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集中する事

私は、いつも好きな事に没頭しすぎてしまう。もし、ひとりだったら、ご飯も食べずに何時間でも、好きな事をしていられる。

全神経を集中させ、その事しか考えずに、ひとつの事を、ただ黙々と作業する。それは、瞑想のようにも思えて、終わった後に、頭も心もスッキリとする。

今、没頭しているのは、写真を撮影する事、人参を千切りする事である。


写真を撮影する事

合わないピントをどうにかどうにか合わせ、思うような構図になるように、苦慮する。

植物ならば、風で揺らめいたり、光の加減が良くなかったり、構図が決まっても「ピントがあわないアワナイ合わない!今だ!」タイミングよくシャッターを押せた!けど、ブレていたり。

だからこそ、思うように撮影できた時の達成感がある。撮影するきっかけは、キレイとか、好きだからだし、記録や記念、誰かに見せたい、その瞬間を残したい、という思いも、もちろんある。しかし、鳥など動く物をピシャリと撮影出来た時、偶然に凄い光景に出会えて撮影できた時、ある種スポーツや競技のような、集中して集中して、思い通りに、それ以上に撮影できたという達成感を楽しんでいる。撮影という行為が、単純に好きなのだ。

カメラに救われた

出産後、ワンオペ育児。毎日、息子と二人だけ、思うようにならない日々、育児ノイローゼのようになっていた。「何か達成感があると、気持ちが明るく前向きになるかもしれない」ふたりきりの部屋で、私に、できる事は何だろう。

はじめに見つけた達成感は、息子の鼻くそ取りだった

一時期、息子の鼻くそを取る事が、私の生きがいのようになっていた。寝息に混ざって、ピューピューと変な音が聞こえる。見ると、息子の鼻に、鼻くそが詰まっている。「赤ちゃんの鼻の穴って、こんなに小さいの?」綿棒が入るか入らないかの、ちいさな小さな鼻の穴、大人用の綿棒なんて入らない、そんな小さな鼻の穴。

そこに、赤ちゃん用の細い綿棒をそっと入れる。起きている時は、動いて危ないので、怪我しないように、寝ている隙を狙うのだ。そして、綿棒をくるくる回しながら、鼻くそを絡め取る。そっと優しく、起こさないように。途中で切れる事なく、息子を起こす事なく、ツブ貝のように、気持ち良くすっと大きな鼻くそが取れた時には「やった!とたっぞ!」叫び出したい程に、歓喜した。そして、気持ちがスッキリした。私にもできる事がある。使命感のような、達成できたという充足感と共に、誇らしい気分になっていた。

「こんな事で?満足感?」そう思うかもしれないけれども、こんな小さな事でも、私の気持ちに変化はあったのだ。この頃、自覚はなかったのだが、だいぶ、追い詰められていたのだろう。

同じように過ぎていく、先の見えない、息子からの手応えのない、自分の思ったように出来ない、達成感がない、何もできない、必要とされていない、被害妄想、罪悪感、そんな日々に、私は辟易して、イライラしていたのだ。頑張っているねって、本当は、褒められて、認められたかったのかもしれない。

鼻くそ取りに生きがいを感じてから、日々が少しずつ、楽しく感じられるようになってきた。そんな時に、夫が「職場の人がさ、今の赤ちゃんの時って、どんどん顔が変わっていくから、写真とか動画とか撮影しておけばよかったって後悔している、絶対に撮影した方がいいよって言ってたよ」そんな事を言った。

出産後、撮影どころではなかったのだけれども「そうか、久しぶりに撮影してみようかな」そう思えた。

授乳後、息子が私の腕の中で、かわいらしい顔で寝ている。「息子が、寝ている間ならば、撮影していても邪魔されないかも」撮影をはじめる事にした。

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ある時は、まつげ、ある時は、鼻の穴、ある時は唇。集中して、ピントを合わせる。思うように撮影できると「楽しい、楽しいなぁ!」忘れていた高揚感、満足感、達成感があった。キラキラ輝くどこまでも澄み切った瞳、長いまつげ、かわいらしい小さなおてて、足だって!こんなに小さいのか。

写真を撮る事で、改めて、息子の事をよく観察して、愛おしく思えるようになった。それまでの私は、純粋にかわいい、愛おしいという感情が持てないくらいに、疲労困憊していた。

私には、ひとりで、邪魔されずに、集中する時間が必要だったんだ。集中して、何かをする時、私のストレスは軽減される。

育児中は、ひとつの事に集中して何かをする、という事がとても難しい。しかし、私は、完璧主義のような所があり、やり始めた事を最後までやり遂げるという事に、喜びを感じていたのだ。家事を中断される事、私がやろうとしている事を、いちいち中断される事に、苛立ち、怒り、悲しみ、不快な気分になり、苦しかった。そして、怒ってしまったという罪悪感に悩まされていた。

模型電車の前に針が付いていて、線路には風船がある。パズルや他の事をしながら、風船が割れないように、電車が来たら、風船を移動する。昔、テレビでよく見た光景を思い出す。

育児は、まさに、これだ、と思う。

ふたつ以上の事を同時にすると、ものすごい疲れる、クタクタになる。ひとつの事に集中すると、他がおろそかになってしまうらしい。しかし、育児は、特にワンオペ育児は、息子を注意深く気にかけながら、見張り続けながら、家事もする。常に同時進行なのだ。休む間も無く、ずっと緊張状態、そんなの疲れて、当たり前だ。

ささやかな楽しみを見つける。短時間でも、自分の好きな事、楽しい事をする。そして、没頭してみる。そんな時間が、私には、大切で必要だった。

この時期、撮影できてよかった。楽しいという気持ちを思い出せたし、自分を取り戻せたように思っている。カメラに救われたのだ。そして、息子の二度とは見れない表情も残せた。

人参を千切りする事

そして、千切りである。きゅうりは、柔らかすぎて、切っている感触が弱い。大根でも良いが、今は、人参の千切りにはまっている。

ただひたすらに、いかに薄く、いかに細く切れるかに、一心不乱、無心で集中する。スライサーなんて、絶対に使わない。

ただひたすらに、包丁で切りまくるのだ。まな板に、トントントンと響く包丁の音色、ざくざくっと人参を切る感触、人参を切る音を堪能しながらも、切る事だけに集中する。軽快にリズムよく、上手にキレイに切れると、気持ちいい。嬉しくて楽しくなる。

千切りも、瞑想みたいだなと思っている。実は、瞑想した事は、ないのだけれど。写真の撮影と同じように、スッキリとして、心身のバランスを整えてくれる気がしている。しかも!美味しくいただける。

千切り瞑想ってあるのかな?と思ったら、面白い記事があった。

最近のお気に入りは、千切り人参と細切りのハムをマヨネーズで和えるだけの簡単サラダ。ここに、黒胡椒をたっぷりかける。人参嫌いな人に、人参を美味しく食べさせるというnhkのテレビ番組でやっていたレシピ。

「思っている三倍黒胡椒をかける」らしい。

私は、あまり人参が好きではないのだが、このサラダは、食べやすく、しかも簡単。息子もモリモリ食べる。息子は黒胡椒なし、私はたっぷりとかけて。マヨネーズとハムの風味、黒胡椒の香りが効いて、人参の存在がやわらぐ。しかし、シャキバリボリっとした食感、人参のほのかな甘みが追いかけてきて、美味しい。

薄く上手に切れないと、人参が固すぎて、食べにくい。私は、塩もみをして、しんなりさせてから、マヨネーズとあえている。調味料の分量は、忘れてしまった。息子は、マヨネーズの酸味が好きではないので、マヨネーズ控えめ、自分好みの味に、勝手に調整している。

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集中しすぎると、今度はアドレナリンが出て脳が疲労するらしい。育児の合間、短時間で集中するという事が、脳の疲れをとり、心も整えることになるのだろうか、と思う。

専ら、家事に直結している人参の千切りが、私の必要なこと、大切なことになりそうだ。


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