見出し画像

Hero's Journey(神話の法則)とThe ALFEE47年を辿る②

ヒーローズジャーニー・神話の法則とはなんぞや?とその法則1から7はこちらで読めます
1冒険への召喚 > 2召喚の拒絶 > 3神秘の力の後押し > 4第一関門突破 > 5危険区域潜入 > 6試練の連続 > 7女神との出会い

つづき

8. Woman as Temptress(誘惑)
旅の途中、しばしば女性の形をした(していないものもある)誘惑に惑わされます。誘惑の主は短期間の快楽や栄光と引き換えにヒーローのミッションを失敗に終わらせるよう働きかけます。それに打ち勝ってこそ、真のヒーローとなるのです。

まだ売れていないアルフィーは81年にBeat Boys名義で“スターズ☆オン23(ショック‼︎TAKURO23)”というアルバムを出します。完成度の高い歌声は反響を呼び、それまでのレコード最高売り上げとなり、このままお笑い路線で行くのか、その方が売れるのか、苦しいところでしたがコミックバンドとして認知されるのは忍びないとの周りの配慮でアルフィーの名は伏せたままのヒットとなります。*その後笑いはライブのコントに生かされます。
82年には“アルフィーは室内音楽だよね、野外はやれない”とのコメントに奮い立ちドラムとキーボードのサポートメンバーを入れ、初の野外コンサートを行います。これまでのフォークからロックへバンドの形を変えていくとともに、高見沢さんがリーダーとなります。ライブの最後で高見沢さんは“来年も大きいことをやる”と宣言しますが、まだ何をするか・出来るか全くわからないままでの発言だったにもかかわらず、翌年に”ヒットなし”の武道館コンサートを満員御礼で成し遂げます。80年代初めは何を目指していくのかを徐々に試される期間でした。そして83年のアルバム ”ALFEE“ ではロックバンドとして現在私たちが知るThe ALFEEの形が出来上がりますが、アコースティックとハーモニーを辞めてしまうわけではなく、坂崎さんのアコギフレーズと3声のハモリを武器にした壮大な楽曲を次々と生み出しまさにレジェンドへの階段を登り始めます。
アルフィーのミッションは周りの声や作るイメージに翻弄(誘惑)される事なく、自分たちの“アルフィー”を作り上げる事でした。かつては“節操がない”と揶揄された音楽も、オリジナリティあふれる“アルフィー”という独自のジャンルに育っていきます。

9. Atonement with the Father(師との和解)
父・師のような存在の誰かと戦い、その関係を修復したりする場面です。神のような存在かもしれないし悪の親玉かもしれませんが、彼らを倒すか和解するかで自身がヒーローとしての絶対の力を身につけます。

アルフィーの歴史の中で、その絶対的に大きな存在は“ヒット”という知名度や人気度を計る言葉と数字でした。メリーアンは83年6月に発売されましたが爆発的には売れず、ゆっくりと2ヶ月ほどかけてヒットチャートに上り詰め、テレビの音楽番組にも頻繁に登場し世間に名前と歌が知れ渡ります。
関係者から(そしてお友達の桜井君と坂崎君から)“売れる曲をかけよ!”との重圧に苦しんでいた高見沢さんが、アルバム用の1曲をプロデューサーに”シングルカットしたら?”と提案され "いいっすよ!” と快諾したことにより、”メリーアン”で初めてオリコンチャート10位以内にランクインし、紅白歌合戦に出場し、ヒットという“大きな存在”を打ち負かします。本当は一つ前の "暁のパラダイスロード"で売れる予定だったのですが、それでは”大きな存在は”倒せませんでした。*今だにアルフィーのテレビ出演時にはバックでメリーアンがかかりますので、その偉業は後世に伝えられています。

10. Apotheosis(神格化)
ヒーローとしての自覚、そしてさらなる苦境への挑戦と勝利などから徐々にその存在は神格化されていきます。その力を堂々と見せ、ヒーローのように振る舞い、外見を変えたり(変わったり)するのもこの段階です。

メリーアンで日本全国に知れ渡ったアルフィーですが、浮かれ踊る高見沢さんはすぐさまプロデューサーから “一発屋で終わるか、この先長生き出来るかが次の曲で決まる” とさらに大きな苦行を強いられます。
そうやって生まれたのが “星空のディスタンス” で、このヒットから徐々に外見も “アルフィーらしく” 変わっていきます。
ファンの数が増えるにつれライブのセットや規模もどんどん大きくなり、炎に水に雷にともう一般人の想像する “コンサートのセット” の域を外れ、衣装もワイルドだぜ〜な方向に向かい、坂崎さんのチリ毛は収まり、高見沢さんの髪の毛はのび続け、そこらへんのバンドとの差を見せつけます。
*メリーアン以降、出すシングルは新作の”Joker -眠らない街-“ まで54作全てオリコントップテン入りしています。まさに神!

外見の変貌はこちらの映像をどうぞ!

11. Ultimate Boon (大きな賜物)
いくつもの試練や挑戦に打ち勝ち、ゴールにたどり着いたヒーローは名声や栄誉をものにするーー物語のクライマックスであり、最高の見せ場であるのがこの段階。

メリーアン以降のシングルは出せばヒットし、メディアに出ずっぱりの80年代半ばから90年代のアルフィーは色々な形でヒットの恩恵を受けました。
CM(チョコレート、化粧品、オンワード樫山、三ツ矢サイダーなど)やドラマ・映画のテーマ(レンズマン、タッチ、無邪気な関係、孔雀王、激突、モンタナ・ジョーンズなど)を手がけアルフィーの楽曲はCD、音楽番組、ライブ以外でも聴けるようになりファンの数はどんどん増えていきます。
86年の”Sweat & Tears”から名をTHE ALFEE に変え、忙しい中ライブ活動も精力的に行います。夏のイベントも続いており、“日本初”のライブが数多く行われます。85年は横浜スタジアムの3DAYS(動員9万人)、86年はTOKYO BAY AREAの10万人ライブ、87年は日本平での単独オールナイト、88年はALL OVER JAPAN 4ACCESS AREA で週ごとに大阪、札幌、福岡、横浜で計13万人以上を熱狂させました。この大規模な野外での夏イベは2009年まで続きます。
89年には8年ぶりのBEAT BOYS として覆面はせずに楽器なしで、お揃いの服を着て、踊る、という活動もしています。
物議を醸し出した“蜂の王様”(1989)の出版、アーティスト本や写真集の出版、大阪国際女子マラソンのテーマソング(1987年から2018年まで)、90年の花の万博、また “とんねるずのみなさんのおかげです“ などのバラエティ番組でコント仕立てのドラマに出たり、卓球や3オン3で対決するのも90年代のこの時期です。
91年には高見沢さんがソロ活動を始め、半年間The ALFEEの活動を休止してロンドンでのレコーディングやソロツアーを行います。他のアーチストはソロ活動が目立つようになると解散を危惧されますが、高見沢さんはアルフィーを離れるのではなく、自身のソロ活動は “アルフィーの進化のため” とメディアで断言しています。


12. Refusal of the Return(帰還拒否)
名声、名誉、欲しいものを手にできたヒーローはこのままその場に留まり、自分の故郷・普通の日常・ヒーローではない“つまらない”生活に帰る事をためらいます。生死の境にいた戦いの興奮を忘れられず、“元いた場所”に帰りたくないと考えます。

飛ぶ鳥を落とす勢いの3人は次々と偉業を遂げ、記録を更新し、新しい事にチャレンジする80年代後半〜90年代でした。87年からはクリスマスでの武道館ライブが恒例化し昨年(2020年)のCome on ALFEE ではイブの武道館は諦められない!とアリーナにセットを組んでの配信を行いました。またその前日は秘密裏に無観客ライブを武道館でやりその様子は3月27日の配信ライブ(クリックで飛びます)で見る事ができます。毎年春と秋のツアー、クリスマスの武道館は現在まで続いています。テレビ、ラジオ、ライブツアー、イベントなどお祭りのような忙しさの中で3人は30代〜40代を送りますーー焼かれるたい焼きを見つめるだけだったり、研ナオコさんにエビフライをおねだりしたり、プールサイドで2人の女性を前に歌ったり、の時代には帰らないぞ思っていたに違いありません。

しかしながら20周年を迎える90年代半ばからはルーツを振り返るようなライブも行っています。93年のTHE ALFEE Communication Acoustic special では3人だけでアコースティックライブツアーを行い、94年の夏イベでは発売中止になった幻のシングル “府中捕物控” とデビュー曲 “夏しぐれ” (ハンドマイクで)を歌い、96年にBEAT BOYSが7年ぶりに武道館ライブで復活しています。
97年にはTHE ALFEE COMING HOME Acoustic Live で3人が出会った明治学院大学でライブ、そしてTHE ALFEE CLASSICSで再び服部克久氏と共演します。
98年にニューヨークではForest Hills スタジアムでコンフィデンスのルーツであるサイモンとガーファンクルを演奏し、99年にベルリンで89年ツアーではセットとして使用したブランデンブルグ門の前で再度服部氏とクラッシックを演奏しています。

お疲れ様でした。47年の歴史て、長いですね。まだ終わってないんですよ!えらいこと端折ったのに、あと20年くらいあります笑。

残りの5つの段階、最終章はまた明日。長いのを最後まで読んでくださってありがとう!(ありがとうございません>アル中さん向け)

シマフィー

お願い:このシリーズは私個人が資料をまとめながら歴史の流れをヒーローズジャーニーに当てはめたら、というものです。アルフィーさんのご活躍は文字になっていないものも沢山ありますし解釈は人により違うものとなるはずですので、違うんじゃないの?と思われる部分がありましたらすみません。

この記事が参加している募集

#最近の学び

181,589件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?