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カリブの島の中華料理

”食べるものはないよ No comida!  No food!” 

メニューを広げる私たちに向かってその”Bar and Restaurant" の店主は片手にビールを持ち、もう片方の手をヒラヒラとこちらに向かって振る。
前回の旅行でも立ち寄った中華料理の店だが名前が変わっていた。
店主は同じハゲ頭で薄汚れた白のタンクトップをピラっと着ている中国人だ。

朝8時からダイビングをしていた私たちはもう極限まで腹が減っていて、夕食の時間には早すぎるか、と思える5時すぎにそのレストランに入りテーブル隅にあった2ページしかないメニューを取り上げた。
が、無下にその店主にレストランをヒラヒラと追い出された。

バー&レストラン、という名前(カテゴリーではない)の店の50%は機能していなかったのだ。まぁそんなこともある。というか前にもあった。
カリブ海の端っこに浮かぶ島はほぼ100%の食料を輸入に頼っているので、小さな店だともうイモがない、魚がない、肉がない、ということがたまにある。

気を取り直して2軒先の中華料理屋に行く。
その店先には大きく Open Everyday from 11am to 11pm! 毎日営業11時から11時! と書いてあるのに閉まっていた。

14年前に初めてこの島に来た時にも中国人はいた。こんな人里離れた無名の島にどうやって来たのだろう・・・そんな疑問が湧いたが、当時は島に中華料理店が2軒と中国人が営むコンビニが2軒あった。
店番の若い女性に中国語で話しかけると”この島に住み始めてから初めて他人と中国語を話している!” と大層驚かれた。
この島は元オランダの植民地であり、現在もオランダ領。ヨーロッパとアメリカからの観光客(ほぼダイバー)で溢れているのでスーパーやレストランは現地の人が営む小さな店を除いてはその人たち向けに営業している。

それに負けじと中華系の移民が頑張っているらしく、今回の旅ではあちこちで中国人が営む店やレストランを見かけた。良いような、悪いような・・・ちょっと複雑ではある。

アメリカでロードトリップ・ドライブ旅行に出て、小さな町や名物もない町でご飯を食べなければならない時は、必ず中華料理店に入っていた。
どんな辺鄙な田舎の街にも中国人が営むチャイニーズがあるのだ。必ず。(現在はアメリカ東在住です)
アメリカの中華は多少の差はあれど、どの州でも、どこ出身の中国人経営でも、大体の”チャイニーズフード”は同じような値段とメニューと味なので大きな外れはない。味も見た目も想像出来る型通りなものが出てくる。
アメリカ人に”どんなチャイニーズフードが好きか?”と尋ねれば
Beef and Broccoliとか Chop suey とか Orange Chicken とか答えるであろう・・・そしてそのどれもが私たち日本人が思い浮かべるいわゆる”中華料理”ではない。アメリカンチャイニーズのメニューなのだ。
まぁ日本の中華料理だって中国人にとっては日式であろうからどっちがいいとか悪いとかではない。

その島で私たちが中華料理を食べたい理由は2つある。
1・店内に座りたくない・他人のそばのテーブルに座りたくない(よってテイクアウトしかしない)
2・夕食に毎日50ドルも60ドルもかけたくない(観光客プライスなのでアホみたいに高い)
なので、今回は来る前からキッチン付きのアパートで調理か、それが出来ない日は値段が安くてテイクアウトが出来る中華にしようと決めていた。

なのに、今夜は知っている2軒の中華料理屋ではご飯が買えないことが決定した。

仕方ないので車をゆっくり走らせ、確かあの辺にあったはず・・・という記憶を頼りにさらに2軒を探し出した。

1軒は閉まっていて、2軒目のおっさんは店の窓から駐車場に車を入れる私たちに ”食べ物はない” と叫んだ。

夫はもうすでにイライラしている。腹が減っている上に食べ物がない理由がわからないのが怒りを助長させる。

なだめながらも、目についた向こうの通りの看板に中国語の文字が見え、そこに行ってみた。
薄暗い店内には壁いっぱいに飲み物と食べ物のメニューが書いてある。
チャーハンとか焼きそばとかチキンカツとかのご飯のメニューだ。よかった、やっとご飯が食べられる!!

安堵の顔で壁を眺める私たちにレジに座っていたおっさんが言った。

"NO, NO, NO FOOD"

それを聞くと私と夫、両方が大きな声をあげた WHY????
違っていたのは夫は英語、私は中国語だったこと。

店主は目を丸くして拙い中国語で ”あ、中国語をしゃべるですか” と恥ずかしそうに俯いた。

それを聞いた私は畳み掛けるように、ここに来るまでに4−5軒ある中華料理店は休みか食べ物がないという、今日は中国の祝日か船が来なかったのか一斉に休みと決めたのか、何なの??? と激しい口調で聞いた。

おっさんはさらに恥ずかしそうに俯き、わからない、知らない、と首を振って何かを聞くが私には彼の中国語がよくわからなかった。
福建の人か・・・広東人か・・・・上海語か・・・一般的な中国語ではなく、おっさんはそれ以外は話せないようだった。

他の店が閉まっていたのはおっさんのせいではないのだが、この”中華料理店食べ物ない問題”を解決する鍵を握っているのはこのおっさんしかいない(と決めてかかる)。

私はしつこく聞いた。おっさんの店には何も食べるものがないのか?それはまだ夕食の時間には早いからないのか?材料はあるのか?どこか他にも店はあるのか?

今思うとおっさんは恐怖であっただろう。この女からはどうにかして中華料理を食らわねばならない狂気が漂い、何か解決策を提案するまでは解放してもらえない、と慄いていただろう。かわいそうなことをした。

おっさんは大きな声で後ろの自宅にいた子供達を呼んだ。
そして駆けて来たまだ4つか5つかの子供二人に
”このおばちゃんをあそこの店に連れて行け” というようなことづけをした。

男の子は喜び勇んで道路に駆け出し、おっさんは私にヒラヒラと手を振りついていくように促す。

子供二人は後ろを振り返り、振り返り、前に進み、私は路地裏の道ではない道に入り込む彼らにやっとついて行った。
夫には車でついてくるように叫んだが、彼は私らが路地に入り込んでからすぐに見失い、近辺をゆっくりとウロウロしていたらしい。

穴が大きく空いた側溝を飛び越え、薮を掻き分け、酔っ払いが3人地べたに座って酒盛りをしている側を過ぎ、割れたガラスが散乱する駐車場跡を突っ切ったら、子供二人はわぁわぁと大きな声をあげてバーに入って行った。

その看板を見上げて、つい私は ここ???? と声が出た。
どっから見ても中華料理屋ではない。
バーに座る人間は皆地元のおっさんで、カウンターの裏にいる人にも ニーハオ と声をかけるが返答はない。

子供たちは知った様子で裏に周り、おばちゃん(私より若いと思う)を連れて来た。
大きな声で ”この女はご飯が食べたいのだ” とおばちゃんに訴えている(ようである)。
そして私をチラッと見て、バイバーーーーイ! と手を振りぴゃーーーっと走って行ってしまった。

おばちゃんはニコニコしながらメニューを出してくれた。
そこにはいつも目にするチャーハンやら、野菜炒めやら、海老焼きそばなどが手書きで書かれていた。

”ちょっと待ってね” と外に出てキョロキョロすると、怒り顔の夫が遠くに見えた。
手招きして、再び店に入り、コレとコレと・・・・と注文するとニコニコのおばちゃんは OK、OK! と裏に引き返した。

10分後に大きなテイクアウトの箱を2つ持って現れ、電卓をパチパチとして値段を見せてくれた

15ドル とある。

メニューには確か1つ13ドルか14ドルとあったはずで、私はおばちゃんを見て
”間違ってるよ、安すぎるよ” と伝えた。

彼女はもっとニコニコになり拙い中国語でこう言った。
”いいの、いいの、友達、友達、中華料理が食べたかったんだろ?”

1つが3人前くらい入ってますw

ずっしりと重いテイクアウトの箱を持ち店を出る私におばちゃんもカウンターにいる現地のおっさんたちもみんなで手を振ってくれた。そこで食べ物を食べていた人は一人もいなかった。

こうしてたくさんの困難を乗り越え(笑)、人に助けられ、私たちはカリブ海の島で中華料理を食べることが出来た。

その後帰国の日まで、4−5回はおばちゃんの店に出向いた。

最後の日に ”もう明日帰るのだ” と告げ ”また来年ね!” と毎年来ることを伝えるとおばちゃんは そうかそうか、それまで元気で!サイチェン!サイチェン! と手を握りしめて送ってくれた。

外見からは絶対に入ることのない店だった。
不思議な縁もあるものだ、良い人はいるのだ、だから旅は面白いのだ、とお腹がいっぱいになってからやっと思う。

どこにも中華な要素なしの外観

シマフィー




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