正月くらい、本当に皆が休めたら良いのにね。病院や交通機関、食料品や日用品店、生と死に関わる職種の人達は、やっぱり休めないのだけれども。

慌ただしく過ぎて行く日々の中、どうかゆっくりと休める時間がありますように。ますます寒いですから、ご自愛ください。


写真は昔々に、写真と言葉で何かをしたいな、と思って作っていた物です。12月になると、この写真を引っ張り出したくなるのでした。

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